くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

遥かなるラグーサへの道 最終話

2007-02-17 17:28:00 | 連載もの 遙かなるラグーサへの道

 いよいよ帰国の日。
Last0400
 荷物のパッキングも終わった我々は、宿でのんびりと昼食を摂っておりました。
 折しも晴天。フィレンツェ市内で観光してなかったところも、その日の朝から精力的に回っておいたのであります。
「いよいよ帰国ですね」
「ユーロスターの切符はどこだい?」
「バッグに入ってる」
「確か、12時40分発だったよな。まだ小一時間はある」
「荷物の点検をしておきましょう」
「そうだね...」
 最後の「...」は僕。ふと頭をよぎったことがあったのだ。
 この日。
 フィレンツェ駅から特急列車のユーロスターに乗り、ローマへ移動。そこで1時間ほど観光して、成田行きの日航機に乗る手配をしてあった。
「一応、ユーロスターの発車時刻を確認しておこうか」
「そうね、一応ね。ええと...」
 細君が切符を取り出し、目を通したとたんに青ざめた。
「大変! 20分に発車だって!」
「なんですとお。あと10分もないじゃん!」

Last5400
ともかく無事にローマへ到着

 ぎりぎりで電車に間に合ったのだけど。
 あんなに慌てたことはなかった。
 駅までスーツケースを引きずりながら全力疾走し、ホームにいた駅員に大声を掛けて乗せてもらったのだ。
 通常の国内旅行だったら、電車が一本遅れようと、慌てることはない。他に手だてはいくらでも考えられるのですね。
 しかしこれが海外となると、些細なことが大きなパニックを誘発する。
 ひょっとして、もう二度と、祖国の地を踏むことは出来ないのだろうかとさえ思う(そんな馬鹿な)。



Last6600
どこに行ってもネコをかまう人



Last7400
現代の人が行き交う背後に、紀元前のコロッセオ
十数年前、トレビの泉にコインを投げたっけ



Last8400

 かくして旅は終わったのであります。
 成田に着いて最初に感じたことが興味深かった。
 どこもかしこも清潔で、人々がこじんまりとしていて、駐車場に駐めてある車がみんな新車のように光っていた。
 チェーン店の居酒屋で食べたものが、信じられないほど美味かった。
 こういう異邦人的感覚は2週間ほど続き、それからゆっくりと日常が戻ってきたのだ。
 しかし。
 ラグーサの風景は、明け方の静けさや湿った大気とともに、心に深く刻み込まれている。
 フィレンツェは水道水の匂いをまっさきに想い出すし、立ち寄った街それぞれに、出会った人々の顔が浮かんでくる。
 こうして、いろんな土地に想い出を作っていくことが、生きていくうえでの喜びとなるのだろうなあ。
 読者諸賢よ、もっともっと旅に出ようではないかい。
 おわり



 この連載の初回へ




遥かなるラグーサへの道12 花の都フィレンツェ

2007-02-15 10:29:10 | 連載もの 遙かなるラグーサへの道

Last4400

 フィレンツェはとても活気のある街だ。
 どんなに狭い路地にも、車やバイク(スクーター多し)が入り込んでくる。路上には行き交う人々がたくさんいる。
 シチリアの首都パレルモも活気に満ちあふれていたけど、それとは少々おもむきが違うようだ。
 では、どこが違うのか。


Last2400
額縁風景その1
ラグーサにて


 ええと、そうだなあー。
 東南アジアや南アメリカの街中の映像を、テレビで見ることがありますね。
 人々が、やたらと通りにいるとは思いませんか?
 通行のために通りにいるのではなくて、立ち話をしたり、ぼうっと風景を眺めたりしている。
 あまつさえ、飯を食っていたりする。
 パレルモは、そういう風景と似ていたのであります。
 山上の都市ラグーサもそうだった。夜の七時頃、夕食を食べるためにホテルを出てみると、通りには人々が溢れていた。


Last3400
額縁風景その2
タオルミーナにて


“人々が溢れる”という言葉を、ワタクシは何気なく使いましたが、本当に溢れていたんです。
「すわ政変か革命か!」と思うくらいに、みんな外に出ているんであります。
 しかし政変の割には人々に緊張感がない。非常に騒々しいが、統一感というものがない。みんなばらばらに話をしている。
 あとで分かったのだけれど、イタリアの人は、家にこもっているよりも外にいることが多いそうです。
 そして顔なじみと話をする。話をするのに、ともかく路上に出てきて、ずーっと立ち話をしている。


Last1400
額縁風景その3
パレルモ郊外、モンレアーレにて


 ここで話をフィレンツェに戻すけれど、フィレンツェはともかく観光客が多い。上を向いてふらふらしている人が、そこら中にいる(僕も含まれるけど)。
 地元の人々はというと、何かしらの目的を持ってテキパキと歩いている。
 だから、パレルモやラグーサみたいに、やたらと地元の人が溢れているわけではないのであります。
 ソフィスティケイトされていると言ってもいいかもしれない。
 ここで僕は、ブログ人の粋人であるalbero4さんに会いたかったのだけど、スケジュールの都合で会えなかった。
 会えなかったのだけど、なぜか彼女のパートナーであるビリーとチッチーノには会えたのだ。
 不思議な話ではある。
 そして、イタリア旅行の最終日。
 ローマ行きのユーロスターを予約してあったのだが、これがえらいことになったのであります。



 つづく
 この連載の初回へ




遙かなるラグーサへの道11 桃源郷

2007-01-31 21:41:22 | 連載もの 遙かなるラグーサへの道

Sgimignano1400
いかにもヨーロッパという風景
サン・ジミニャーノにて
(画像はクリック拡大可能です)

 細君の友人であるマリコ嬢が、ドライブに誘ってきた。
 古都サン・ジミニャーノとシエナに行こうというのだ。
 むろん僕らに否やはない。
 フィレンツェ滞在も三日目。小雨がちだった天候も、ようやく回復したようである。この時期、フィレンツェは雨期なのだ。
 彼女が借りてきたポンコツのホンダに乗りこみ、我々三人組はフィレンツェから高速S2を南下していったのであります。

Sgimignano3600
塔の上に登ると...

 そのホンダ(アコード)は面白かった。ガソリンとLPガスで走る仕組みなのだ。
 両方のタンクを装備していて、ガソリンがなくなってきたら、走行中でもガスに切り替えられる。すごく便利な仕組みなのである。
「でもやっぱり、ガスにするとパワーがないんです」とマリコ嬢は言う。「そのかわり、ガスは安くて経済的なんですけど」
 運転していない僕にはピンとこない。フムフムと相槌を打ちつつも、目は車窓の風景に釘付けとなってしまった。
 糸杉が整列した向こうに、なだらかな丘が連なっている。ずっと牧草地なのか、地面は鮮やかな緑一色で覆われている。
 丘の中腹に、紅葉した樹木がわずかに生えている。グリーンの中に、透き通るような赤やオレンジが浮かび上がっているように見える。
 これが、かのトスカーナの田園風景か。 

Sgimignano2600
いつか新緑の萌える季節にも来たい

 サン・ジミニャーノは静かで落ち着いた街でありました。
 しかしこの日は平日の午後。休日はやはり観光客でごった返しているらしく、女性二人はしきりに
「こんなに空いているのを初めて見た」
などと言うのだ。まったく想像が出来ない。
 古都には、人混みよりも静寂がよく似合う。
 冷たい風が吹きつけてきた。僕らは広場脇の小さなトラットリア(格式張っていない安いレストラン)に入り、ラザニアとワインの遅い昼食をとった。

Siena1400
 暮れなずむシエナの街
路地からカンポ広場をのぞむ

 シエナに着くと、あっという間に陽が暮れてしまった。
 ドゥオーモ(一番大きい教会)、カンポ広場など、観光すべきところを急いで見て廻る。どれも興味深くはある。
 しかしこの頃、僕はイタリアの都市に麻痺してしまっていた。もったいないことだと思うけど、要するに飽きていたのですね。
 カンポ広場の、すり鉢のような斜面に立って建物を眺めていると、一人の老人が話しかけてきた。
「ここの建物は、すべて貴族の持ち物なんだよ」
「わしらのような凡人がいくらお金を出しても、オーナーになることは出来ない。こういう古い建物はずっと保存していかないとならないし、そういうのは貴族の義務なんだよ」
 土地の言葉で、そのようなことを教えてくれる。分かりやすく話そうと努力していることが、よく分かる。
 フィレンツェへの帰り道、車窓からは星がよく見えた。東京とは比べ物にならないほど夜空が澄んでいる。 
「あ、カシオペアだ!」
「すると隣がはくちょう座ですね」
「日本と同じ星座が見えるんだなあ」

 それから後も、フィレンツェでは多くの人と会った。日本人はもちろん、現地のイタリア人もいたし、友達の友達という英国人もいた。
 驚くべきは、そのすべての人物が、ブログが縁で知り合ったことである。
 遙かなる異国の地で思い知ったのは、人とのつながりのありがたさでありましたよ。


 つづく
 この連載の初回へ


遙かなるラグーサへの道10 微笑み返し

2007-01-26 11:10:09 | 連載もの 遙かなるラグーサへの道

Firenze1400
朝日を浴びるフィレンツェ市
俯瞰して分かる、美しき無秩序建築群
(撮影:まゆみーな)

 フィレンツェに着くと、僕は寝てばかりいた。
 前半の旅の疲れが出たのと、どうしても馴染めない文化に反発したからであります。
 フィレンツェの人々は、自己主張がはっきりとしている。Firenze2400
 自分がしたいように行動する。
 自分というものに確固たる自信を持っていると言えそうだし、
「ずいぶん自分勝手だなー」とも言えるかもしれない。 
 例えば細い道を歩くとき、正面から来る人に気遣って、よけるようなことはしない。
 ご老人が来ようと団体さんが来ようと、絶対によけたりしない。
 気を遣ってくれるのはノラ犬くらいのものである。
 日本だと、道を譲ることに互いに気を遣いすぎて、最終的に
「おっとっと...」なんて鉢合わせしてしまうことがよくありますね。
 あれもばつが悪いものだけど、そんな事態にはならないのだ。
 僕はこういう部分での違いに、すっかり疲れてしまった。
「もっと周囲に気を遣えよなっ!」なんて、一人で怒っていたのであります。

Firenze3400
東京で知り合ったリカルド・ルーチに会いにいく
言葉は通じないけど、いいヤツだ

 しかしまあ、そんなにぷりぷり怒っていても仕方がない。旅は楽しまなくちゃ。
 こっちも自分のやりたいようにすればいいわけで、そう思うと不思議なことに、フィレンツェの人々は御しやすい存在になってしまった。彼らには裏表がないから、行動が分かりやすいのであります。
 店の人が無愛想だなあと思っても、こっちから微笑むと、相手も微笑むのであります。

Firenze4400
ジョットの鐘楼の中を登っていく
窓の外にドゥオーモの大屋根が見えてきた

 急に自分が認められたような気がして嬉しくなり、バール(カフェ)や商店に入るたびに、店員に向かって「ニコッ」っとやった。
 この場合、店員は女性が多かったので、どうしても女性に対してばかり微笑んだことになる。
 必然、女性との微笑みあいという新たな交流が急増したのは、やむを得ない。
「俺もまだまだイケるな」という、当初の目的とはかなり違った気持ちが起こることを禁じ得ない。

Firenze4550
フィレンツェ名物のTボーンステーキ
1kgのボリュームにたじろぎピンぼけとなった

 しかしこの微笑みあいが、あるとき突然不安になったのであります。
 笑みを返す女性の目に、何かしらの意志が感じられ始めたのであります。
 笑ってはいけない。
 その意志には、“男女間の想いのやりとり”といった明確なものが感じられた(と思う)。
 ちょっと前まで文化の相違にハラダチを感じていた人間が、今度は一転して文化の一致具合を確認し始めたのである。
 フィレンツェの女性は、行動がストレートだからなのか、眼力もかなり強い。こちらの目をとらえて放さない(ように思う)。
 それからは反省し、微笑みに加減をするようになった。
 男性にも積極的に微笑みを送ることにした。
 あまつさえ、ウインクなども試みた。
 実際、男同士のウインクというのはよく見られたのであります。
 こっちのほうは“男男間の想い”というものは特に感じられなかったので、安心して交流を楽しむことが出来たのであります。


 つづく
 この連載の初回へ


遙かなるラグーサへの道9 旅も後半

2007-01-20 14:45:55 | 連載もの 遙かなるラグーサへの道

Tfirenze600
翌朝のエトナ山の様子
溶岩も噴煙も見えない

 シチリアの最終日。本日も、何だか申し訳ないほどの快晴であります。
 午前中の飛行機に乗るために、我々は朝のアウトストラーダを南下し、カターニャ空港へと向かう。
 車中の話題は、やはりエトナ山。
「夕べの噴火、すごかったよね」
「しかしホテルの人も街の人も、フツーにしていたなあ」
「あれくらいは良くあることかしら?」
「なのかなあ。溶岩があふれ出たわけではないし」
 何はともあれ、地元の人は動じていないのだ。肝っ玉が太いと思わざるを得ない。
 あるいは全く気づかないで寝ていたのか...。

Tfirenze2600
おしりから乗り込むDC機

Tfirenze3400_1
フィレンツェではマラソン大会をやっていた

 ローマで一度乗り換えて、フィレンツェへ。
 ここは細君が暮らした街であり、ブログ仲間のalbero4さんが現在住んでいるところでもある。
 もっとさかのぼれば、『三人のイタリア人』で出会った職人もフィレンツェの人々でありました。僕とイタリアとの不思議な縁をつないだ街と言えるのだ。

Tfirenze4400
ウフィッツィ美術館にて
天井のドットは、一枚ずつ貝を貼ってある

 つづく
 この連載の初回へ