畑こうじ情熱ブログ

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問題の本質

2017年04月01日 16時05分13秒 | Weblog
 森友学園の問題についてはすっきりしないというのが多くの方の率直な思いではないでしょうか。このまま曖昧なままでフェイドアウトさせれば、これを詰め切れない野党のふがいなさが問題となります。

 ただ、森友の交渉記録や防衛省の南スーダンの文書の破棄問題から思うことは、公文書、行政文書等の管理のあり方の問題です。このこと自体があまり問題視されていないのは不思議です。今の政府や官僚組織は、都合の悪いことについて文書を捨てたことにして、文書がないという言い訳をすれば、逃げ切れると思っているのではないかということです。民主主義は、政策や行政遂行の検証可能性がなければなりません。その一番の基本が文書管理及び公開なのです。今回の事案では、現行の文書管理法制にかんがみて、廃棄することが問題なかったのか、保存すべき案件ではなかったのか、保存期間を経過していたため破棄していいという理屈があるのであっても、森友や南スーダン案件は、まだ事案が終了していない継続中の案件です。このようなものを破棄することが許されるのかが議論されなければなりません。仮に現行法制上許されるのなら、許されないような改正も必要となります。民主主義の根幹である文書管理のあり方についての議論が深まることをを期待します。

 ちなみに、私も旧建設省時代に、公共事業用地の補償費算定の問題に携わったことがあります。いろいろな利害関係者に翻弄された案件も扱ったこともあります。その場合には、後々、適正な処理でなかったとの批判にさらされた場合に備えて、適正な処理をしたことを立証するために、交渉経緯、補償費の算定の考え方、それらが法制上適正な理由などをしっかり整理し、一連の経緯とともにファイリングしたものです。怪しいと見なされる案件ほど資料保存に意を尽くしました。それが上司の指導でもありました。自分の潔白の証を示せるようにしておかなければならないのです。当然のことです。だからこそ、今回の森友の件は、自分の経験からするとあり得ないことだし、問題隠しと思わざるを得ないのです。後で訴訟になることも十分想定される案件です。訴訟になった場合に、財務省側はどのようにして問題のなかったことを立証しようというのでしょうか。

 一強多弱の政治情勢の弊害が大きくなっていることをつくづく感じる今日この頃です。

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