大阪府の豊中市、服部ってとこ。
本命の足の神様、服部天神宮にお詣りして、健脚祈願した後、
折角ここまで来たのだから、服部天神宮と並んで、服部を代表する神社へ寄って行きましょう。
・・・ここ?ここなの?ここから入るの?
何となくここ、裏門っぽかったよ。自動車で入れるとこから入ったら、ん?ってなった。
服部住吉神社。その総本宮にあたるのが、我が心の故郷、大阪市住吉区の住吉大社でしょう。
全国に約2,000社ある住吉神社。豊中には4社あるって話ですよ。
で。たぶん正面出入り口から入ってなかったようで、どっちにどう行けばいいのか分からない。
何となく、進んだら、鳥居が整列してたの、ちょっと感動。
美しい。きっとまだ新しいのかしら。朱色が・・・美しい。朱色が。
思えば、私がおチビちゃんだったころ、学校から住吉大社に写生に出掛けて、
何でも好きなものをかきましょうってテーマを投げられた。
みんな太鼓橋の朱色に魅せられて、太鼓橋を画く。誰に洗脳されたの?って勢いで太鼓橋。
一人だけ、灯篭と青々した樹を思いっきり画いた。何故太鼓橋を描かなかったのか、怒られた。
理不尽・・・って感覚を小学生の時に経験した、忘れられない住吉大社。
いくつもの鳥居の向こうは、住吉稲荷大明神。
う~ん。よく分からないが。そういう事らしい。
中には陶器の綺麗な狐さんが、左右にいらしたけど。どんな由緒があるのか、ちと、分からなかった。
そして、その傍らには、住吉龍神社。
・・・って、書いてあったのだけど、奥には、豊玉龍神社って書いてましたさ。
住吉大社は海の神様って言われてるわ。その関係なのかしら?
天を翔る龍じゃなくって、龍神って言うと大海原の龍神様なのですね。きっと。
左右に・・・・・あんまり迫力の無い龍がここに。
う~ん、よく分からないな~って思いつつ、
元来た鳥居集団の道を歩いてと、おや?この紋は?
豊臣秀吉の桐の紋!
どうやら、この社殿は、旧豊國神社の社殿を、昭和36年に移築したものらしく、
太閤秀吉の桐の紋が、神門に彫刻されているとの事・・・・・。これ、彫刻なん?
でさ、社殿とかって見て無いやん。なんか、違うとこ来てしまってる?
で、件の社殿が・・ここですね。うん、きっとここ。
創建時代は不詳。住吉大社の別院として創建されたのだが、平安時代の仁平2年(1152年)に、
本殿・鳥居等を再建されたっていう記録があるらしい。再建って事は、それ以前に既にあったってこと。
天正6年(1578年)の織田信長による、荒木村重への討伐時に、兵火により焼失し、
元和8年(1622年)に再建。更に昭和22年(1947年)にも失火により焼失。
本格再建にあたって、中之島から大坂城内に遷座されることになった豊國神社の旧社殿を譲り受け、
昭和36年(1961年)に、現社殿が建立されたと。
御祭神は、表筒男命(うわづつのおのみこと)、中筒男命、底筒男命、
そして、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)。この方は仲哀天皇のお妃さま、神功皇后。
日本書紀にも古事記にも、その名前は様々なれど登場する皇后さまだよ。
さて、その隣には、神楽殿入口って書かれた引き戸が、開かれてる。行かんでかい!?
そう、これは、大阪最古の能舞台。
明治31年(1898年)建立で、大阪府下では最古って事らしいが。全国的に見た時の最古ってどうなんでしょ?
ま、それはともあれ、最初は大坂博物館(現・大阪商工会議所)に建立され、昭和2年(1927年)に
大阪天満宮に移築されたものが、昭和56年(1981年)にここに再移築されたもの。
年に数回、能や狂言が催されるらしいが、ぼ~っと観ているだけで、その舞が演技が思い浮かんできて
その歴史の匂いに、時間旅行をするかの如く、気が遠くなりそう。
好きなのだな~。この木の古さ。松の絵の味のある劣化加減に萌えてしまう。
平成10年(1998年)に登録有形文化財に登録された能舞台のある住吉神社は、ここだけ
服部住吉神社
大阪府豊中市服部南町2丁目3-31
お電話 06-6864-0761