(芭蕉稲荷神社)
(芭蕉稲荷神社)
芭蕉庵史跡展望庭園の出口まで階段を下ると右手に、
芭蕉稲荷神社の赤い旗がはためいているのが見える。
大火で旧芭蕉庵が焼けた後に建てられた芭蕉庵があったところである。
お稲荷さまの社殿の右横に芭蕉庵跡の石碑が建っている。
(芭蕉庵跡の石碑)
なぜ芭蕉庵がお稲荷さまか良く判らないが、
旧跡を残す目印には格好の社殿と近隣の方が思いついたのであろうか。
説明によると、
「芭蕉没後、この深川芭蕉庵は武家屋敷となり幕末、
明治にかけて滅失してしまった。
たまたま大正六年の津波来襲のあと芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙が発見され、
地元の人々の尽力によりここに芭蕉稲荷を祀り、
同十年東京府は常盤一丁目を旧跡に指定した。
昭和二十年戦災のため当所が荒廃し、
地元の芭蕉遺跡保存会が昭和三十年復旧に尽くした。
しかし、当所が狭隘であるので常盤北の地に旧跡を移転し江東区において芭蕉記念館を建設した。」(芭蕉遺跡保存会)とある。
つまり、もともと芭蕉庵はここにあったが、
場所が狭いので200m先の芭蕉記念館を江東区が建設しそこに移したという。
記念館に芭蕉庵があるのがよく理解できた。
それにしても、植物の芭蕉を記念館では見かけなかった。
樹木の芭蕉を植えるには記念館では手狭であり、
展望庭園に植えてあるから良いのであろう。
(展望庭園には樹木の芭蕉が三株植えられていた)
ぼくの狂歌?
・繁盛を ねがう稲荷の 赤い旗 hidebach
欲張りすぎて
願い叶わず何事も過ぎたるは及ばざるが如し
でしょうか・・・