『りんぐりんく』“人間観察2”~にトラックバック。その元はロココさんの“その人の愛読書”~という記事です。その元はalbero4さんの“La scelta sbagliata”・・・もうぐるぐるですね~♪
4月のことですが、隅田川下流を散歩した一日がありました。清澄白河付近から親水公園を歩いて下ったのです。


ここでクイズ。この写真はどこでしょう?
ヒント1、石井明美『CHA-CHA-CHA』
ヒント2、トレンディードラマ
そうです、ここは清洲橋。TBSのドラマ『男女七人夏物語』の舞台となった橋ですね。左側の画像に写っている茶色いマンションが今井良介(明石家さんま)の住んでいたところ。健在です。あ、いかんいかん。思いっきり話しが逸れてるぜ。
ここから首都高の隅田川大橋、永代橋をくぐり、公園が切れたところを迂回。聖路加ガーデンあたりでまた川岸へ戻る。隅田川は昔より断然きれいになっています。ボラかなにかの稚魚が群れをなしていたり、くらげが漂っていたりするのが見えるのです。匂いもとくに臭さはなし。
そうして長いこと歩いて、昔跳ね上げ式だった勝鬨橋までやってきました。このたもとの川岸に、小川テントとかコールマンの立派なテントがいくつか並んでいるのです。どれも周りを整頓していて、住人はディレクターズチェアにゆったりと構えていたりします。フリー・フローティングの人々ですね。多摩川の下流域などにはブルーシートや木材で作った昔ながらの住居が並びますが、こちらではだいぶ様子が違うようです。シュラフや毛布もきれいだし、洗濯物は目立たないように陰に干しているという配慮まで見られます。陰惨な感じが全くしない。彼らもまた東京人の気質を持っているのですね。さっぱりしている。
『男女七人夏物語』は86年のドラマでした。あの頃の日本はバブル真っ盛り。しかしホームレス先進国(失敬)の米国は、先日お亡くなりになったレーガン大統領の元で双子の赤字に苦しんでいて、不況の真っ最中。ニューヨークではホームレスが何人も凍死した冬がありました。
現在の我が国では、ホームレスの人々を支援する団体もいくつかあり、シャワー、仮の住居、さらには就労斡旋と日々大変な苦労をされているようです。一方僕がフリー・フローティングと表現する人々は、どういった生計を立てているのかは不明だけど、どうも「俺は誰の世話にもならないぜ」という信念をお持ちのようです。こざっぱりとしたテント生活をしているから、もし行政(住民?)からクレームがあればすぐに移動してしまう。ラジオと新聞で世情を眺め、夜は読書と会話。みんなで集めてきた酒もある(後日、僕はどういうわけか一人の男に酒をふるまわれました。バクダンってやつです!)。その暮らしぶりは粋と言ってもいい。
一番印象的だった光景は、犬を散歩させている近隣の人々とテントの住人が、夕陽の中で穏やかに会話をしていたというものです。どの道にも粋を極めようとするのが人間の面白いところですね。そしてそれを許容する周囲の人々の寛容さよ。
追:この記事はいわゆるホームレスの生活を推奨するものではありません。娯楽としてお読み下さい。
4月のことですが、隅田川下流を散歩した一日がありました。清澄白河付近から親水公園を歩いて下ったのです。


ここでクイズ。この写真はどこでしょう?
ヒント1、石井明美『CHA-CHA-CHA』
ヒント2、トレンディードラマ
そうです、ここは清洲橋。TBSのドラマ『男女七人夏物語』の舞台となった橋ですね。左側の画像に写っている茶色いマンションが今井良介(明石家さんま)の住んでいたところ。健在です。あ、いかんいかん。思いっきり話しが逸れてるぜ。
ここから首都高の隅田川大橋、永代橋をくぐり、公園が切れたところを迂回。聖路加ガーデンあたりでまた川岸へ戻る。隅田川は昔より断然きれいになっています。ボラかなにかの稚魚が群れをなしていたり、くらげが漂っていたりするのが見えるのです。匂いもとくに臭さはなし。
そうして長いこと歩いて、昔跳ね上げ式だった勝鬨橋までやってきました。このたもとの川岸に、小川テントとかコールマンの立派なテントがいくつか並んでいるのです。どれも周りを整頓していて、住人はディレクターズチェアにゆったりと構えていたりします。フリー・フローティングの人々ですね。多摩川の下流域などにはブルーシートや木材で作った昔ながらの住居が並びますが、こちらではだいぶ様子が違うようです。シュラフや毛布もきれいだし、洗濯物は目立たないように陰に干しているという配慮まで見られます。陰惨な感じが全くしない。彼らもまた東京人の気質を持っているのですね。さっぱりしている。
『男女七人夏物語』は86年のドラマでした。あの頃の日本はバブル真っ盛り。しかしホームレス先進国(失敬)の米国は、先日お亡くなりになったレーガン大統領の元で双子の赤字に苦しんでいて、不況の真っ最中。ニューヨークではホームレスが何人も凍死した冬がありました。
現在の我が国では、ホームレスの人々を支援する団体もいくつかあり、シャワー、仮の住居、さらには就労斡旋と日々大変な苦労をされているようです。一方僕がフリー・フローティングと表現する人々は、どういった生計を立てているのかは不明だけど、どうも「俺は誰の世話にもならないぜ」という信念をお持ちのようです。こざっぱりとしたテント生活をしているから、もし行政(住民?)からクレームがあればすぐに移動してしまう。ラジオと新聞で世情を眺め、夜は読書と会話。みんなで集めてきた酒もある(後日、僕はどういうわけか一人の男に酒をふるまわれました。バクダンってやつです!)。その暮らしぶりは粋と言ってもいい。
一番印象的だった光景は、犬を散歩させている近隣の人々とテントの住人が、夕陽の中で穏やかに会話をしていたというものです。どの道にも粋を極めようとするのが人間の面白いところですね。そしてそれを許容する周囲の人々の寛容さよ。
追:この記事はいわゆるホームレスの生活を推奨するものではありません。娯楽としてお読み下さい。