くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

憧れはグラハム・カー 元日早朝

2010-12-27 13:57:57 | 連載もの 憧れはグラハム・カー

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「年賀状~、あ年賀状~♪」
 ススムハヤトは、妙な節をつけた歌を歌いながら、自転車を漕いでいた。
 1981年の元日、まだ陽も昇らぬ早朝4時のことである。この2人は、友人へ書いた年賀状を、自らの手で配っているのだ。
 どうしてそんなことをするのかというと、
「一番最初に届いた年賀状は、何だかありがたいよな」
 こんな話題で盛り上がり、じゃあどうすれば自分たちの年賀状が一番最初に届くかを考え、結局
「直接配達しようぜ」
 こう思い至ったわけだ。
「年賀状~っと♪」
「おっ、そろそろ静かにしようぜ。あそこが加藤の家だ」
「よし、投函。明けましておめでとう~」
「次は1丁目方面に行くか」
「いいぜ。しっかし、さぶいなァ!」
 当時の仙台は今よりもずっと寒かった。
 気温は零下。路面が凍りついており、2人の自転車はしばしばスリップした。
 通りには犬一匹歩いていない。
「おっ、月岡の家だ。こいつには盛大に挨拶しておこう。それっ、年賀状~♪」
「月岡おめでとおー! それ年賀状ぉ~っ♪」
 月岡というのは2人の後輩である。いつも面倒をみてやってるから、遠慮なく大騒ぎしながら投函しておいた。


 そして、学校が始まった日の朝。
 部活の朝練で顔を合わせた月岡は、きょとんとした顔で2人に尋ねたものだ。
「先輩たち。正月の朝に、僕ン家の前を極めてバカげた声で歌いながら通り過ぎていきませんでした?」
「何いってんの、お前。新年早々バカだな」ススムが言う。
「夢でも見てたんだろ」ハヤトも真顔で答える。
「そうですかねェ。不思議だ、不可思議だ」月岡は納得がいかない顔をしている。
「んなことより、練習だ練習。お前、まだダブルタンギングがへたくそだろ」
「ハイハイ練習しますよ、すればいいんでしょう。そういえば、先輩たちの年賀状。一番早く届いてましたよ。すごいっすね!」
「まあな。ふっふふふ」
 この2人は、その後数年にわたって、年賀状の直接配達を続けるのである。



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憧れはグラハム・カー 国分寺編

2006-02-07 10:56:48 | 連載もの 憧れはグラハム・カー

「この曲が好き」と、ユミは言った。
「波が打ち寄せてくるみたい」
 僕たちはシャーデーのLPを聴いていた。そいつは友人の家からかっぱらってきたもので、だいぶ歪んでいた。ターンテーブルの上で回っていると、レコード針が上がったり下がったりした。それに合わせて、シャーデーの音程も上下した。
 かっぱらった時から歪んでいたのである。そのためか、友人も「返せ」と文句を言ってこなかった。
「そろそろ、学校に行くかな」
「一緒に行くわ」
「授業終わるまで待っててくれるの?」
「パン教(一般教養)だったら、教室に潜り込んじゃう」
「わははは! あれ、絶対バレないんだよな」
「あとは喫茶店で待ってるね」

 こうして僕は、誰も彼もがそうするように、それをきちんとなぞらえるように、キャンパスライフを怠惰なものにしていったのである。
 86年頃の話しだ。


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憧れはグラハム・カー 脱サラ後の日記

2005-05-15 22:40:29 | 連載もの 憧れはグラハム・カー

 夕方になると腹が減ってきた。備え付けの冷蔵庫にはチーズとサラミ、棚に半分乾いたベーグルがあった。ベーグルにバターをぬって、ラバットの缶ビールを開けた。
 なんと豪勢なディナーだろうか! まったく、いつになったらちゃんとした食事ができるんだろうか。ただし僕のいうちゃんとした食事というのは、エジプト豆のスープとか、ムーグーガイパンとか、フォアグラ入りのローストチキンとか、そういうやつだ。したがって、ちゃんとした食事なんていつになってもありつけそうにない。
 チェルノブイリの放射能がたっぷり入っていると思われるスイスのチーズは、なかなか素敵な味だった。胡椒を山ほどかけたのだが、二切れ食べてあとは残した。冷たいベーグルをアイスビールで流しこむ。
 駅前まで歩いていって、本屋でものぞきたい気分になってきた。あるいはレンタルビデオショップにいって、ハリソン・フォードのサスペンスものを借りてくるのもいいかもしれない。
 いやいや、そんなもの、本当にみたいのかい、相棒? なんとなく人恋しくなってきただけのことだ。この寒さのなか、とぼとぼ十分も歩きたくはないだろう。おまけに深夜だから、どこかの車オタクのかっ飛ばすターボ付きシルビアに引っ掛けられるかもしれない。まったく、あいつらときたら尻に火がついたように走り回るからな。

 1996年、2月の日記より 原文のまま


追:この頃はジェイ・マキナニーなどのアメリカ文学にかなり影響を受けていたようです。ラバットというのは当時流行ったアメリカのビール。今は見かけなくなりました。

つづく
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憧れはグラハム・カー 番組制作ごっこ編 2

2005-02-01 21:39:45 | 連載もの 憧れはグラハム・カー
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変なテープばかり

「しかたがない、今夜はここでビバークだ」~ススム、残念そうに言う
「よし、ビバークの用意をするんだ」~ハヤト、隊長風に
「ビバ~ヤン♪」ここでマサルが茶化し始めたのであった。
「おい、それはオールナイトニッポンだろう。ちゃんと台詞言えよな」
「うるせえススムのイモ」
「何だとおめえ」
「彼女がいるからっていい気になるな」マサルはもはや完全に飽きている。
「おい番組に専念しろよ」ハヤトが小声で言う。
「何だマサルお前なんか女いねえくせに」
「フンだ、ススムはテクノカットのくせに」
「言ったなこの野郎」
「痛てて、やめろ」
 当然のことだが、全て録音されているのだ。
「ハヤトなんか何だよ、ちぇっ」
「おい俺が何をした」
「あっマイクを近づけるな、ハウリングが起こる」
「偉そうに」
「何だとてめえこの」
「痛いやめろ」
「おおい、番組がー」
「ご飯出来たよ~」マサルの母親が廊下で声を上げた。こうして夜遅くまで遊んでいると、よく夕飯をゴチソーしてくれたのだ。
「おっ、飯だって」
「いつも済まないねえ」
「ん~、丼ぶり物の匂いだ」
「あっ、テープ終わっちゃったよ」
 だから、今でも手元に残っている番組カセットテープは、みんな終わりが滅茶苦茶なのである。

おわり

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憧れはグラハム・カー 番組制作ごっこ編

2005-02-01 04:04:28 | 連載もの 憧れはグラハム・カー
「まずはスタッフを決めよう」マサルが張り切ってルーズリーフを広げた。「出演者は俺ら三人だな」
「出演? それじゃあドラマじゃないか」冨田勲のマネをしたススムが口をとがらす。
「だってホンモノの川口浩探検隊だって、字幕で“出演”って出るんだぞ」
「うっそだあ」
「本当だよ、今度見てみろよ」
「あ、それ本当だよ」ハヤトが言った。「だからフィクションなんだってさ」
「あれはノンフィクションじゃないのか」
 いつものへっぽこ中学生三人組である。今日はカセットテープに声や効果音を吹き込み、ラジオ番組っぽいやつを作るのだ。アフレコが可能なカセットデッキを前にし、ミキサーにラジカセとレコードプレーヤー、マイクをつなぎ、八畳の洋間はにわかスタジオ状態だ。そこはマサルの実家である。豪華なステレオはオヤジさんのものであった。
「出だしはこれね。ススム、お前ナレーターだから、一寸読んでみて」ハヤトが台詞を書き込んだルーズリーフを渡す。ススムは慣れた手つきでマイクを握った。音響担当のマサルはミキサーのツマミを調整する。
「休日スペシャル第二弾! 大地の裂け目ミャオは実在したっ!」
「おおー、いいね」
「ここで音楽だ」
 マサルがレコードをセットし、組曲『惑星』の『木星』が流れる。テーマ部分を少し使ってフェードアウト。
「よし、このあとは取材班の日常の様子だ」
「ここはアドリブだな」
「いくぞ、スタートっ」
 録音と演技は順調に進んでいった。マイクに息を吹きかけて嵐の音にしたり、歯ぎしりをしてロープのきしむ音にしたり。はたまたインチキコマーシャルを挿入したり。お馴染みの遊びなので、みんな慣れたものである。
「先頭を行くハヤト隊員が滑落したではないか」~ナレーター、緊迫した様子で
「いでぇ~(痛え)うわああ!」~ハヤト、本気で
「どうした、大丈夫かあー」~マサル
「ああっ、脚が一本ないぞう!」~ハヤト
「そんな馬鹿な...」
「ぎゃははっ」
「しっ、その声も入るだろ」
 どうしてもお笑いに走ってしまうのである。
 しかしお遊びとはいえ、数時間はかかる長丁場。途中で必ず飽きてくる男がいる。それはマサル...。

つづく
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