三年前に某出版社の新人賞に応募した短編作品です。横書き用に訂正しながら載せたいと思います
『バイブレーション』
六月の第二週の火曜日、僕の元へ一通の手紙が届いた。差出人を見ると、別の市の養護学校からだった。校歌を作って欲しいとのこと。
その学校は、名前だけは聞いたことがあった。まだ出来たばかりのはずだ。手紙を読んでみると、生徒全員が聾唖だという。聾唖とは、耳が聞こえず、言葉もうまく喋れない人のことだ。
僕は売れない作曲家だ。音大の講師をし、市民オーケストラの指揮をして、日々を紡いで生きている。
作曲が終わったのは、夏の始まりの暑い日だった。今年初めてアブラゼミの声を聞いた日だった。
件の養護学校へ電話をすると、事務の女性が出た。曲が出来たことを知らせると、暫く待っていて下さいと言い、受話器をそっと机の上に置いた音と、どこかへ遠ざかる足音が聞こえた。
まったく暑い日だった。部屋の窓をすべて開け放して風を取り込んでも、身体がじっとりと汗で濡れた。ピアノの黒い胴体が熱を吸収して、悲鳴を上げているようだった。
やがて耳元に足音が近づいてきた。さっきの女性が、ぜひこちらに来てもらって、曲を聴かせて欲しいという。翌日は講義のない日だったので、明日行くことを告げて電話を切った。
聾唖の人々のための校歌とは、何を意味しているのだろう。
僕は時折、公立や私立の学校から、校歌作曲の仕事を引き受けている。それらの仕事は、不定期だが貴重な収入源である。
しかし、養護学校からの依頼は初めてのことだった。
今回も、受け取った歌詞をもとにして、テンポの速い、爽やかな印象を与える旋律を作った。歌詞にも特に聾唖という含みはなかったのだ。アルト・テノール・バスの、通常の三重唱形式である。
僕は譜面を眺めながら、何か判然としないまま、暫く座っていた。
『YUMIKA no 遊ing湯ing』“初 胃カメラ”~にトラックバック。
作者Mike*mic.さんの胃カメラ体験ドキュメントです。面白いですよ~。ぜひ読むべし!
僕は肺の話です。肺といえば煙草ですね。
今年に入って間もなく煙草をやめました。現在は隣で誰かが吸っていても、全く欲しいと思わないところまできました。
やめはじめ(ん?)はやはりなかなか辛いものがあります。食事のあと、仕事の区切り、本を読みながら・・・と煙草を吸うように習慣づけていた時間はいくつもあるものです。「あと1箱だけ・・・」とみっともない思いを何度もしながら隣のコンビニに駆けつけました。それでも本数を減らしていけば、一本一本が強く濃く感じられるようになり、あとは時間を掛けてもっともっと減らすようにすれば大丈夫です。
ただ、僕はあまりエラそうなことは言えません。煙草をやめたのはこれが二回目なのです。従って「やめたことのある」経験者ですから、通常より楽だったはずです。
松田優作のテレビドラマ『探偵物語』に影響を受けて吸い始めたのですが、一年もしないうちに本格的なチェーンスモーカーとなりました。酒などもそうですが、いったん始まると「もっと強く、もっと多く」となりがちです。洋モクは美味いなとか、両切り缶ピースが一番だ、とかいろいろやって、最後はハッカ煙草に落ち着いたはずです。マイルドセブン・メンソールだったと思います。
しかし二十歳を過ぎて間もなく(おい)、僕はヤッピー文化に目覚めます。彼らは煙草を吸わず健康に気を配り、たっぷり働きたっぷり遊ぶのです。当時は多くの日本人がマネたものです。ここで煙草をやめようと思ったわけです。「これからは煙草を吸わないほうがカッコいいんだぞ~」という大変身勝手な美意識もありました。
ここでホントにやめるきっかけとなったのが、椎名誠氏のエッセイでした。彼もまた煙草をやめようと思い続けていたのですが、あることを目撃してそれからぷっつりと吸わなくなった。そのことについて書いてあるエッセイを読んで僕もまた素直にやめてしまったのです。
彼が取材で研究用の死体置き場に行ったときのこと。ニンゲンの死体です。解剖専門の医者が「ちょっと面白いものを見せてあげる」と、ある男性の肺を取り出して見せました。「いいかね?」そこで医者はその肺をぎゅっと絞ってみせたそうです。すると黒いコールタールのようなものがぼとぼとぼとっ。「この人は喫煙者だね。こっちは一本も吸ってなかった人」そう言ってまた取り出した肺は見事なピンク色。「ほぼ生まれたままの状態だなあ」この経験をした翌日から、椎名誠氏はあれだけやめようやめようとあがいていた煙草に対してまるっきり興味がなくなったというのです。
長いあいだ喫煙してきた人でも、四年間のあいだ一本も吸わなければ、肺はキチンとピンク色に戻るそうです。身体はそういう力があるのですね。
で、今回やめたときにはもう一つのキッカケもありました。さんざん読み返し、言葉一つ一つ全てを憶えてしまっていたはずのヘミングウェーの小説『老人と海』、ここに主人公サンチャゴがあることを我慢するためにこんな台詞を吐露します。
「生きていくにはもっともっと辛いことがあるじゃないか。こんなのは何でもないことなんだ」(中略あり、訳ハヤト)
おや突然ハードボイルドになってしまった。いずれにしろ煙草をやめるには“きっかけ”が一番大事ですね。
作者Mike*mic.さんの胃カメラ体験ドキュメントです。面白いですよ~。ぜひ読むべし!
僕は肺の話です。肺といえば煙草ですね。
今年に入って間もなく煙草をやめました。現在は隣で誰かが吸っていても、全く欲しいと思わないところまできました。
やめはじめ(ん?)はやはりなかなか辛いものがあります。食事のあと、仕事の区切り、本を読みながら・・・と煙草を吸うように習慣づけていた時間はいくつもあるものです。「あと1箱だけ・・・」とみっともない思いを何度もしながら隣のコンビニに駆けつけました。それでも本数を減らしていけば、一本一本が強く濃く感じられるようになり、あとは時間を掛けてもっともっと減らすようにすれば大丈夫です。
ただ、僕はあまりエラそうなことは言えません。煙草をやめたのはこれが二回目なのです。従って「やめたことのある」経験者ですから、通常より楽だったはずです。
松田優作のテレビドラマ『探偵物語』に影響を受けて吸い始めたのですが、一年もしないうちに本格的なチェーンスモーカーとなりました。酒などもそうですが、いったん始まると「もっと強く、もっと多く」となりがちです。洋モクは美味いなとか、両切り缶ピースが一番だ、とかいろいろやって、最後はハッカ煙草に落ち着いたはずです。マイルドセブン・メンソールだったと思います。
しかし二十歳を過ぎて間もなく(おい)、僕はヤッピー文化に目覚めます。彼らは煙草を吸わず健康に気を配り、たっぷり働きたっぷり遊ぶのです。当時は多くの日本人がマネたものです。ここで煙草をやめようと思ったわけです。「これからは煙草を吸わないほうがカッコいいんだぞ~」という大変身勝手な美意識もありました。
ここでホントにやめるきっかけとなったのが、椎名誠氏のエッセイでした。彼もまた煙草をやめようと思い続けていたのですが、あることを目撃してそれからぷっつりと吸わなくなった。そのことについて書いてあるエッセイを読んで僕もまた素直にやめてしまったのです。
彼が取材で研究用の死体置き場に行ったときのこと。ニンゲンの死体です。解剖専門の医者が「ちょっと面白いものを見せてあげる」と、ある男性の肺を取り出して見せました。「いいかね?」そこで医者はその肺をぎゅっと絞ってみせたそうです。すると黒いコールタールのようなものがぼとぼとぼとっ。「この人は喫煙者だね。こっちは一本も吸ってなかった人」そう言ってまた取り出した肺は見事なピンク色。「ほぼ生まれたままの状態だなあ」この経験をした翌日から、椎名誠氏はあれだけやめようやめようとあがいていた煙草に対してまるっきり興味がなくなったというのです。
長いあいだ喫煙してきた人でも、四年間のあいだ一本も吸わなければ、肺はキチンとピンク色に戻るそうです。身体はそういう力があるのですね。
で、今回やめたときにはもう一つのキッカケもありました。さんざん読み返し、言葉一つ一つ全てを憶えてしまっていたはずのヘミングウェーの小説『老人と海』、ここに主人公サンチャゴがあることを我慢するためにこんな台詞を吐露します。
「生きていくにはもっともっと辛いことがあるじゃないか。こんなのは何でもないことなんだ」(中略あり、訳ハヤト)
おや突然ハードボイルドになってしまった。いずれにしろ煙草をやめるには“きっかけ”が一番大事ですね。
『音風景日記』“聞こえてきそう”~にトラックバック。
東京は今日もピーカンです! 梅雨はどこへ行っているのかなあ~。やはり長い長い雨をぐぐっとこらえたあとの夏がいいですよね。子供の頃は好きではなかったはずなのに、毎年夏が好きになっていきます。
昨日、「ブログつながり~」に載せさせてもらっている『音風景日記』作者の西村篤さんからCDが届きました。『平野の音百連発』というタイトルで、平野(ひらの)という町で日常に溢れる音を一つ一つ録音していった面白いものです。サウンドスケープというものですね。
西村さんは音楽畑の出身ですが、現在は主にサウンドスケープに関する研究活動がメインのようです。多忙な合間に書かれるブログの記事は、ときに非常に奥の深い内容で読み応えがあります。観察眼、感覚が大変に優れた方なのですね。また普段知ることが少ないサウンドスケープという世界をかいま見せてくれるのも魅力です。
この『平野の音百連発』というCD(聴きながら書いています)には真夏の音の風景もたくさん入っています。華やかな関西弁の合間に風鈴の音、御輿をかつぐ声。いいなあ・・・夏がやってくる。
日常に溢れている音というのは、ときにその存在にあらためて気付いて驚くことがあります。椅子からスワと立ち上がって膝ぶつけたり。アホだ。身の回りに当たり前にある“音”に、もう一度興味をもって聴いてみる。これが西村さんの言う「音風景(サウンドスケープ)の誕生」の瞬間なのかな、なぞと思ったりしています。
東京は今日もピーカンです! 梅雨はどこへ行っているのかなあ~。やはり長い長い雨をぐぐっとこらえたあとの夏がいいですよね。子供の頃は好きではなかったはずなのに、毎年夏が好きになっていきます。
昨日、「ブログつながり~」に載せさせてもらっている『音風景日記』作者の西村篤さんからCDが届きました。『平野の音百連発』というタイトルで、平野(ひらの)という町で日常に溢れる音を一つ一つ録音していった面白いものです。サウンドスケープというものですね。
西村さんは音楽畑の出身ですが、現在は主にサウンドスケープに関する研究活動がメインのようです。多忙な合間に書かれるブログの記事は、ときに非常に奥の深い内容で読み応えがあります。観察眼、感覚が大変に優れた方なのですね。また普段知ることが少ないサウンドスケープという世界をかいま見せてくれるのも魅力です。
この『平野の音百連発』というCD(聴きながら書いています)には真夏の音の風景もたくさん入っています。華やかな関西弁の合間に風鈴の音、御輿をかつぐ声。いいなあ・・・夏がやってくる。
日常に溢れている音というのは、ときにその存在にあらためて気付いて驚くことがあります。椅子からスワと立ち上がって膝ぶつけたり。アホだ。身の回りに当たり前にある“音”に、もう一度興味をもって聴いてみる。これが西村さんの言う「音風景(サウンドスケープ)の誕生」の瞬間なのかな、なぞと思ったりしています。