いえね、11月半ばのこの日さ、ちょいと高槻でのっぴきならない用事が出来て。
平日だもん。随分珍しく、どうしたん!?攻撃に遭いながら会社を休んだもん。
その用事が14時。されば朝から高槻を楽しむのだ!って事で。
高槻と言えば、高山右近。んだらば、途中で神社があった。入らぬ理由が全く見つからない。
写り込まないように注意をしたのだけど、2組の七五三参りチームがいらしてね。
まぁ、可愛いったらありゃしない!今時、カメラマンさん雇うのね。しかもアシスタント付き。
見てると面白いし可愛いし。ただ、うちの子の方が可愛いかったもん。って、親の贔屓目、隠さないわ。
で、入って直ぐ、手水舎があったのだ。
ここは・・・いつもこうやって花で飾ってるのかしら?それとも七五三の時期だから?
よく分かんないけどね、凄く美しいのに、天気が良すぎて陽が射し込み過ぎて、色が出ない!
あ~・・・。カメラの設定、むちゃくちゃ沢山有るのに使いこなせてないのだ。ま、いいか。
この野見神社内、数社あって。手水舎方面から行ったので、こっちに来たさ。
永井神社は、高槻城三の丸の一角の野見神社の摂社なのだ。
江戸時代中期、寛政5年(1793年)、江戸幕府で言えば、第11代の徳川家斉(いえなり)の時、
摂津高槻藩の第9代藩主、永井直進(なおのぶ)が、初代藩主の直清(なおきよ)を祭神として勧請し創建。
藩祖直清は、徳川秀忠(家康の息子ね)に仕えて、大阪の陣にも参戦していたらしい。
譜代大名としての永井家に対する、徳川からの信頼は厚く、明治時代に至る220年間、藩政を担ったと。
昨日書いたとこまで、あんなにも高山右近、キリシタン大名を持ち上げていたのに、
こんなにも永井押しが激しいのは、ここ神社だからね。それだけじゃない。
永井直清が、高槻城に入った翌年の慶安3年(1650年)、大洪水に見舞われ大惨事。
直清は、田畑に溢れる水を排出するための、番田の井路(人工水路)を初め、治水に全力を注ぐ。
領内の住民たちに慕われるの当然やん。みんな、永井さん大好き。
さ、ここは、野見神社の拝殿・・かな?まあ、小さいことは気にしない。
野見神社の御祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)と野見宿禰命(のみのすくねのみこと)。
宇多天皇(うだてんのう)の御代(西暦880年代)、悪疫が流行したのだ。まさに今みたいに。
この時、『社殿を造り、牛頭天王(ごずてんのう)をお祀りすれば悪疫が治まる』ってお告げが有って、
これを即実行したのだ。で、悪疫終息・村人大歓喜。誰かさ。お告げ、来てないかい??
多分、多分だけど、これが本殿。知らんけど。時間が経ってるからさ、どれがどれ?ってなってる。
その悪疫のずっと後、キリシタン大名の高山右近が城主になって、社領を没収してしまうのだな。
時の神職がヤバいぞ!って感じで、京都の石清水八幡宮へ、ご神体を避難させたのだわ。
すったもんだで、高山右近が居なくなり、後の城主の松平紀伊守が、城内の安全を祈願して、
牛頭天王社を新造、社領を寄進・・・って、元々のオリジナルは石清水八幡宮に行ったままなのかしら?
なんかさ、天気良すぎて、ちゃんと向こうの方が分からないけど、小島神社。
御祭神は多くって、よろず願い事叶え〼って感じの。
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)・・芸能上達。交通安全。
大己貴命(おおなむのみこと)・・五穀豊穣、厄除開運。
磐長姫命(いわながひめのみこと)・・健康長寿、縁結び。
天児屋根命(あまのこやねのみこと)・・産業繁栄、家内安全。
かなりのオールインワン加減。創建不詳。
粂路山瀧ヶ淵っていうとこに、大蛇が住んでいて、それを『龍神』として祀ったのが始まり。
う~・・・以下、省略。急ごう。
四社明神。一社なのだけど、四社なのだ。
福神社、稲荷神社、磐神社、祖霊社として、それぞれ独立していた社を、
大正時代に一社にまとめてしまったって、どういう・・・めんどくさいのか!?
福神社は、永井直進のよって、寛政9年に創建。祭神は風。火、鋼、土、水の神様で。多いから略。
稲荷神社は寛政11年に、やっぱり城主永井直進さんで創建。
五穀、食物を司り、稲が育ちゆくのを守護して下さる神、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)が御祭神。
磐神社は元文4年。寛政11年が1799年だったら、元文4年は1739年。こっちが先輩だわ。
祭神は、八衢比古神(やちまたひこのかみ)、八衢姫神(やちまたひめのかみ)、久那斗神(くなどのかみ)など。
そんな祭神のお力で、種々の邪霊や禍災を祓って清めてくれるの。有難いわ。
そして祖霊社。これは新しい。明治11年に創建。歴代宮司や神官、神社に尽力された方々をお祀りしてて。
この、大勢の方々が、こんな小さな社に同居してると思ったら、とてつもなく可哀そうな気がする。
左下の・・・サトシは関係ないよ。初代のアニメの主人公さ。娘っこ達と見てた頃のあいつ。
娘っこ達が寝入ったら、夜な夜な経験値を上げるために、草むらで戦っていたあの頃。
いや、それはさて置き、ここは護国神社で、西南戦争以降の高槻地区の戦没者を祀る社。
西南戦争は明治10年(1877年)、西郷隆盛を盟主にして起こった武力反乱で国内最後の内戦。
ここにも本物の生花が散りばめられてるよ。
う~ん、七五三の時だからか、普段からそうなのかはやっぱり不明。勿体ないな・・・。
とか良いながら、まんまと釣られて写真撮ってるもんね。綺麗なものはやっぱり綺麗だわ。
そして、こちらが高槻戎神社。
今日は1月10日、やっぱりここの”えべっさん”でも、1月9日~11日は『高槻えびす祭』を開催中。
商売繁盛と、家内安全・無病息災・開運を祈願するお祭りなのですけど、
今年はこれに、悪疫退散!も遠くから祈っています。密にならない様に、お気を付けあそばせ。
実は、随分歩き回ってお腹ぺこぺこ。明日は高槻ランチを書きましょう。では。
野見神社
大阪府高槻市野見町6-6
TEL 072-675-1316