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楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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日光東照宮の五重塔(芭蕉の道を歩く 16)

2012年10月10日 10時52分55秒 | 芭蕉の旅
(人出のある日光東照宮)

(日光1)
2012年10月5日(金曜日)日光へ行く。
普段の日だというのに、沢山の人が訪ね来ているのに驚いた。
さすが世界遺産に登録されているだけのことはある。
又今回は、五重塔の内部が、特別内覧できると言うので、
人が多いのかもしれない。

松尾芭蕉は元禄二年、深川を発ち奥の細道へ向った。
千住・草加・室の八嶋の次、第四番目が日光であった。
日光を見ずして結構と言うなかれという諺がある。
同じ意味の諺がヨーロッパにもある。

イタリヤのナポリである。ナポリを見ずして死ぬな、
ナポリを見ずして結構と言うなかれ、ともいう。
カミサンにそう話しながら、道中は進む。
ナポリのどこがそんなに素晴らしいのか、
よく判らなかった、カミサンの率直な意見である。

現にナポリは世界遺産に登録されていないが、
日光は世界遺産に登録されているではないか。

日光東照宮の参道は、沢山の人が歩いている。
右手に金色の葵のご紋がついた石碑「東照宮」が、
うっそうとした杉林に囲まれて建っている。
(東照宮の石柱)
(ご存知徳川の葵のご紋)
「東照宮」には、今回で四回目の訪問になる。
最初が高校生の修学旅行であった。
次が結婚して、長男が三歳ころだったと思う。
三回目は、長女が四歳、長男が八歳ころの夏休みに、
湯西川温泉に行った帰りに寄った。
最後に訪ねた時から、もう四十年も経っている。
(右の仁王さま)
(左の仁王さま)
東照宮の仁王門が見える広場に来ると、
左手に五重塔が見える。
今回は五重塔の内部を特別公開されるとの事で、
沢山の人が訪ねきているのであろう。
この塔は、当初、小浜藩主 酒井忠勝の寄進であったが、
およそ150年後に焼失、さらに三年後の1818年に忠勝の子孫、
忠進によって再建された。
(五重塔)

2011年3月11日の東北大地震による津波で、
福島第一原子力発電所の事故で、激減した日光の観光客を、
取り戻す企画の一つとして、この五重塔の内部公開をすることになった。
2013年3月末まで公開される。

本邦初公開である。
痛々しい努力の企画である。
コメント (10)
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