畑こうじ情熱ブログ

あなたがいるから頑張れる。わたしの熱い想いを感じてください。

社会資本先進国ドイツ

2006年06月29日 16時45分31秒 | Weblog
 ドイツは社会資本先進国です。世界に名だたるアウトバーン、きれいな都市及び国土景観、快適な住宅等日本で言われているとおりです。これらについては、至る所で指摘されていますし、いろいろな人が賞賛していますので、あえて、ここでは書きませんが、一つ最近の社会資本整備をめぐる日本の議論で気にかかることがあるのです。
 日本では、社会資本整備はもう十分だという声が聞かれますが、そのようなことを言う人は、ぜひとも半年なりともドイツに住んでみるべきだと言いたいです。生活の快適性が全く異なることがわかるでしょう。まだ不十分ながら、「昔と比べればましになってきたので、全体の予算制約もあるため、これくらいで我慢して、他の課題に予算を優先的にまわそう。」というのなら、まだ議論としてはわからないでもないのですが、もはや社会資本整備は十分だという意見はナンセンスです。
 道路については、制限速度無しの高速道路であるアウトバーンが有名ですが、普通の道路も、広い歩道と自転車専用通行路が設けられているのは当たり前です。市町村道でも未舗装はまずありません(ちなみに私の家の前の市道は通学路であるにもかかわらず未舗装です。)。さらに、ドイツの都市内の一般道路は、車道と歩道の間に、自動車を駐停車するスペースが一車線分ついていることが多いし、実際、駐車場として使われています。パーキング・チケット、パーキング・メーターにより駐車できるスペースが、車道をつぶさずに至る所にあるのです。車は、走るだけでなく、止まるものでもありますから、そのことを考えないと、違法駐車で道路をふさいでしまって、走りにくいという状況が出現するのは必至なのです。このような配慮がなされているのは、馬車交通時代を経験した西洋の知恵でしょうか。
 住宅については、統計上からすると、日本と比べて決して広いわけではないのですが、トイレ、玄関、浴室も含め全館暖房が完備(日本のようなヒーターではありません。空気を悪くしないでじわりと暖めるスチーム暖房のようなものです。)しているドイツの家は快適です。低所得層の住宅街と言われる所でも、全体の都市景観はきれいで、日本の高級住宅街といってもいいほどです。それに比べ、日本の都市の木造密集家屋の地域はまるでスラムです。また、東京で高級でおしゃれな地域と言われている広尾、麻布などの都市景観からすると、どこが高級なの?と言いたくなります。なお、日本の5万人未満の市町村の下水道普及率は5割未満であり、簡易浄化槽も含めても水洗化されていないところが多いのですが、ドイツではそのようなことはありません。
 表面的なところをとらえて社会資本整備は十分だという議論はやめるべきです。もちろん、日本の社会資本整備については、景気対策の観点や業界対策の観点が過大に重視されてきたことや不必要と思われる投資がなされてきたことがあるため、それが社会資本整備に対する不信感をもたらしていることは事実です。しかし、予算制約を前提にしつつ、必要なものを必要に応じて整備するという当たり前のベーシックな観点は、社会資本整備にはやはり必要だと考えます。

サッカーを見て思う日本人と西洋人とのメンタリティの違い

2006年06月26日 17時17分01秒 | Weblog
 前回から時間が空いてすみません。さて、この間日本は一次予選敗退となりました。日本人は、我が強くなく、まわりとの協調性を重視する人たちですが、それが、サッカーに現れたと思います。俺がヒーローになるんだ、俺が最後までやるんだという、いい意味でのエゴイスティックな部分がなければ、最後まで戦えないのではないでしょうか。FWの決定力不足が指摘される所以です。これに関して、ドイツに住んでいた頃感じたドイツ人のメンタリティとそれに比較しての日本人の長所と短所について書きます。
 日本には、「沈黙は金」ということわざがあります。また、日本においては、全体を考えて発言する人が尊敬され、自分の立場のみから発言していると、「なんだ、あいつは。」ということになりかねません。しかしながら、ドイツでは全く逆です。ともかくも主張しなければなりません。日常生活でも言わなければわかってくれないことが多いのです。それに比べて、日本は、言わなくても、だいたい察してくれるやさしい社会です。ある意味でぬるま湯につかっているように居心地がいいものです。しかしながら、言い過ぎると、角が立つし、出る杭は打たれる社会でもあります。どちらがいいのかはわかりません。それぞれの良さがあるわけですが、少なくとも思うことは、日本人は言葉だけではない高度なコミュニケーション能力を持っているということです。
 日本では、上司がよく、「気をきかせろ。」とか、「察しろ。」とか、「俺にそこまで言わせるな。」と言うのを聞くことがあります(というか、私も公務員時代によく言われました。)。これを、他人から求められると大変だし、ストレスがたまるものです。ドイツでは、議論を聞くと、けんかでもしているように聞こえることがありますが、議論が終わると、からっとして、人間関係が壊れることはありません。議論の後、わだかまりなく一緒に飲みに行くことなど普通のことです。仕事の議論と人間の好き嫌いを分けるという意味で大人なのかもしれません。日本だと、「かわいげのないやつだ。あいつはほしてやれ。」とでもなりそうなものです。日本だと、怖くて他人に注意もできない社会でもあります。ドイツでは、思っていることは言わなければわかってくれない代わりに、いくら言っても角が立たないのですが、日本では、言わなくてもわかってくれるが、言い過ぎるとだめな社会だと感じます。
 日本人は、自分のことを先進国の人間として西洋人と同じようなものだと考える傾向がありますが、このようなメンタリティー一つとっても違うのです。考え方、伝統、文化等が異なる西洋人とは大いに異なるのは事実です。ところで、国際化とは、無色透明で世界的な理想に即した人間となることであるという考え方がありますが、私はそうは思いません。様々な社会的、肉体的な背景の異なる人間が全く同じになるわけはないのです。真の国際化とは、異なる人々が、互いの異なるところを認め合い、共存する術を身につけることであると思うのですがいかがでしょうか。
 勝つための日本のサッカーの強化の方向性はどうあるべきか難しいですね。トルシエ前監督のように、個々の能力が劣ることを前提に、組織の力で戦うのか、やはり、個々の力を高めて日本に足りないストライカーの育成に力を注ぐのか、、、。イタリアのように、かんぬきと言われる鉄壁の守りを構築して、点は取れなくても、そして、試合がつまらなくとも1-0で勝つという方法もあるでしょうし。

美しい国ドイツ

2006年06月17日 13時34分57秒 | Weblog
 ドイツといえば、色、形などが整った中世風の美しい街並みの国というイメージをお持ちの方が多いと思います。何よりも特徴的なのは、建築物のある場所とない場所がはっきりしていることです。道路沿いや鉄道沿線にどめどもなく家屋が続くという風景はドイツでは見られません。また、田園の中にドライブイン、コンビニ、モーテル等といった建築物が林立することもありません。広告塔、自動販売機もほとんど見当たりません。このような風景を支えるのが、全国土にわたり計画がなければ開発や建築ができないという体系になっているドイツの都市計画制度なのです。国土交通省出身の私としては、国土政策はこうありたいと思います。このような美しい国土には、率直にうらやましいと思わざるを得ません。
 美しい街並みの形成は、法制度だけでなく、人々の意識が支えている面もあります。ドイツ人には、家屋の回りを塀で囲って外から見えないような自分たちだけの空間を形成しようという考えはないようです。塀で囲っていない開放的な家が大部分です。そして、家の窓にはカーテンがなかったり、あったとしても薄い透明なレースのカーテンがあるくらいです。これには、プライバシーを重視する西洋人にしては妙だという違和感を持つのですが、これも、彼らに言わせると、外から人に見られることが苦にならない、むしろ、見られることを前提にきちんとする(自分のセンスのよさを示す?)ことに喜びを見い出しているからのようです。ちなみに、ドイツ人は、自分の家に誇りを持っていて、人をレストランにではなく、自分の家に招く傾向があります。そして、自分の家の中を他人に見せることを好みます。このようなメンタリティがドイツの美しい街並みを支えている背景の一つだと感じました。
 日本の田舎の自然自体は美しいのですが、無造作に農業機械やゴミが表に置いてあったり、家に気を使わなかったりしているのが多いと思われます。客に喜んで自分の家の中を見せたいと思われる方はどれほどいるでしょうか。私は、そのような気持ちが普通である成熟した美しい国をつくりたいと思うのです。

ドイツ人気質

2006年06月16日 15時39分17秒 | Weblog
 先日のワールドカップ日本対オーストラリア戦はがっかりしました。何とかいけるかと思いきや最後の10分間は目も当てられませんでしたね。次回、背水の陣のクロアチア戦に最後の望みをかけましょう。さて、ドイツは前評判は大したことはなかったのですが、着実に決勝トーナメントに駒を進めました。
 今回は、ドイツ人気質について述べたいと思います。ドイツ人は、頑固で不器用な人たちです。ウィットに富んだ会話はしませんし、実用的な会話で十分と思っているふしがあります。自分の考えはまげません。しかしながら、困ったときには必ず手を貸してくれます。ドイツの町で、切符の買い方がわからずにうろうろしていると、誰かが寄ってきて教えてくれます。そういう意味では素朴でまじめで、親切という点で岩手人と似ている面も多いと思います。ドイツ人と会議やパーティーで一緒でも、英米人やフランス人たちのパーティーのようなプレッシャーはありません。気の利いたジョークを言わなくてもいいからです。西洋人なのですが、ドイツ人からはばた臭い感じは受けません。ラテン系のような普段は調子よく、愛想もいいにもかかわらず、いざというときには頼りにならないこともありません。外見は無愛想ですが、困ったときには頼りになる人々なのです。
 自分の考えをまげずに頑固だというところは、負けず嫌いにつながります。意外にドイツはいいところまでいくのでないでしょうか。

ボンはいい町です。

2006年06月10日 18時57分23秒 | Weblog
 日本戦も迫ってきました。楽しみですね。さて、ドイツ小話の続きです。日本代表チームの根拠地であるボンについてです。ボンに1年半住んでいたのですが、ボンは盛岡に似たいい町です。ライン川が削った河岸段丘の下の盆地にある町なのです。下手なしゃれですが、本当にボンは盆地にあるのです。そして、ボンから見ると、両側は山のように見えます。実は、山ではなく、台地であり、高台の平地が大陸的に延々と続く地形なのですが、町から見た風景は、盛岡から、北上山地と奥羽山脈を見た風景とそっくりなのです。盛岡の人口は25万人くらいですが、ボンの人口も約30万人です。ボンに住んでいる人たちの人柄も、柔らかくていい雰囲気です。そして、ボン近郊は、城砦もあり、古い城下町です。温泉地も結構近くに多くあります。私は、ドイツ赴任時の歓迎会で、ドイツ人スタッフに、「ボンは私の故郷によく似ている。」と挨拶したほどです。気候は、ドイツの中では、かなり温暖です。雪も多くなく、根雪になることはありません。こう書いていると、ボンに戻りたくなりますね。ともかく、日本チームの勝利を祈りましょう!

今ドイツが熱い!

2006年06月09日 16時20分25秒 | Weblog
 今日からドイツでワールドカップが始まります。日本代表チームが合宿をしていたボンや決勝戦が行われる首都ベルリンは、私にとってとても懐かしい町です。在ドイツ大使館に3年間赴任していたのですが、前半1年半はボンに、後半1年半はベルリンに住んでいました(ドイツの首都移転のためです。)。ワールドカップに合わせてドイツについて何回か書きたいと思います。
 ドイツと言えば、ソーセージとビールですね。本当においしいです。ソーセージは地域により様々です。焼いたもの、茹でたもの、白いもの、血のソーセージとぃって動物の血をまぜたものといろいろあります。ビールは、日本の酒と同じで、地域により銘柄が異なるものがたくさんあります。日本のように、大きな会社が何社かで生産しているということはありません。私は、ボンから30分くらいの大都市であるケルン(世界遺産であるケルン大聖堂で有名で、ワールドカップの試合会場でもあります。)のケルシュという上面発酵の軽いビールが好物でした。基本的に、ドイツのビールは日本のビールと同じような感じです。今のドイツは、夜の10時近くまで明るいです。テレビによると今年のボンは肌寒いようですが、本来は、空気がからっとしてさわやかな季節なのです。さてさて、今日からドイツでの思い出にひたりながら、ソーセージにビールで観戦することにしましょうか。

国民年金基金とは?

2006年06月07日 15時42分55秒 | Weblog
 先日、国民年金基金のお知らせが届きました。これは、国民年金加入者を対象として、国民年金では賄えない生活費部分を補うための、いわば上乗せ公的年金とも言うべきものです。加入は任意です。これは、国民年金では最低生活を賄えていないと、国が認めているようなものですね。公務員の共済年金や勤め人の厚生年金には、基礎年金部分に給与額に応じた上乗せ部分が入っているわけですので、やはり、制度的に不公平なわけです。公務員から今の立場になると、その点をつくづく実感します。
 そもそも、今後老齢化が進むと、今の働く世代が老人の方の年金を拠出する賦課方式は厳しくなります。年金制度を一本化し、基礎年金部分は、消費税で賄うことが、老人も含めて薄く広く負担するという意味で合理的であり、少子高齢化社会の現状にも合うと思います。

地域活動により見える問題点

2006年06月05日 12時09分14秒 | Weblog
 昨日、早朝6時から地元「おおかわめ親父の会」で清掃活動を行いました。久慈川沿いと国道281号線沿いです。空き缶やゴミもさることながら、ブラウン管、大型バッテリー(船外機のもの?)、自転車の車輪も捨てられてありました。家電リサイクル法では、一定の電気製品の廃棄については消費者が負担する義務があります。善意の活動でそのブラウン管を処理するに際しても市に引き取り料が必要だと思われます。おやじの会のメンバーの拠出なり会費で賄うことになりそうです。生産者責任にしなければゴミの不法投棄を助長し、ゴミの減量化に資さないという意見はもっともだと思われました。また、交通安全協会の立てた標識でしょうか、「死亡事故現場」とか「歩行注意」などという標識が根本から腐食して倒れていました。さすがに、これは、我々だけでの修復は無理でした。立てるだけで、その後の管理体制が十分想定されていないのでしょう。行政と住民の協調を進めるに際して、そのようなところも課題となると思われます。これまで、役人時代は、おうおうにして、政治から丸投げされたものを、机の上で考えるという作業が多かったのですが、地域活動により、現場からの肌触りを伴った問題点がわかってきます。そういう意味でも、地域活動はとても意味のある活動だと実感しているところです。