楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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キリシタン灯篭(1)ー別名(織部灯篭)

2012年06月15日 17時41分39秒 | つれづれなるままに考えること
(キリシタン灯籠ー別名織部灯篭)

(大原三千院のトイレ脇にある織部灯篭)


陶器「織部焼(おりべやき)」で有名な茶人 古田織部が考案した石灯篭です。

茶室のお庭などに、蹲(つくばい)を置くなどに考慮された灯籠。

もともとは古田織部のお墓にあった灯籠だそうです。

何故キリシタン灯篭と言われるかと言うと、

原因は灯籠の竿の部分にある。

(目黒大鳥神社横の大聖院にある灯篭、竿の上に火袋が無い)


もともとは、火袋が無く、竿の下に台が無く、地面に建っている。

隠れキリシタンの灯篭として、解らない様に、土中に柱部分を埋めて、

灯籠の高さを調節できるように、竿の下に台が無い。

(三千院の灯籠は竿が土深く埋められている)


日本全国に沢山あるキリシタン灯篭であるが、大きさ高さ、

模様の形状が変化していて、一つとして同じものは無いようだ。

隠れキリシタンの崇拝物として、同じものがあれば、

迫害を受けていたキリスト教信者が、一網打尽に遭うからと考えられている。


この竿の部分は、十字架をデフォルメしたものと言われる。

十字架の形から下図のように、頭部と両袖を切り落としたものと言われる。

竿の下部に刻まれた人物様の彫刻が、マリアかイエスの像を思わせる。

(デフォルメされた十字架)


(竿の部分の人物像イエスかマリアか)


また、竿の左右には漢詩が刻まれている。

「岩松无心 風来吟」(がんしょうむしん かぜきたりてぎんず)は、

岩の上の松のように無心の信仰を表現し、

「錦上舗花 又一重」(きんじょうにはなをしく またひとえ)は、

錦の上にまた一重花を敷くような崇高な美しさを表現し、

この二つの漢詩で聖霊を表現したと言われている。



(「岩松无心 風来吟」と読める竿右手の漢詩)


(「錦上舗花 又一重」と読める竿左手の漢詩)


そして上部にある意味不明の記号文字。

この文字を90℃左へ回転させると(Lhq)となる。

キリスト教の発生から考えると、フェニキア文字ではないかと思われる。

(奇妙な文字で90℃左へ回転すると「Lhq」となる)


さて、皆さんこの文字はなんだと思いますか?

(つづく)


コメント (10)
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