くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

緩慢なフランスパンの丘 最終話

2006-01-24 22:02:43 | 連載もの 緩慢なフランスパンの丘

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 九十八年の夏、僕はいそいそとキャンプに出掛けた。すなわち、山麓のとある小村に向かって、キャンプ道具を満載したセダンを走らせたのだった。
 車は山道を登っていき、しまいにはすれ違うことも困難なほどの細道となった。
 路肩には松葉が厚く堆積していて、タイアはしばしば空転した。僕はアクセルに乗せる重量を出来うる限り減らした。スピードメーターは二十キロを示していた。

 標高が千メートルを超えた頃、目の前が輝いた。鬱蒼とした樹林帯を抜け出たのだ。
 白く輝いていたのは、コンクリートで舗装された路面だった。地方の古いままの道路には、こんなコンクリートの路面があるものだ。
 僕は期待に満ち、そこからあの白樺の林へと入っていったわけだ。

  了


緩慢なフランスパンの丘 その4

2006-01-23 22:02:05 | 連載もの 緩慢なフランスパンの丘

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 白樺の林にはいつでも行けるわけではない。最近行ったのは、およそ二年前のことになる。
 僕はその頃、非常に特殊な状況にあった。実のところ、毎晩毎晩、戦さに出ていたのである。
 小高い丘の上に陣地があったのだが、僕はそこに“サロン”と称する場所を設け、児島スバルや諸々の文学者を招いて歓談した。スバルはあの怪物、児島善治の孫であったが、実にいい青年だった。

 敵地はすぐ目の前にあり、そこから刺客やスパイもやって来た。しかし「戦時こそ文化活動が必要」と称して、僕は毎晩サロンを開いたものだ。


緩慢なフランスパンの丘 その3

2006-01-23 14:39:06 | 連載もの 緩慢なフランスパンの丘

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 この林の中に、木造の家屋がある。
 丸太小屋のようだが、粗野な造りではない。手に触れる部分は柔らかくて、少しだけ品がいい感じだ。
 中に入ると、壁も床も板張りで、天井の低い部分からは網のハンモックが吊り下がっている。ここにはいつも、コットンのブラウスが何枚か重なっている。襟のあたりがひらひらしたデザインで、色は生成だ。

 これが誰のものなのか、いつも分からない。妹のものだと考えるのがぴったりくるのだが、妹はここに住んでいない。母も住んでいないし、別れた妻もいない。
 もともと、この家には誰もいないのだ。生活臭というものがまるでない。それでいて、ベッドのカバーやシーツはいつも乾いていて清潔だ。
 ここで得る睡眠は、他とは比べものにならないほど快適なものだ。


緩慢なフランスパンの丘 その2

2006-01-22 06:55:00 | 連載もの 緩慢なフランスパンの丘

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 その生活地は白樺の林の中にあって、しっとりと湿った地面のあいだには小さな流れがある。
 流れには丸太を組んだ橋が架けられている。もっとも、その橋を渡る必要はない。何しろ小さなクリークなのだから、僕はいつも飛び越えてしまう。
 おそらくその橋は、地面を歩く山女魚や、夢のように不意に訪れる幸運のためにあるのだと思う。

 林の中には、あまり色がない。せいぜい、地面に黄色っぽい枯れ葉が散り敷いている程度だ。よく目を凝らせば、黒々とした土や茶色い丸太橋も見えるのかも知れない。しかしぱっと眺めた時には、全体は白っぽくて明るいだけなのだ。


緩慢なフランスパンの丘

2006-01-21 06:28:00 | 連載もの 緩慢なフランスパンの丘

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 こうして万年筆を動かしていると、揺るぎない現実の世界が身の回りにあるなと思う。
 スピーカーからは控えめに音楽が聞こえてくるのだし、窓外では相も変わらず電車が走っている。扉の向こうでは、例の若者がショッピングカートを押していくガラガラという音もする。

 十年前、万年筆がカートリッジ式だった頃も、やはりハ長調プレリュードが流れていた。それは現実のことだった。
 さらにその十年前、都会を夢見て上京した時にも、何らかの現実はあったわけだ。

 しかし僕には、こういった現実とは別の、もう一つの現実の生活がある。