楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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桜のつづきー板橋の桜

2016年04月07日 05時39分13秒 | 日記
日本は今や桜に覆われている。

板橋区の地名の起こりは、
中山道板橋宿にある石神井川に架かる板の橋にあると言う。

その昔、源氏の頼朝が戦に敗れ安房に逃れ、
再起の軍勢を集めたのが、この板橋であったと、義経記にあるらしい。

(板橋)



まず板橋宿であるが、
日本橋を起点に中山道69次の内第一番の宿場であった。
宿場の長さおよそ2.2kmと中山道第一の大きさであるから、
宿場そのものが、三つの宿場で構成されている、
日本橋側から、平尾宿(下宿)、仲宿、上宿である。
平尾宿の入り口には、中山道第二番目の一里塚(今はない)があって、
すこぶる辺鄙なところであった。

(平尾宿入口にある近藤勇の墓、長倉新八が建立)

(当初あったお墓)

このあたりに板橋の刑場があったとされる。
幕末の尊王攘夷で世間が騒がしい頃に、
晴れがましく活躍した新撰組組長近藤勇は、
この板橋の刑場で処刑されている。
没年 明治元年4月25日と石碑の裏面に刻されている。
したがって新選組のお祭りは毎年4/25前後の日曜日に催される。
2016年の今年は4/24(日)である。

板橋宿にはこの名残の近藤勇が囚われの身になって過ごした脇本陣跡が、
平尾宿にある。
(平尾宿の案内)

(平尾宿脇本陣跡の碑)



朝廷側の大本営が置かれ、
近藤勇が取り調べを受けたという旅籠「伊勢孫」は、仲宿にある。

(仲宿)


この中宿が終わり上宿との境に板の橋がある。
この板の橋が地名「板橋」の起源となった。

(板の橋)


現在では、板の橋に見せかけたコンクリートの橋であるが、
この橋は石神井川にかかっている橋で、
1980年ころまで、大雨が降るとよく洪水になったものだ。

今では洪水にならぬように曲がりくねった川を直線にしたり、
川底を掘り下げて大変深い河になっている。
この川の両岸に植えられたソメイヨシノは、
時期になると壮観で、板橋十景の一つに数えられている。

(板橋の桜)


桜を愛でながら石神井川に沿って歩くツアーが毎年行われるが、
およそ一時間、板橋から王子まで桜を楽しむことが出来る。
ボクも散歩で眺めた桜をご覧ください。

(石神井川の桜)


(石神井川の桜2)


(石神井川の桜3)

(石神井川の桜4)

(石神井川の桜5)

(石神井川の桜6)

(石神井川の桜7)






コメント (6)
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