くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

ブクブク交換会

2010-04-27 16:03:15 | 日記

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 昨日の夜7時から、通算5回目となるブクブク交換会が始まったのであります。
「ブクブク交換とは、なーにか?」
 ブクとはBook、すなわち本のことなのだ。
 自分が絶対にオススメする本を持ち寄り、その素晴らしさをみんなに熱く語って、最後に交換しあうというもの。
 ニフティのプロデューサーを務めるテリー植田氏が始めたもので、Twitterを通じて爆発的に広がっているムーブメントなんであります。




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今回のテーマは「人生を変えた漫画」
こうしてプレゼンするのもまた、楽し




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もちろん、女子もいらっしゃる




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休憩時間は立ち読みになる
どの本と交換するか、けっこう真剣なのだ




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“マンドク家”の東方力丸氏も参戦!
『北斗の拳』の朗読が大迫力!

 このブクブク交換会は今や海を超え、今日(4/27)はイタリアのフィレンツェでもやっているのだ。
 現地の発起人はあのalbero4さん
 ブクブク交換すると、自分の知らなかった本に出会えるのが楽しい。そして、本を通じて新たな人と知り合うのが楽しい。
 知的でもあり、おバカでもある最高に面白いムーブメントですぞ!







今日からお絵描き

2010-04-19 10:20:37 | 日記

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 23日(金)のさば缶・展に向けてお絵描き開始。
 木枠に画用紙を張りつける作業が、懐かしい。
 これは中学校の美術の時間に習ったもの。そんな昔のことを
「よく憶えているもんだ」
 と、朝から感慨に耽りつつ、作業を進めている。
 イラストや水彩画だから、画用紙で充分なのであります。

1、木枠よりも大きいサイズの画用紙に、刷毛でまんべんなく水を塗る。
2、画用紙が水分を含んで膨張したら裏返し、木枠に乗せる。
3、木枠からはみ出した画用紙を折り曲げ、ホッチキスで周囲をとめていく。

 これで画用紙が乾燥すると、ピンと張られるわけであります。
 さあ、張り切って絵を描くぞう!




鳴くよウグイス、京都の旅 その6(最終話)

2010-04-15 11:42:07 | 連載もの 鳴くよウグイス、京都の旅

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 清水寺へと向かう茶碗坂。
 ここも若者の観光客が、意外にも多かった。
「今時の若者は旅をしない」とか、「ネットでの仮想体験で済ませている」などとメディアでは言われているけど、それがすべてではないのであります。
 報道を鵜呑みにしてはいけないという見本であります。




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 両側にぎっしりと店が並ぶ坂を登り切る。すると突然、目の前が開けた。
 山の上に別世界が広がっているのだ。
 山門の鮮やかな朱色。高度感。先を急ぐ群衆。ここは明らかに非日常の世界だ。




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観光地ではあるけど、本来は修行の場
開設は奈良時代の末、778年だ




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眼下に京都の街が広がっている




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本堂の舞台には傾斜があり、ちょいとコワい




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 寺院の中というのは、静かで薄暗い。
 これは世界中どこへ行っても、ほとんどそうだ。
 中には
「ウチはめっちゃ明るくやってます!」
 なぞと宣言し、皓々と照明をつけ賑やかにしている宗派もあるかもしれないが、それは取りあえず無視しておく。
 そうしないと話しが進まない。
 こういう暗くて静かなところに入ると、人の心は沈静する。
 目先の予定ばかり考えている日常から離れ、時間のとらまえ方が大きくなる。
 10年、20年という単位で物事を考えるようになる。




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天空に浮かぶ異空間
宗派は北法相宗であります

 僕は今年に入ってから、ある仏教系の大学の仕事を手伝うようになった。
 学報のライティングである。それにともない、その学校の歴史を読んだり、宗派について学んだりしている。
 まったく畑違いの分野かと思いきや、そうではない。僕は大学で印度哲学を学んだので、そのときの経験が活かされてるのだ。
「よくもまあ、卒業させてくれたもんだ」と思うような成績だったが、そんな僕でもちゃんとお役に立てるのだ。
 しかし、卒業してしばらくは
「どうしてあんな学問を専攻したんだろ?」
 と、自分でも不思議に思うことが多かった。
 周囲の先輩や取引先にも
「変わってるねー。就職には何の得にもなんなかったでしょ」
 なぞと言われたものだ。
 しかし、ですな。
 どんな経験でも、自分の血となり肉となっているんですなァ。最近、つくづくそう思うんであります。




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陽の暮れ始めた頃、山を下りる
京都はどの道を歩いても風情がある




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すり減った石段。この先に何があるかな?




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「清水寺って、東海道のすぐ脇にあったんですね」
「やっ、本当だ。昔から賑わっていたんだろうなァ」
 そんな会話をしつつ、バスで京都駅へ。この旅も終焉である。
 駅構内で夕食を摂っているあいだに、陽は暮れた。
 帰りのチケットを確認し、土産を買っているあいだに、非日常から日常へとゆるやかに意識が移行していく。
 そんな寂しさがあっても、やっぱり旅の魅力にはあらがえないんであります。日本の中だけでも、まだまだ知らないところがたくさんある。
 こうして各地に思い出と知人・友人を作っていくこと。これは間違いなく、生きていく上で力になりますなァ。




 おわり
 その1へ

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とってもいい話し

2010-04-06 20:25:02 | 連載もの ちょいと、いい話

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 僕の仕事相手で、今では友人になった人がいる。
 この人の電話の応対が、すごくいいのだ。
 携帯電話を掛けると、
「どうも、クロさん」
 と出てくれるのだ(携帯だから発信相手が分かる)。
 僕なんかだと、
「はい、クロカワです」
 と、必要最低限の応対だけ。でも、この人は違う。まず相手の名前を言う。言われたほうは、これが実に気持ちが良い。
 この友人がいかにコミュニケーションを大事にしているかが分かるというもの。
 僕もマネしようと思っている。