くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

グルメの向こう側にあるもの

2004-06-24 15:57:32 | エッセイ

 先週、『キッチン・ストーリー』という映画を観た。スウェーデンの学者たちが、独身男のキッチンにおける動線を調べようとして、調査団をノルウェーに送るところから始まるストーリー。舞台設定は50年代初頭。簡素なセットの中にミッドセンチュリーの家具が登場するところも魅力だ。
 この作品はいわゆるスロー・ライフのお手本とも評価されている。スロー・ライフといえば、真っ先に思い浮かぶものが食文化だ。昨今のファースト・フードの対義語としてのスロー・フード。のんびりとシチューを作る。調理の時間を楽しんで過ごす。生活の基盤は食、そこから全体を見直そうというものだ。
 しかし『キッチン・ストーリー』では、時間をかけて調理をするようなシーンは一カ所も出てこない。缶詰のソーセージと酢漬けのニシンをそのまま食べる。手弁当はライ麦パンにチーズを挟んで一個のゆで卵を添えただけ。そんな質素を極めた食事の描写ばかりだが、ことさら美味そうに見えてくるから面白い。
 スロー・ライフには「シンプル」という言葉が重要な関わりを持ってくるようだ。そしてミニマリズム。もともとは美術用語だが、昨今はライフスタイルを語るときにも頻繁に登場する。「余計な装飾を一切省いたもの」「最低限のものだけで」という意味だ(過去記事『スロー・スロー・クイック・クイック』も参照されたし)。
 新鮮なアスパラを買ってくる。産地を見ると信州だ。R141、清里、信濃平、燃えるような糸杉の紅葉、そんな光景を思い浮かべながら湯がく。あざやかなグリーンになったところでその残り湯を使って卵を一つ茹でる。どうせ固茹でにするのだから気を遣うことはない。お気に入りの大きな器を出しておく。音楽は何にするか暫く真剣に迷う。久しぶりにスリー・テノールズの日本公演を聴こうと決める。安い赤ワインを一口飲んで、ゆで卵を細かく刻む。水分をしっかりととったアスパラを器に並べ、上から刻んだゆで卵をバラまく。塩、胡椒を振ってエキストラ・バージン・オリーブオイルを垂らせば立派なイタリアンの一品である。
 カルロスが、ドミンゴが、パヴァロッティが、「川の流れのように」を歌っている。ゆっくりと信州産のアスパラを味わう。紙パック入りのカリフォルニア産ワインを飲む。オリーブオイルはトスカーナ産。調理はほんの十数分で済んでしまった。その間に心は信州、霞ヶ関、カリフォルニア、トスカーナと各地を巡る。充実した、ごくありふれた日常の生活。これ以上望むものをあえてあげれば、隣に落ち着きと優しさに溢れた女性が一人というところ。無論そちらはあまりスローに構えていられないのだが。


伝え方

2004-06-24 12:48:37 | エッセイ
『No Blog,No Life!』“取り上げられてしまった写真機。”~にトラックバック。こうやって記事の一部にインスパイアされて違った話題を展開していくのもトラックバックの愉しさですね~♪
 ちょっと空梅雨気味ですが、今年もキチンと夏がやってきました。そして八月十五日がやってきます。
 僕は東京新聞が一番好きなのですが、読み始めたキッカケは不埒な理由でした。学生のときにどの新聞を購読するか考え、一番安いものにしたのですね。東京新聞は薄くて(全面広告などまず入らなかった)折り込みチラシなども殆どありませんでした。流通の原則から考えると、企業の広告が多いほど新聞本体の単価が安くなるはずですが、どうも違うようです。
 しかし肝心の記事が少ないわけではないのです。そしてこの新聞の基本姿勢は中道派。ここが僕には一番大事なところでした。大学の図書館で朝日と読売の違いを読んでおけば充分です(他の新聞の個性については割愛します)。
 そしてこの新聞の面白いのが『筆洗』。これは『天声人語』みたいなトップページの読み物です。特に僕が学生の頃に読んでいたものは面白かった。昭和の終わり頃です。
 毎年終戦記念日が近づくと、各誌ともこのコーナーで戦争をテーマにした話しを展開していきます。八月十二日あたりからは担当の作家の腕の見せどころです。どの新聞でも連日戦争の話しを書いているから、少しでも新鮮味のあるものを毎日もってこないといけない。浅く深く、軽く重く。これは大変な苦労だなあと思います。ブログで毎日記事を書いているみなさんもうんうんと頷くのではないでしょうか。
『筆洗』の作者(当時)は、これが実に巧かったのです。人間はどんなにいい話しでも毎日続くと飽きてしまうものです。そこをうまく揺さぶって、いろんな話題から戦争の話しに持っていくんですね。
 そして肝心の八月十五日、終戦記念日当日。各誌とも最後の最後、一番気合いを入れた記事を載せてきます。「これでどうだ!」ととどめを刺すのです。しかし『筆洗』はこの日、戦争の話しを書かないのです。「奥多摩は氷川という町に・・・」なんて全然違う話にしてしまう。温泉とか、ローカルな話題とか、爽やかな涼風に吹かれたような記事を持ってくる。これにすっかり僕はまいったわけです。
 今日soroさんの戦争体験の記事を読んで、そんなことを想い出しました。soroさんはいつも柔らかい口調(文章)で楽しい記事を配信してくれますが、あの悲惨な戦争の体験談も、soroさんの語り口だと響いてくるものが違ってくるようです。


どっちにする?

2004-06-23 19:49:29 | 東京の美味い店
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 以前ちょっとだけご紹介した芝浦のお好み焼き屋に行ってきますたあ♪ ここは『和散歩日記』作者のMicchanに教えてもらったところです。自分の住んでいる街の店を紹介してもらうなんて面白いですね~。ブログのつながりって本当に面白い。

~お好み焼き・鉄板焼き むさし 港区芝浦3-6-8 03-3454-7386~

 この日は「お好み焼きなら任せてよ!」という助っ人モデル(なにそれ?)に焼いてもらいました。画像では分かりづらいですが、厚みが違うのです。鉄板にフワっと乗せたらあとは放置。裏に焼き色がつきたら一度ひっくり返すだけなんですなあ。「ヘラで抑えたりしませんっ」とのこと。
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こんなにしてしまい(鰹節と青のりね)

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こんなことに。もう、まっこと美味かったです! ソースの塗り方もコテッと上手く盛り上げるのですな~。この切り方が“大人の切り方”だっけかな? ピザ風の切り方じゃないですね。

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 どっちにする? ってことは、こういうことですた。生粋の東京人である僕がもんじゃさんを担当。まずはオーソドックスに土手を作ります。

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 中に残っただし汁をブチまけます。少しずつのほうがいいかも。

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 でも土手を作って慎重に焼く、なんてえのは無粋なんですな。もんじゃなんて遊びながら焼くものです。飛び地に自分の陣地を作ってそこで好みの焼き具合に仕上げて遊びます。わざと土手を決壊させたり、美味そうな相手の陣地を横取りしたり、酔っぱらいながら楽しく食べるのが粋な遊びってもんです。
追:Micchanここを紹介してくれてありがとう~♪ ホントに美味しいお店だったよう!


連載小説『バイブレーション』最終回

2004-06-23 00:27:52 | 連載小説 バイブレーション
「とてもいい演奏だったわ。激しくて、音色が美しくて、思っていたより音が大きかった。はじめは、目の前にしている人たちがその音を出しているんだということが、なかなか認識出来なかった」
 鈴原さんはそう言って、自分の言い回しに笑った。
「実は、生でオーケストラを聴いたのは、今日が初めてなの。だから、すごく感動したし、不思議だった。ひょっとして、どこかで大きなスピーカーが鳴っているのかなと思った。あらためて、自分が視覚に頼りすぎているんだな、と思ったの」
 隣では町田先生がにやにやと笑っていた。彼女が気付き、軽く肘をつついた。
「町田さん、わたしがあなたを気に入っていると言ったの。そういうことはすぐ分かるんだって。まったくもう。それでいて、今日なんかは演奏の途中で寝てしまったのよ。いい演奏だったから良く眠れたんだ、なんて言い訳してたわ。まったく」
「ああ、それは僕のおやじもよく言っていたな。クラッシックに興味なんかないと言いながら、僕が指揮をするときには必ず聴きに来ていた。そしてすぐに寝てしまったらしい。でも演奏がまずい部分があると、良く眠れないと言っていたんだ。詳しく聞くと、それがうまく出来なかった楽章の部分なんだ。不思議だね」
「これから、予定は、ありますか?」町田先生が訊いた。
「打ち上げの飲み会があります。そうだ、よかったら、お二人とも来てくれませんか? メンバーに紹介したいし」
「いいんですか、メンバーさんの中に入れてもらって?」彼女が町田先生を見て、訊いた。
「もちろん。これからちょっと後片付けがあるけど、そのあとで大きな居酒屋に行くことになっている」
「恋の予感」町田先生が突然言って、肩をすくめてみせた。鈴原さんが赤くなり、彼の腕を強く叩いた。
「君の言うとおりなのかもしれない。僕や君は視覚に頼りすぎている。ちょっと試してみよう」
 僕は町田先生の左手を握った。反対の手で鈴原さんの手を握った。彼女はすぐに理解し、三人で手をつないで輪を作った。
「さあ、目を閉じるよ」
 それから暫くのあいだ、僕らは目を閉じていた。演奏会が終わったことの、興奮感と脱力感が交じり合った複雑な感情を、二人が受け取っているような気がした。鈴原さんと町田先生からは、種類の違うバイブレーションを受けた。町田先生からは単一で強い波長、鈴原さんからは太く暖かい波長。それらが三人のあいだを回っているようにも思えた。
「みんな、ひとつになっている」町田先生が呟いた。
「こんなのって、初めて。養護学校で仕事をしているのに、大切なことを忘れていたような気がするわ」
 目を開けると、視覚が脳を支配した。町田先生は敏感に感じ取り、手を放した。鈴原さんも目を開けた。
 何となく気まずい雰囲気になった。町田先生がそれを破った。
「あとでまたやりましょう。楽団の人も入れて全員でね」

 おわり
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連載小説『バイブレーション』その6

2004-06-22 01:20:52 | 連載小説 バイブレーション
 ステージの上には、四十人程度の生徒たちが、背筋を伸ばして整列していた。瞼を閉じている生徒が何人かいる。鈴原さんが袖からステージに上がっていった。
 校長がやってきて、深々とお辞儀をした。僕の手をとり、ステージに上がった。二人で親たちを前にした。
「この先生が校歌を作曲してくれました。とても良い曲です」
 拍手が起こった。親たちは非常に真剣な表情で、自分の子供を眺めていた。校長が、あそこに座って下さいと囁いて、ステージの真正面の席を指した。席をとっておいてくれたようだった。
 席からステージを見上げると、指揮台には町田先生が上がっていて、生徒たちのほうを向いていた。その右手には指揮棒が握られていた。
 ステージの、向かって左端にアップライトピアノがあり、鈴原さんが座っていた。Cの音を一度大きく鳴らした。町田先生は首を敏感に動かし、指揮棒を上げた。生徒たちは緊張が増したようだ。額に汗をかいているものが多かった。
 やがて町田先生が指揮棒を四拍子で一回振り、二回目のアフタクトで鈴原さんが前奏を弾き始めた。町田先生は全身で何かを感じとろうとしているように身体を動かしながら、指揮をした。歌が始まる章節では、生徒たちに大きく指揮を振った。
 僕は口を開けたまま、すべての動きが止まってしまった。生徒たちは指揮とピアノに正確にリズムを合わせて、歌い始めたのだ。言葉が聴きとりづらいが、音程は完全に合っている。しかもアルトとテノール、バスの三重唱だった。僕の書いた譜面を、そのまま歌っているのだ。
(聾唖とは耳が聞こえない人のことだ)
 その言葉が頭の中をくるくる回りながら、合唱に引きこまれた。まったくみごとな合唱だった。町田先生の、身体をくねらす指揮も、決して無様には見えなかった。彼はまさに全身で指揮をしているのだ。
 三番まで歌い終わると、待ちかねたように大きな拍手が起こった。それはおざなりなものではなかった。僕も思わずブラボーと叫んだ。町田先生が聴衆を振り返って、目を閉じた顔にひまわりのような笑顔を浮かべた。彼も指揮棒を脇に挟み、拍手をした。
 喉の奥のあたりから熱いものがこみ上げてきた。堪えきれずに、涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
 鈴原さんが軽々とした動作でステージを降り、僕のところに来た。慌てて立ち上がった。彼女は僕の手をとり、高々と挙げて親たちに向かった。大きなどよめきと、激しい拍手が起こった。
 ほとんどの親たちが泣いていた。顔をくしゃくしゃにしながら、両手を顔の前まで上げて拍手を送っていた。
 生徒たちを振りかえると、もう緊張してはいなかった。身体を右に左にくねらせながら、拍手を楽しんでいるようだった。
 市民オーケストラの秋の定期演奏会は、無事終了した。楽団のメンバーは、持てる力量を充分に発揮してくれた。『断頭台への行進』も、金管楽器と弦楽器が絡み合った、パワーのある演奏だった。小手先のテクニックに逃げない、良い演奏が出来たと思う。
 鈴原さんと町田先生が聴きに来ていて、楽屋に来てくれた。僕はメンバーと握手をかわしながら、ステージ裏の狭いスペースで二人と会った。

 つづく
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