楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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椿山荘ー元山県有朋公の御屋敷

2012年06月23日 09時45分05秒 | つれづれなるままに考えること
椿山荘に「量救水(りょうぐすい)」と名づけられた水鉢があると聞いて出かけた。
何故この椿山荘の庭に、この「量救水」の大水鉢が置かれているのか分からない。
元は京都の日ノ岡峠の「亀の水不動」にあった水鉢である。

(亀の水不動)


亀の口から地下水が流れ、その水を受けていた大水鉢で、
「量救水(りょうぐすい)」と名づけられている。

(量救水)


旧中山道の日ノ岡峠は京都に入る最後の峠で、その手前、
大津宿側には「逢坂の関」で知られる逢坂の峠がある。
加えて大津から京都への荷物の量の多さは、普通の宿場の倍以上あった。
それは「中山道」から送られてくる荷物、「東海道」を経由する荷物で、
倍以上になったことは容易に想像できる。
これを京に運ぶには二つの峠を越えねばならず、難儀を極めたのを、
見かねて木食上人正禅養阿は、
日ノ岡峠に井戸を掘り当て、水を馬や役夫に振舞った。
その水をためた鉢が「量救水」である。

(木食上人と読めるか?)

(日ノ岡峠)


この水瓶がどのような経緯で、東京の椿山荘にあるのか分からない。
椿山荘の元所有者 山県有朋が京都から持ち込んだのか、不明である。
椿山荘の庭園には三重塔があるが、その左脇にこの量救水はあり、
現在は水道水と思われるが、水が滾々と湧き出ている。

(椿山荘の三重塔)


(椿山荘の庭、⑪番のところに量救水はある。)

コメント (4)
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