それゆけ!ぶんぶん一家☆ミ

不器用な3人家族と、ゆかいな仲間たちのブログです。

門は開いておりましょうか。官兵衛をシメオンに導いた高山右近☆カトリック高槻教会♪

2021-01-08 04:37:42 | おでかけ

今、絶賛・司馬遼太郎に嵌っている。すっかり戦国かぶれ。

元々、日本史って好きでは無かったので、も~、調べながら読む感じ。

そんなこんなで『播磨灘物語』を読んでる時に、事も有ろうか友人が、大河ドラマだったらしい

『軍師官兵衛』の録画を、全話数枚のブルーレイに焼いて送ってくれたのだ。ありがとね。

どちらも、黒田官兵衛、後の黒田如水さんのお話。そんな感じの時、11月半ば、

高槻に行かねばならぬっていう、のっぴきならぬ用事が出来たのだな。

どうせ、会社を休めねばならぬ。時間を極力有効に使いたい。で、高槻やん!約束の時間より早く出陣。

高槻と言えばこの方。高山右近!。官兵衛さん物語には欠かせない御仁。

高山右近っちは、1552年、摂津の国、高山(今の大阪府豊能郡)で生まれたらしい。

当時、国替えとかって当たり前で、6歳からは大和の国、沢城(奈良県宇陀郡)に引っ越した。

お父様の飛騨守っていうのはキリシタンで洗礼名をダリオって言った。

そして高槻。21歳で高槻城主となるのだが、12歳で、お父様の影響で洗礼を受けているのだ。

その洗礼名は、ユストともジュストとも。

ここは、カトリック高槻教会の高山右近さん、ユストだかジュストさんなのだけど、不思議なのだ。

こっちから見た表情。

あっちから見た表情。

全然違って見えるのね。敬虔なキリシタンと戦国時代の大名。それか?どっちがどっちかしら?

この高槻の、高山右近の領内は、キリシタン率が絶賛急上昇で、教会も十字架もどんどん新設されたって。

件の黒田官兵衛も、高山右近の宣教で、シメオンっていう洗礼名を授かってるもん。

ところで、ここ、カトリック高槻教会の聖堂は『高山右近記念聖堂』として知られてるそうな。

とても美しい建物なのだ。この高いドーム状の屋根が印象的な建物、

これは、キリシタン大名のユストだかジュストだかの高山右近が、その生涯を終えたとこ、

マニラ市郊外のアンティボロにある聖母大聖堂を模して設計されたらしいわさ。

聖母マリア様がいらっしゃった。

私、キリシタンではないのだけど、黒田官兵衛さん絡みの物語に勤しんだにあたって、

なんと美しく一途であることか。そうだな、宗教画ってのもとっても美しい。

救われるのかどうかは知らないけど、残して行った物語等々は、うん、美しい。

そして、商工会議所のとこに、これが有ったわ。

宣教師、ルイス・フロイスだって記録していたらしい。

ここ、ここに教会堂を建立して、ここを拠点として布教していたのだよ。

もうそろそろ、時間が無い。詳しくはこれを!って、ちょっと横着しますね。

カトリック高槻教会

大阪府高槻市野見町2-26

TEL 072-675-1472

高槻商工会議所

大阪府高槻市大手町3-46

TEL 072-675-0484

 

 

 



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