くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

神岡鉱山と桃源郷 最終話

2004-05-23 17:42:39 | 連載もの 神岡鉱山と桃源郷
 岐阜の太陽もなかなか強烈だ。露出した腕に塩の結晶が浮いている。帽子に川の水を満たしてそのままざぶりと被る。黒いサンダルが熱い。
 小さなルアーを投げては引き、投げては引いたがアタリはない。浅いところ、深いところ、その中間。速くしたり遅くしたり、それをミックスしたり。
 これは腕が悪いのである。僕は釣りが下手だった。
「お~い、どこにいるのか教えてくれ」下流で遊んでいた少年に声を掛けた。彼は軽快に岩を伝ってきて深みにどっぼーん。少ししてひょっこりと頭を出したところはカッパのようである。見たことはないが。
「なんだあ、ここん中にいくらでもいるぞお!」
 なんだよお、ちっくしょう。ちょいと一服するか。
 ハッカ煙草を吸ったあとでビーフジャーキーをくちゃくちゃやっていると、R君がやってきた。
「どうすかどうすか?」顔がすっかり灼けている。
「アタリがない」
「僕は何度かアタッたんですけど、上げられない」
「たくさんいるんだけどなあ」
「ちょっと上流に行って来ます」大岩を超えて、またすぐに見えなくなった。
 リュックからルアー箱を引っ張り出して、REBELの白いバッタ君を取り出した。冷たい雨の降る芦ノ湖で、見事な虹鱒を上げたやつだ。水面にプカリと浮くので可愛いやつでもある。久しぶりだな、また頼むぜ。
 軽いから投げるのに苦労する。音もなく例の深みに着水。ちょいちょいと鋭く引っ張る。その姿はいかにも「あああ落ちてしまった困った困った・・・」という感じだ。陽はいよいよ天空の真上にあって、このまま釣れなかったらヒルネしよう、などと不真面目なことも考えてしまう。
 その瞬間はいつも突然訪れる。水面が割れた瞬間“バクッ”とか“カプッ”という音がして、我が白いバッタ君は一気に引きずり込まれた。ゆるめにしていたアンバサダーが悲鳴をあげて、糸が一気に引き出される。うわわわわ! 
 興奮してどうしたらいいのか分からない。竿を立てるべきか、下げるべきか。急にこっちに向かって来ると糸がフケる。慌てて巻き取ると今度は上流に向かって突っ走っていく。あああRちゃんこいつはすげえ、どこかで見ていてくれよ!
 対岸で見ていた少年が何かを叫んでいるが聞こえない。するとまた水面が割れて、白く輝くぼてっとした姿が現れた。
 何だあいつ? あんなに太ったアマゴなんているのか?kohan200.jpg
 一瞬のことだった。たるんだ糸を慌てて巻き取ったが手応えはなくなっていた。バッタ君、無事生還。
「何だよへたくそだなあ兄ちゃん。あれなら三人で食えるぜ」
 僕は呆然として声も出なかった。膝が震えている。
「どうすかどうすか」R君が再び現れた。僕は指さして、それから両手を広げようと思ったがやめた。釣り上げることは出来なかったのだ。そんな話しをしてもしょうがない(そういえば今までこの話ししてなかったな。Rちゃんこういうことだったんだぜ)。
「暑いからさ、一回キャンプに戻って潜って遊ぼうぜ。そんで夕方に高原川本流に行ってみよう」
「それもいいっすな。こうなったら網ですくってやる!」
 川も鱒もどこにも逃げはしない。休暇はまだまだ始まったばかりなのだ。

 おわり
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神岡鉱山と桃源郷3

2004-05-22 14:46:24 | 連載もの 神岡鉱山と桃源郷

 そのテントサイトは申し分ない場所だった。背後には杉林があって北風を防いでくれる。地面は水はけの良さそうな土。山間の中でそこだけ広々としていて、薪はいくらでも使っていいという。そして目の前には砂利道を挟んで双六川の流れ。桃源郷だと言われた、その流れである。
 翌朝は快晴だった。早くも気温が上がっていくのが分かる。まずはコーヒー、そのためには水くみだ。木立のあいだを降りて、流れにポリエチレンバッグを突っ込む。川底にはマーブル模様の石、沈んでいる枯葉、砂の目までがはっきりと見える。流れの水に色というものがまるでないのだ。すべてクリア。
「こりゃあすげえ」僕はニヤニヤしながら水を満たしたバッグを持って戻った。R君はパーコレーターをいじっている。
「どうすかどうすか?」
「あんまりきれいだから魚はいないかもよ。あとで潜ってみるか」
「うっひゃあ! 手づかみしてやろう。昨日は不覚にも寝てしまいましたからね!」
 小麦粉を水で溶いたものを、鉄のフライパンで何枚も焼いた。味付けは塩のみ。ビーフジャーキーとともに油紙に包んでおく。一旦出掛けたら夕方まで戻ってこないことは分かっている。ポケットに入れておいて、すぐに食べられるような弁当がいいのだ。
 トーストを焼いてコーヒーとともに食べながら、ゆっくりと地図を調べた。昨日通ってきた道を下ると双六川は高原川に合流するのだが、その途中で淵や早瀬、淀みがあるようだ。ポイントだらけである。
 高原川との合流地点の地名を見て僕は大声で笑ってしまった。そこは『桃原』という地名なのだ。
「よしよし、ここは本当に桃源郷だぞ!」
「合流点まで下ってから釣り上がってきますか?」
「んなこと出来ねえよ。いいところ見つけたそばから攻めようぜ」
「いえ~い!」
 使った食器は水を張ったバケツに突っ込んで、競争するように道具を用意した。R君はダーデブルのスプーン、僕はメップスのアグリアだ。あとは振るだけでいいようにセットして、いよいよ出発。
 中流附近の対岸にキャンプ場があった。目の前の流れでは少年少女たちが飛び込みをして遊んでいる。ここがいかにも連れそうな場所。
「お~い、ちょっと上で釣りするからな。気を付けろよ~」声を掛けると何人かが手を振って応えた。
「ここには主がいっからよう、お兄ちゃんたちそいつを釣ってみろよ」
「そいつは何だ?」
「あまごの化け物だよう。1メートルあんだぞう」
 なんだっておい。
 R君は岩を越えていってすぐに見えなくなった。僕は大岩のあいだから水が落ち込んで深くなっているところを狙う。陽が身体を照りつけ、対岸の林からはセミの大合唱。小さなアブがやってきて、汗をかいた肩や腕にとまる。茶色い口を伸ばしておずおずと塩を舐めはじめた。
 アブ君、ちょっとごめんな。初めての一振り。初めての流れでの、人生で一度しかない貴重な一振り。赤と金のスピナー、アグリアは軽やかに飛んでいき、狙った深みに着水。そこから上流へ向けてやや深いところを走らせた。
 すぐ左手の淵でドボンと腹に応える音がする。うわわわ。一体どんな大物がいるんだよ?
 
 つづく
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神岡鉱山と桃源郷2

2004-05-21 10:45:38 | 連載もの 神岡鉱山と桃源郷

 この記事は『lonestar Blog』“あまご料理。”~から想起させられた旅の想い出話しです。

 158号線の別名は野麦街道だ。松本電鉄が併走し、道ばたにはコスモスが咲いている美しい街道である。終着駅新島々を過ぎたあたりから高度がぐんぐん上がり、やがて道は山腹を縫う細い山道となる。眼下には梓川が流れ、R君はハンドルを握りながらもちょくちょくそっちを眺める。絶景だけどコワイぜおい。
 奈川渡ダムの連続トンネルを抜ける。ここは充分に地図で予習しておかないと分かりづらいところだ。トンネルを出たとたんに分岐道があるのだ。おまけに狭くて暗いのに地元ドライバーはかなりの速度を出している。まるで陰気なところを早く抜けてしまいたいとでも思っているように。初めてここを通るR君の横顔も引きつる。
 曲がりくねった安房峠を越えるとついに岐阜県である。岐阜に入ったのは初めてのことだ。平湯温泉で471号線に乗ると、遙か眼下、崖の下に川が見える。道沿いを並行して流れている。
「これだせRちゃん」
「え、これが高原川っすか!」
「ついに来たよ、おい」
 もう夕方の気配だ。立ち寄り湯を見つけたので休憩することにした。東京品川を出発して約7時間。多少でも明るいうちにキャンプを設営しないといけない。
 崖を降りていくと川沿いに混浴の野天風呂があった。地元のうら若い女性がいたので身体にタオルをぐるぐる巻いて入った。R君は疲労が濃いようだが目は川面に注がれている。そこはかなりの急流だ。
「夜釣りしていいっすか?」彼はどこまでも釣りキチである。
「いいよ、俺は飯を作っておこう」
 ぐるぐるタオル仲間となった女性に尋ねると、双六川沿いにはあちこちに空き地があるとのこと。さらに上流の金木戸川には民家、牧場なし。つまり川の水をそのまま飲めるわけだ。
「お二人でキャンプですか?」
「はあ」
「まあ素敵ね。わたしたちもお邪魔していいかしら」
「バカを言っちゃあイケナイ。女が来たら魚は釣れないんだ」
「あら悔しいあんなこと言って。ねえヨシコさん」
 時代背景はいったいいつだ、という会話。それにしても実際の混浴というのは男のほうが緊張してしまって、意外にもツマラナイものである。スーパー、酒屋、釣り道具屋等の場所を教えてもらってお別れした。とても貴重な情報だ。
 山の稜線へと向かう夕陽と競争しながら残りの道を走った。高原川に流れ込む双六川にも、すぐ川縁に道が続いている。周囲を見渡すと木造校舎や火の見櫓。狭い道は簡易舗装と白いコンクリ。うんと懐かしい、日本の原風景だ。
 金木戸川との分岐点で未舗装の道に乗り入れると、広くて平らな土地が開けていた。そばに民家があったのでテント設営の許可をもらう。そんな頼み事をされたのは初めてのようで、少々びっくりしていた。
「伐採した杉があるだろ? あれ好きなだけ使っていいからな」ここらは気分のいい人ばかりだ。
 岐阜県上宝村。ロングキャンプの初日はこうして始まったのだ。
 
 
 つづく
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神岡鉱山と桃源郷

2004-05-20 16:07:27 | 連載もの 神岡鉱山と桃源郷
 今、手元に一冊の大学ノートがある。西暦が変わるより少し前の、僕の“徒然”ノートだ。後半には友人や親しかった部下の書き込みがある。みな個性豊かで文体も様々。その中にあるR君の記述を、僕は読んでいた。2枚の国土地理院発行5万分の1の地図とともに。
 彼は釣りが何よりも好きで、
「気持ちとしては釣りの合間に仕事をしています」
とノートには記してある。これはもちろん気持ちだけで、実際は僕の会社は目が回るほど忙しかった。毎日関東中に部下を派遣して、僕自身も腰袋とゲンノウ(かなづち)を下げて飛び回っていたからだ。
 その頃は僕も釣りに熱中していて、芦ノ湖のブラウントラウト、北浦のブラックバス、品川の埠頭でのシーバスと、休日にはR君と出掛けることが多かった。現場で知り合った釣り好きの職人を20人近く集って、河口湖バス釣り大会を催したこともあった。そう、僕も彼も本当に釣りキチだったのだ。
 ある夏のこと。麹町のG会館建築現場で知り合った大工仲間に、高原川という川を教えてもらったことがあった。人があまり入ってなくて、虹鱒とアマゴとなまずがどっさりといる田舎の川だというのだ。
「ここは神岡という鉱山町で、そもそも人の少ない土地なんだ」
「そんなにいい川なら釣り人が集まってるだろ」僕は軽く突っつく。
「俺はあの附近の出身だ。今でもそう変わってない」
 さらにこれは絶対に秘密だが、と彼は声を潜めた。
「ここに流れ込む双六川、ここはすごい。岩魚とアマゴがうようよいる」
「・・・!」
「何ならポイントを書いてやる。おい、あの川は桃源郷だぞ」
「・・・ !!」
 こんな話しを聞いて奮い立たない奴は男ではないだろう。釣り人はホラ吹きという大原則があるが、話し半分としたってすごいではないか。
 その現場の盆休みを利用して、R君と僕はハヤる気持ちを抑えながら東京を出発した。田舎だから小さい車で行った方がいいだろうとのアドバイスに従い、R君のトヨタカローラ・ハッチバックに乗り込んだ。後ろにはコールマンの大型テントとタープ、その他ぎゅうぎゅうに詰め込んである。中央道を走り、広大な甲府盆地を抜け、長野自動車道の松本で降りて国道158号線へ。乗鞍にスキーに行く人にはおなじみのコースだ。長い道中だが、R君も僕も興奮し通しである。
「いったいどんなところだろうなあ!」

 つづく