くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

怪奇な夜

2004-05-14 16:03:05 | 東京の美味い店
『J'sてんてんてまり』“いのしし丼 其の壱?”~にトラックバック。 
 よく行く近所の焼鳥屋『串若丸』三田店の焼き担当の人と話していたのだが。
 食いしん坊はどんな肉でも食いたいよな~、という話題で盛り上がり、桜、牡丹、紅葉(だっけ? 鹿肉)、すずめの丸焼きはありゃあ旨い、熊は臭いらしい、ぎゃははは・・・とやっていると彼が「あ」と右斜め52度方面を睨んで考え込んだ。
「どしたの?」
「いやあ、猪でね、すごく不思議な体験をしたんですよ。ず~っと忘れてたなあ。小さい頃のことなんです・・・」
 何でも彼が小学生のとき、家族で静岡にキャンプに行ったらしい。いや間違えた。静岡らしい、という記憶だ。東京から2時間くらいだったということと、西でも東でも北でもなかったと思うとのことから推測して「じゃあ静岡じゃねえか?」となったんだ。
 お父さんが道を間違えたのがきっかけ。どんどん田舎にハマっていき、夜もすっかり暮れてしまった。家族はブーイングである。「よおし、とにかくな、温泉入ろう温泉。ほらここだよ」と偶然行き着いたうんっとさびれた立ち寄り湯に入って、今夜はどうしようかと落ち着いて考えたそうだ。すると先客に地元のおじさんがいて、行くはずだったキャンプ場を尋ねるとそんな場所は聞いたことがないという。だが今夜泊まるところがないならウチに来なさい、たいしたもてなしも出来ないが、と嬉しい申し出をしてくれた。お父さんは名誉挽回と感謝の気持ちでそのおじさんを車に乗せて一緒に家に向かった。
 風がそよとも吹かず、なま暖かい、それでいて何か背筋が落ち着かないような夜だった(ここは嘘ね)。おじさんの家の中はちょっと散らかっていて、ひょっとしてやもめ暮らしかなあとも思える。しかし玄関には確かに女物の靴があったような。
 居間に落ち着いたところでおじさんはカートリッジコンロを用意して、ナベを作り始めた。見れば鮮やかな肉が出てくる。「これは猪。牡丹。こないだ撃ったんだ」おじさんは嬉しそうだ。猟をする主のいる家は荒れるというのは本当らしく、そういえば散らかっているというより何かすさんだというか荒れた感じの部屋だった。
 で、肝心の牡丹の味は彼は全く憶えていない。どうしてかというと食べ始まったそのとき、奥の部屋からそれはそれは恐ろしい声が聞こえてきたのだそうだ。彼も兄妹もお母さんもお父さんもピクっとして箸を止める。するとおじさんが言ったらしい。「もし出てきても知らない顔をして下さいよ。絶対に相手になっちゃダメだ」
 そんなこと言われたって。
 うわあお父さんお母さん僕怖いよ帰ろうよおうちに帰ろうよおいおい落ち着けそんなこと言っちゃ失礼だろううわあんあたしも怖いよ帰ろうよお~・・・。そのあたりからあんまり憶えていないそうだ。
 で、よ~く考えると全部夢だったような気もするけど、でもキャンプに出掛けて迷ったのは確かだし、そんな話しを以前家族でしたことがあったんですから夢ではないんです、でも何か恐ろしい童話の中に入り込んでしまったような異様な夜でした・・・。
 彼はニッコリ爽やかに笑い「それにしても牡丹って美味いんですかね~」と明るかった。 


R135

2004-05-14 14:20:57 | 
 何となく80年代のエッセイ風に書いてみる。
 伊豆の東側を、海岸線に沿って135号線は走っている。東に向かえば西湘バイパス。その先は134号線。茅ヶ崎・江ノ島の海岸線だ。
 この道路を思い浮かべると、季節はどうしても夏になる。
 都内から脱出し、混雑きわまりない江ノ島を過ぎ、小田原を抜けると蒼い相模湾が見えてくる。ここからはもうリゾート地、そして郷愁の地、伊豆である。一本しかないこの海沿いの道路を延々と南下する。真鶴、熱海を過ぎ、伊東でちょっと高原になって、数時間を経た頃には南国下田。本当に真っ白い白浜が近づいてくる。
 この白浜の手前、135号線沿いにある『ゑび満』は魚介好きにはたまらない店だ。地元では『ゑび満』というより『海女さんのお店』と言ったほうが通じることが多い。絶壁に立てられた簡素な家屋には、大きな座敷が広がっている。眺めは抜群。
 ここはその昔、地元の人に教えてもらったお気に入りの店なのだ。料理はどれも美味いのは当たり前だが、そのうえ値段が安い。下田は食で賑やかなところだが、街を離れたこの店は同じ料理が他店よりも割安なのだ。ご主人は「出来るだけみなさんに来て欲しいから」と言っていた。誰でも口にする台詞だが最も大事なことだと思う。
 男は冷酒、女性はワインを飲みながら、一品料理をいくつも頼む。お任せの刺身、金目の煮付け、アジのたたき、サザエに伊勢エビ・・・。どうせ安いのだ。テーブルを一杯にしてしまおう。
 腹が“くちく”なったらお茶をもらってのんびりと海を眺める。ここの海の色は本当に濃い。蒼、碧、青。ゆっくり休んで酔いが醒めたら、あとほんのひとっ走りで白浜だ。あそこの民宿にはもう20年来お世話になってるなあ・・・。
 ここまできて夢想から目を覚ます。今日の東京はピーカンで、ブラインドが白く輝き眩しい。今年の夏、梅雨が去ったら本当に出掛けることにしよう。

 ちょっとは80年代エッセイ風? 


にゃんちゅう先生

2004-05-14 10:58:54 | 雑記
『レイコさんの日記』“あけてくださいにゃあ”~にトラックバック。
 ネコを飼ったことのある人は、だ~いたい彼ら(彼女ら)との会話が可能ですよね。それも日本語が通じるところがかなりおかしい。学生の頃、友人の家で飼っていたネコ2匹はだいぶおりこうでした(モモちゃんとゴンベ)。友人が小さな声で、しかも彼らのほうを見ないで話してもちゃんと聞き分けていた。
「どうしよ、取りあえずビール飲むガチャガチャ(洗い物の音)。樽のやつ買ってきてあるから用意してくれるかな。冷蔵庫ねガチャガチャ。あんたたちはちょっと早いけどガチャ今のうちに食べなさいガチャ」
 これ、友人が流し台に向かって言っていた言葉です。前半は僕に向けて、後半は2匹に向けて。ネコに話すときは大抵口調が変わったり、一度注意を促しておいてからにしますよね。ところが友人はガチャガチャさせながら終始平板な言い方。それでも僕のひざの上で遊んでいた2匹は台所に飛んでいきました。
 これには感心しました。僕もその頃一匹のネコを飼っていましたが、そんな高等な会話は出来なかったのです。「ああ、この人は本当にネコと話しが出来るんだ」と思いましたよ。
 ところがそれから十数年。つい去年のことです。荻窪のとある公園に、一匹のノラが佇んでおりました。僕は知人とそばを通りかかったのです。
 そいつは夕方の誰もいない公園のど真ん中で毛繕いをしておりました。僕との距離はおおよそ5メートル。
「おいにゃんちゅう」
「ニャ?」
「お前腹減ってるんだろ?」
「ウニャ」
「う~ん、困ったなあ。何にも持ってないんだよなあ・・・」
「ニャ~」
「カイカイするか」
「ウニャ」
「んじゃおいで」
「ニャ!」
 そのノラはしっぽをピンと立ててジャンプし、飛ぶように駆けてきました。僕は満足して奴の頭だの喉を思いっきりカイカイしてやったあと、さよならしました。
「あの~、ネコと会話出来るんですか?」その友人は知り合ってまだ日が浅かったのですが、僕をまるで宇宙人を見るような目で見ています。
「う~ん、出来たねえ」
「・・・」
 それからは張り切って近所の顔見知りノラに話しかけています。でもちゃんとした日本語による会話はまだまだ難しいです。
benjamin220.jpg


追:時空を越えて『雲海の涯(はて)に~』“食肉目 ・ ネコ科…生きていた猫達もさ!”にもトラックバック(^^)
 


エイティーズ!

2004-05-14 02:03:13 | まち歩き
 東京は新宿区神楽坂。飯田橋の駅を出て商店街を上っていくと、とあるビルの6Fに『PENSACOLA』というバーがある。ここの中はもう思いっきり、思いっきり、80年代のままで時間が止まってしまっているお店なのだ。
 MTVが流れ続け、その内容はPOLICE、BELINDA CARLISLE、TOTO、A-HA・・・。分厚いリクエストブックがあるので、中高年のお客さんたちは自分の想い出の曲をどんどんリクエストする。曲が変わるたびに「おお~」のため息、歓声。
 とにかく曲のアーカイブがすんごい。何でもある。よくここまで集めたなあって感心しきりだ。そして店内も80年代のカフェバーそのまま。天井とか壁とかにはレコードジャケットが貼ってあり、マニアは「ああ、もったいない」なんて言いそうだ。でももう一回言いますが、ここではあの輝ける80年代のまま時間が止まっているのだ。だからいいのである。
 数日前から何となく懐メロにハマっている僕は、りんりんさん『Best Hits USA』なるテレビ番組を教えてもらい、もう完全に頭脳が退行現象を起こしている。まあいいか。ムリに反抗しないで、ここでどっぷりと昔に帰ろう。


三人のイタリア人 その2

2004-05-14 01:26:50 | 連載もの 三人のイタリア人
 さて、soroさんのnaturalな生活ぶりから僕は三人のイタリア人を連想したわけですが、彼らが口にするモノの“いかに自然に近い状態か”ということへのこだわりは次第に明らかになっていきます。
 彼らはストゥッコ(stucco)職人でした。これは日本でいえば漆喰のようなもので、コテとかヘラのようなもので幾層にも塗り重ねていく技術です。ドルチェ&ガッバーナの内装はこれで統一されているようで、紀尾井町の現場は壁と天井の仕上りがストゥッコの指定でした。
 日本のペンキ職人でもストゥッコ塗りをやる人はいます。しかし彼らにやらせると、決まってきれいなウロコ模様を描いてしまう。イタリア人にやらせると不規則な模様なんですが、それが仕上がると光の加減で微妙な陰影が現れて美しいわけです。まあそれは僕も工事の最後のほうで初めて知ったわけですが。
 二日目の昼下がり、彼らは三人でそれぞれ手持ちのエリアに散って三者三様の仕事をしていました。一番眠い時間帯です。突然静寂を破って、「ナァニィ~!」という大声が聞こえました。奥の部屋にいるレオパルドの声です。すると僕の近くにいた一番若いファビリッツィオが「ナニィー」と少し面倒くさそうに言い返します。顔はニヤニヤとしていました。暫くするとまた「ナァニィ~!」で、ファビリッツィオかマッスィモが「ナアニィイ~!」こりゃあいったいなんじゃらほい?
 通訳の人に訊いてみると、イタリアの子守歌の中に「ナァニイ」という赤ちゃん言葉があり、それは「眠れ眠れ」みたいな意味らしいのです。で、それを一番眠たい時間に叫び合っている。つまりはふざけてお互いに「ね~むれよねむれ~」とやり合って寝ないように牽制しているわけです。むっつりしていた彼らがとたんにそんなおかしなことを始めたので、僕はすっかり愉快になって「ナァニィ~!」とやり返しました。すると奥からレオパルドが出てきて「アヤート・・・」と八重歯を光らせてニヤリ。
 その日の夕方、彼らから相談を受けました。エスプレッソを飲みたいのだが、コンロはないだろうかというのです。見ると小さなエスプレッソマシーンを持参していました。「お、こいつは本場のエスプレッソが飲めるぜ・・・」
 僕は早速帰りにブルーギャスのカートリッジストーブとカフェ・ノワールのエスプレッソ用の豆を買いに行きました。これから現場は暫く面白いことになりそうです。
 
 つづく
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