くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

三人のイタリア人 番外編

2004-06-30 11:36:17 | 連載もの 三人のイタリア人
 日本名変換ジェネレーター、なかなか面白かったです。コメントのおかげでみなさんの本当の(?)名前が判明しましたです♪ 教えていただいたみなさんにこの記事をトラックバックしてお届けします。
『your real japanese name generator!』は“漢字”に東洋の神秘とか魅力を感じているお方が作ったプログラムなのでしょうね。意味的背景が含まれている表意文字。
 以前配信させていただいた『三人のイタリア人』ですが、最後のお別れパーティーのときに彼らに渡したプレゼントを想い出しました。ファッビリッツィオ、マッスィモ、レオパルドを漢字に変換して縦書きの名刺を作ったのでした。すなわち
 
 ファビリッツィオ~風阿舞璃千男
 マッスィモ~益詩望
 レオパルド~玲央巴流土

「どんな意味が?」と問わないで下さいね。風雅な漢字を並べただけです。でも彼らは満足したようでした。とくに哲学が好きだと言っていたマッスィモは大喜びでした。
「おー、これが漢字か! 美しい! 意味が含まれているという文字だろう?」
「そうだよ。“益詩望”には美しい詩と希望という意味が含まれているよ」
「俺、詩を読むの好きなんだあ」うっとりと目を閉じました。レオパルドとファビリッツィオはニヤニヤしています。
「マッスィモさ、イタリアでは変わり者と言われているだろう?」
「ああよく言われるよ。どうして知ってるんだ?」

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今度はおねしょ占い

2004-06-28 16:55:01 | 雑記
 わははは! これ最高でっす!
『Dress You Up』“おねしょ占い”~にトラックバック♪
 あ、リンクはこちら、おねしょ占いですよう~。
 これは結果の解説が実に愉快なのですね。こういうネタはDress You Up作者ヒカルさんの独壇場かもなあ。で、僕の結果は

「あなたがおねしょでよく描く地図は、アジアです」
「おねしょの時によく見る夢は、タイのプーケットの美しい海の中でダイビング中に気持ちよく放尿というパターンが多いです」
「あまり小さなことは気にせずに、悠然と構えていればいいでしょう」以上抜粋。

 何歳までおねしょをしてしまうかも判定されるので、大きなココロガマエでやってみてくださいね♪ 


どんどんおバカに・・・

2004-06-28 15:23:43 | エッセイ
『和ちゃんブログ』“どんどん馬鹿になる”~に遅ればせながらトラックバ~ック♪
 この記事を読んだときに「嘆かわしい・・・」なんて思っていたのに、このあいだ「はっ!」とすることがありました。それはある喫茶店の電話番号をすっかり忘れていたこと。コメントに残した「“自分のおバカさ”・・・そいつはまた別の問題であ~る♪」を語るべきときがきますた。
 そのお店は渋谷区渋谷にある羽冨という素晴らしい喫茶店なのですが、そこに電話をする用事があったのですね。で、携帯電話のアドレス帳を調べたら登録していなかった。そこでインターネットタウンページで調べて、分かった番号を携帯電話に登録しながらじっとその番号を眺めたのです。さすがにいい番号です。そうして、頻繁に通っていた頃はその番号は確実に記憶していたものだったな、と想い出したのです。
 携帯電話がなかった頃、羽冨は職場のすぐそばだったこともあって、お客さんと会うのに利用させてもらっていました。そうしてその頃は待ち合わせの時間に遅れそうなときなどはお店の電話に直接掛けていたのです。
「もしもしオカベですけど、○○さん来てますか?」
「ええ、一寸前にいらしてます。替わりましょうか」
「はいお願いします」
 これが普通のやりとりだったわけです。そして憶えておく必要のある電話番号というのは、手帳にずら~っと書いておく。その中でもとくによく使う番号は、どういうわけか頭に入っていたのです。取引先を含めればざっと数十件は憶えていたはず。
 また世の中がそんな具合だから、個人もお店も企業も、なるべく憶えやすい電話番号、あるいはプッシュボタンで押しやすい番号、はたまた縁起のいい番号というものを当時のNTTとやりとりして入手していたのですね。初めてPHSを買ったときや、引っ越しして番号が変わるとき、僕も関係企業内にいる知り合いに頼んでいい番号を入手しました。現在でもそうしているみなさんも大勢いらっしゃると思うのですが、電話を掛けるときの第一のアクションが携帯電話のワンタッチ呼び出しであれば、せっかく手に入れたいい番号というものも記憶されることは少ないのではないでしょうか。そうしてそれは何だか寂しいことのような気がします。 
 しっかし、自分がこんな状態ではとても「今の若い連中は」なんて言えないですね~。こんな単純なことを記事にしたのは、あんないい番号をすっかり忘れていたことが、僕にとってかなり衝撃的なことだったからなのです。あ~なんか悔しいっ!


あちらをたてれば

2004-06-27 13:41:03 | 雑記
『rinrinのガラスの靴はどこに』“見て見ぬ振り”~にトラックバック。 
 冷蔵庫を買いました。むっふふふ。
 どうせ外食ばっかりだし部屋は狭いし、と二年間冷蔵庫なしだったのです。しかし水道から出るぬる~い水がここ最近はやや「あたたか~い」ようになってきて、ついでに前夜食べ残したもので「当たった」こともあったので、思い切ってヤフーオークションで落札しました。1万円ちょっとなり。
 あらかじめ想定していた場所に置いてみると、思ったより大きいです。奥行きを勘案してなかったのですな。そこでステレオの横に移動。一旦レコードプレーヤーをどけて突っ込むと、まあまあ収まりがいいようです。レコードプレーヤーは冷蔵庫の上に乗せるしかないのですが、あまり高さのないものなのでむしろ操作が楽そうです。ところがアンプにつないであったケーブルの長さが足りなくなってしまいました。どのくらい足りないのか様子を見ようとしたのですが、ランプが邪魔でステレオの裏が覗けません。ランプをどけようとすると、電源コードがいっぱいいっぱいの長さで置いてあったので動かせない。隣にはテレビとスピーカー。
 いろんな物たちを配置するのに、みんなピチピチというかぎりぎりというか、狭いスペースを有効に使うためにパズルのごとく組み合わせて置いてあったのでした。冷蔵庫一つ置いただけでちょっとした騒ぎ。
 しかし僕はその騒ぎを起こしたい気分ではないので、必殺放置プレーをしております。このまんまにしておいて不都合なのは、レコードが聴けないことです。どう考えても長いケーブルを買ってこないといけないのですが、そのケーブルも特殊なものなので粋人soroさんに「どこで買えばいいでしょう?」なんてメールを出す始末です。しかしもはや他にはレコードプレーヤーを据える場所などないのですね~。
 俺知ぃ~らねえ、という気分ですな。あとで困るぞう~♪
 


花もて語れ

2004-06-26 04:13:15 | エッセイ
 みなさんおはようございま~す♪ ひさしぶりに早起きしました。東京はムシムシとして曇っています。
『Net Jazz Workshop』“やはり高いclassicの敷居”、
『■高嶺の花にくびったけ!!』“八方自然研究路(7)”~にトラックバック。個人的にこの二つの記事に共通点がありました。
 Net Jazz Workshopの作者kenさんは、あるクラッシックの演奏を聴きに行ったらしいのですが、ご自分はそれなりに感動したのに、同行した「クラシックのセミプロみたいな方」は「耳が腐るほどのひどい演奏」と評したらしいです。この温度差はどこからくるのでしょうか? 
 その道のプロの聴く(観る)ところは一般人が聴く(観る)ところとは違っている、ということがまずありますね。例えばオーディオマニアの人にステレオのセッティングをお願いすると、ちょこちょこっとスピーカーの配置を変えたりするだけでこれまでよりずっといい音が出てくる。マニアの人は微細な音を聴く能力が発達していると思わざるを得ないわけです。
 また楽器を演奏する人であれば音感というのが鍛えられていて、オーボエの音を聴いて自分の楽器のチューニングをする。チューナーなんて使わなくてもバキッと音がするくらい合わせることが出来ます。
 こういうのは「ふんふん」と素直に納得出来るわけですが、作品の鑑賞となると、一寸様子が違ってくることがある。上記“やはり高いclassicの敷居”はそのことについて書いてあるわけです。
 昨日は東京都写真美術館に行って『世界報道写真展』というのを観てきました。世界報道写真財団が開いた、報道写真コンテストの入賞作品を集めたものだそうです。題材はスポーツ、戦争、建築、災害と様々でなかなか面白かったです。ただ、一位をとったある写真は、絵として本当にきれいなのですが、僕には魅力が伝わらなかったです(注:僕は写真については全くのシロウトです)。他の作品も「お、いいね」というのはあるのだけれど、そこまで。そうして家に帰ってきてみなさんのブログを巡っていたら、もう一つのトラックバックである『■高嶺の花にくびったけ!!』の作者(写真家)guonbさんが記事に載せているユキワリソウの写真が、息を飲むほどの圧倒的な力をもって迫ってきたのです。正直に書きますが、一瞬か二瞬、時間が止まってしまったほどです。
 美に対する追求心は誰にも負けない、という自負があるのですが、あのユキワリソウの写真に惹かれる特殊な要因が何かしら僕だけにあるのだろうか知らん。つまり陳腐な結論として、最後は好みなのだよ、ということなのでしょうか。う~ん、それじゃあ納得出来ないなあ。何だろう、この気持ち。
 kenさんが投げ掛けたものが思った以上に大きかったということが一つ(kenさん安易なコメント書いてゴメン)。そしてguonbさんの撮ったユキワリソウの写真に強い衝撃を受けたということがもう一つ。そういうことかもしれないです。
 うんと生意気だった学生の頃、ある男の自主制作映画を観たことがあったのですが、あまりにも見事な色遣いに完全に圧倒されてしまい、一週間くらい気分が悪かったことを想い出しました。自分と同じくらいの歳の男がこれほどの作品を創り出している、それに比べてお前の文章はいったい何を訴えかけているというんだ? と。
 美というのは時として恐ろしいほどの力を持っていますね。こうして時折美という底なしの世界の深淵をのぞいて心底ゾッとすることがあります。その向こうには一体何があるのでしょう? そちらに行ってみてもいいのでしょうか?