『もげきゃっち』“恐怖の猫”~にトラックバック。
僕が上京してはじめに住んだ街が中野区江古田である。新青梅街道に近く、西武線の江古田と中央線の中野との中間くらいか? ちなみに地名の読み方は“えごた”。エゴという木がいっぱい生えていたらしい。西武線の駅名は“えこだ”。どうして違うのかは不明。そんなことはどーでも宜しい。
大きなネコの話しだ。
彼の名前は“だいちゃん”といった。アパートのすぐそばの八百屋の飼いネコである。ネコでアール(neco de R)は面白い。ああ、また脱線、失敬。
だいちゃんは天気のいい日には商店街の車道の真ん中に寝ていた。その日、僕は初めての一人暮らしにウキウキしながら、近所の銭湯江古田湯に行こうと通りを渡って小さな小さな商店街に入った。一方通行の狭い道で、車は滅多に通らない。たまに通ってもそれはヨソモノ。地元の人はまずここを通らない。その理由はすぐに明らかになる。
夕方の陽に満たされた商店街。近所の奥様が買い物をしている。銭湯の手前にある八百屋の前に、希代な物体、もしくは光景を見たのだ。大きな大きなネコが、四肢を伸ばして仰向けに寝ているのである。茶虎とブチの混交。おデブといえばまあオデブだが、それより全体的に大きいのである。
澄明なオレンジ色の夕陽に照らされ、彼の毛が輝いている。近所の人はチラと見るが、微笑んだり声を掛けたりせずに通りを行き交う。
何かがおかしい。
その日の僕は東北出身の青年らしく何もせずに横を通り過ぎて風呂へ行き、サービスのヤクルトを飲んで帰ってきた。
やがて一週間ほど経過した。新しい環境にも慣れ、東京在住の先輩へ連絡もついた。生活が固まってきた。そうするといろんなモノが落ち着いて見えるようになる。人々との交流も始まった。紅顔無知(造語ね)な青年が一歩を踏み出したのだ。
で、だいちゃんだ。
気になっていたのだが、雨の日には姿が見えない。一体誰に訊いたのか今では判然としないが、あの銭湯の手前の八百屋で飼っているネコだという。名前もそこで判明したのだ。僕は生来ネコイヌトリみんな好きで、出会ったやつとは友人カンケーを結んできた。だから久しぶりに晴れたその日の夕方、だいちゃんと出会ったときにはまずは挨拶を交わそうとしたのだ。当然のことだった。
しかし。
またまた仰向けのびのび姿で寝ている彼のそばに来たときに、僕は人差し指を伸ばして匂わせようとした。これもフツーの手続きだ。「よっ」声を掛けてかがもうとした。
そうしたら。
彼は寝ているフリをしていたのだ。スッと音をたてそうな感じで細い目を開き、彼は僕の顔を睨みつけた。
ネコ好きの方ならお分かりだろう。指を出せば、指に関心がいくものなのだ、ネコというものは。それが指をシカトしてまともに僕の顔を睨みつけたのだ。
尋常ではない。しかも、すんげえ怖い目。
僕は腰を少し落とした姿勢のまま固まってしまった。脇で八百屋のおばちゃんが「うふふ」とその様子を眺めていたのも憶えている。飼い主もおかしい。
その後何度か見た光景は、その一通の道に乗り入れた車が立ち往生しているというもの。もちろんだいちゃんが寝ていて通れないのだ。間近にタイアが迫ってもビクともしない。そうしてドライバーが困惑していると、飼い主の八百屋のおばちゃんは
「ああらだいちゃんたら、またおへそ出して・・・」なぞと言うだけで何もしない。この二人、もう絶対におかしい。
地元の人はみんな知っていた、だいちゃん。史上最強のネコだった。と思う。しかしそれももう昔の話し、昭和59年のことだ。彼も天寿を全うしたことだろう。
だいちゃんよ、天国でも大の字でみんなを睨んでやれよ。
僕が上京してはじめに住んだ街が中野区江古田である。新青梅街道に近く、西武線の江古田と中央線の中野との中間くらいか? ちなみに地名の読み方は“えごた”。エゴという木がいっぱい生えていたらしい。西武線の駅名は“えこだ”。どうして違うのかは不明。そんなことはどーでも宜しい。
大きなネコの話しだ。
彼の名前は“だいちゃん”といった。アパートのすぐそばの八百屋の飼いネコである。ネコでアール(neco de R)は面白い。ああ、また脱線、失敬。
だいちゃんは天気のいい日には商店街の車道の真ん中に寝ていた。その日、僕は初めての一人暮らしにウキウキしながら、近所の銭湯江古田湯に行こうと通りを渡って小さな小さな商店街に入った。一方通行の狭い道で、車は滅多に通らない。たまに通ってもそれはヨソモノ。地元の人はまずここを通らない。その理由はすぐに明らかになる。
夕方の陽に満たされた商店街。近所の奥様が買い物をしている。銭湯の手前にある八百屋の前に、希代な物体、もしくは光景を見たのだ。大きな大きなネコが、四肢を伸ばして仰向けに寝ているのである。茶虎とブチの混交。おデブといえばまあオデブだが、それより全体的に大きいのである。
澄明なオレンジ色の夕陽に照らされ、彼の毛が輝いている。近所の人はチラと見るが、微笑んだり声を掛けたりせずに通りを行き交う。
何かがおかしい。
その日の僕は東北出身の青年らしく何もせずに横を通り過ぎて風呂へ行き、サービスのヤクルトを飲んで帰ってきた。
やがて一週間ほど経過した。新しい環境にも慣れ、東京在住の先輩へ連絡もついた。生活が固まってきた。そうするといろんなモノが落ち着いて見えるようになる。人々との交流も始まった。紅顔無知(造語ね)な青年が一歩を踏み出したのだ。
で、だいちゃんだ。
気になっていたのだが、雨の日には姿が見えない。一体誰に訊いたのか今では判然としないが、あの銭湯の手前の八百屋で飼っているネコだという。名前もそこで判明したのだ。僕は生来ネコイヌトリみんな好きで、出会ったやつとは友人カンケーを結んできた。だから久しぶりに晴れたその日の夕方、だいちゃんと出会ったときにはまずは挨拶を交わそうとしたのだ。当然のことだった。
しかし。
またまた仰向けのびのび姿で寝ている彼のそばに来たときに、僕は人差し指を伸ばして匂わせようとした。これもフツーの手続きだ。「よっ」声を掛けてかがもうとした。
そうしたら。
彼は寝ているフリをしていたのだ。スッと音をたてそうな感じで細い目を開き、彼は僕の顔を睨みつけた。
ネコ好きの方ならお分かりだろう。指を出せば、指に関心がいくものなのだ、ネコというものは。それが指をシカトしてまともに僕の顔を睨みつけたのだ。
尋常ではない。しかも、すんげえ怖い目。
僕は腰を少し落とした姿勢のまま固まってしまった。脇で八百屋のおばちゃんが「うふふ」とその様子を眺めていたのも憶えている。飼い主もおかしい。
その後何度か見た光景は、その一通の道に乗り入れた車が立ち往生しているというもの。もちろんだいちゃんが寝ていて通れないのだ。間近にタイアが迫ってもビクともしない。そうしてドライバーが困惑していると、飼い主の八百屋のおばちゃんは
「ああらだいちゃんたら、またおへそ出して・・・」なぞと言うだけで何もしない。この二人、もう絶対におかしい。
地元の人はみんな知っていた、だいちゃん。史上最強のネコだった。と思う。しかしそれももう昔の話し、昭和59年のことだ。彼も天寿を全うしたことだろう。
だいちゃんよ、天国でも大の字でみんなを睨んでやれよ。