畑こうじ情熱ブログ

あなたがいるから頑張れる。わたしの熱い想いを感じてください。

水門の難しさ

2016年09月13日 10時35分55秒 | Weblog
 昨日は、改めて宮古市と岩泉町の現地のお見舞いを兼ねて現状を見て参りました。そこで感じたことは、まさに鉄砲水の威力のすさまじさです。と同時に人為的なものが被害の拡大に影響していたといえる問題です。宮古市の湾に注ぐ間際の閉伊川下流に、現在水門を整備しようとしています。このことは、東日本大震災の津波対策としてやむを得ない面もある(ただし、水門整備によるべきか嵩上げや移転によるべきかについては、当初からかなり激しい議論があのました。)が、海からの水を防ぐことは、逆に陸からの水も海に流さないことになるという弊害が今回明らかになったとも言えます。

 水門の工事のために、海沿いの注ぎ口を3分の2ほど締め切っています。これにより、本来川から海に注ぐはずだった洪水が逆流して市街地を水浸しにした側面があることは事実です。今回、津波の対策が、陸からの洪水には害となるという側面もあることがわかりました。海からの水と陸からの水の対策をいかに両立させていくかが課題です。5年前の東日本大震災でやられて、重ねて今回の台風被害でやられた、海沿いの狭隘な平地に市街地を有する地域だからこそ見える今後の日本の典型的な災害に関する課題です。また、この地域の防潮堤が倒壊していました。このことや写真については、昨日、フェイスブックでアップしておきましたが、水の威力だったのか、水門工事で閉めていた部分が多かったので、水が海に流れずに水の威力が増したからなのか、単純には言えませんが。ただ、東日本大震災の津波でも倒壊しなかった防潮堤なので、その原因について検証が必要です。

 昨日、宮古市では、「被害の拡大は人災ではないか!」との声を口々に言われました。古来から水を治める者が天下を治めると言われました。戦国大名の武田信玄は信玄堤を築いて治水に力を注ぎました。治水は、古くて新しい古今東西の永遠の課題です。

 なお、昨日は、道路が再開したので、岩泉から久慈に至る県道を通って久慈に戻りました。報道ではあまり取り上げられていませんが、安家地域の被害のすさまじさは大変なものです。流域の家さえも崩壊しており、東日本大震災の直後のような惨状です。メディアの方には、是非とも取り上げていただきたいと思います。宮古と盛岡を結ぶ国道106号線は片側一車線ですが開通しました。岩泉と盛岡を結ぶ国道455号線も昨日開通したとのことです。内陸と久慈を結ぶ国道281号線も今日開通するとのことです。もちろん、被災部分は片側一車線ですが。大変な中ではありますが、少しずつでも復旧復興に向かってみんながんばっています。

民進党調査団として災害視察しました。

2016年09月06日 09時50分46秒 | Weblog
 昨日、枝野幹事長をはじめとする民進党災害調査団として、岩泉町、久慈市の災害視察を行い、伊達岩泉町長、遠藤久慈市長から被害状況や対策要望等についてお聞きしました。岩泉町には、枝野幹事長、黄川田岩手県連代表、階県連幹事長、高橋元県連代表代行、軽石県議、私で行きました。引き続き久慈市には、階県連幹事長、高橋元県連代表代行、軽石県議、私で行きました。盛岡から岩泉に直接つながる国道455号線、盛岡から宮古につながる国道106号線が寸断されているため、二戸、軽米、大野と北回りに遠回りで国道395号線を通り、久慈市で国道45号線に入り、野田、普代経由、田野畑経由で岩泉の大きな被害が出たグループホームのところに伊達岩泉町長においでいただきお話を伺いました。

 グループホームのある地域は、山が迫っている狭隘の地ではなく、むしろ、それまでの狭隘の地から平地が広がった土地です。このような地形であるにもかかわらず、大変な被害状況を見るにつけ、いかに急で突然に強い洪水が襲ったのか伺えました。このグループホームのところから、役場のある岩泉町中心部は5㎞ほどで、通常なら10分ほどで行けるのですが、その間の国道455号線が川にえぐられて完全になくなっているため、迂回して1時間近くかかる状況です。したがって、残念ながら調査団としては岩泉町役場まで行けないため、現地視察の際に町長においでいただきお話も聞く形にしました。

 岩泉町は、北上山地の中にある山間の町です。そして、集落は、町の端々の山奥の沢沿いに点在しています。これらの集落が交通が寸断され孤立しているわけです。幸いなことにほとんどの安否確認が終わり、物資や医薬品がヘリコプターや関係機関の徒歩で運ばれているようです。やはり緊急に求められることは道路復旧です。これがなされなければこれから先の不測の事態への対応が困難となります。

 久慈市では、久慈市役所で遠藤久慈市長から被害状況と対策要望をお聞きした後、被害のあった中心市街地を視察しました。久慈市の市街地は低地に立地しており、これまでも豪雨のたびに床下浸水はよくあったのです。現在5カ所程度排水施設がありますが、これをもっと増設するための予算要望を従来から行っていたのですが、財政問題のためなかなか進まずに、今回の被害となったということです。本来10数カ所の排水施設が必要であり、常設大型取水施設の必要性も訴えられました。また、宮古の市街地で商売や事業をしている方からも聞いていますが、久慈市でも、冷蔵庫、機械類、電気施設等で水につかったことにより使えなくなったものを更新するためには、東日本大震災において措置されたグループ補助金のような制度が熱望されています。もともと厳しかった経済状況の中で、東日本大震災、今回の台風被害と立て続けに被害に遭ったのです。岩泉町や久慈市の中心市街地は、むしろ、今回の被害の方が格段に大きいのです。中心市街地は、1.8㍍から2㍍ほどと東日本大震災の時の津波より高い洪水が来ました。まさに、陸の津波でした。

 洪水が陸地に溢れた原因の一つとしては、流木や木の枝が橋の欄干にひっかかり流れをせき止めたこともあります。橋脚をアーチ型にしたり、真ん中に橋脚を作らずに空けておくことも必要ですし、間伐材をそのままにしておかずに搬出することも必要です。搬出間伐の徹底が必要です。

 以上のような改善点や制度的支援措置が必要です。現職ではない私としてはじれったい部分がありますが、様々なルートで働きかけていきたいと思います。

 

台風10号被害お見舞い申し上げます。

2016年09月03日 17時31分06秒 | Weblog
 台風10号の被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げご遺族には心よりお悔やみ申し上げます。発災後、久慈市及び岩泉町を回りました。自然の猛威の前の無力さを感じるばかりでした。道路が完全に壊れて無くなっていたり、沢沿いの奥地の集落の多い当地では孤立集落が相当数発生していることなど大変な状況になっています。岩泉の中心地では洪水の高さが1.8㍍と1階の高さを超えるほどでした。東日本大震災の直後の気持ちです。自然災害の多い日本列島に住む私たちとしては、災害と共存して備えるしかないのかもしれません。事前の対策が必要であることは当然としても、自然をコントロールできないし、完全に自然の猛威をブロックする社会資本はあり得ないことよりすると、災害後にいかに減災するかという視点が重要になると思われます。国土を強靱にするというよりは災害に対してしなやかな国土構造をつくるというやり方が正解でしょう。

 避難のあり方についても問題があるかもしれません。避難指示や避難勧告が出ても、避難先が川沿いの低地にあったりして、避難せずに家にとどまっている人も多いようでした。ハザードマップの作成やハザードマップの情報伝達の徹底は当然ですが、避難先となるべき公共施設が安全なところにあるのか、氾濫区域との関係で適切に想定されているかなど課題は多そうです。ただ、気にかかったのは、マスコミが避難指示や避難勧告を出さなかったことなどについて犯人捜しとバッシングをしていると被災地では受け止められていることです。ジャーナリスティックに煽られることなく、冷静に今後の課題を検証して対策を講じていかなければなりません。また、河川の橋脚の作り方にも今後工夫が必要そうです。流木などが上流から流れて橋のところで詰まって川をふさぐことが周辺の氾濫を促進した面があるからです。

 さて、この災害に関して違和感のある言動がありましたので、あえて書きたいと思います。今村復興大臣が記者会見で台風10号の水害対応について、「ちょっと甘かったというか、もう少し恐ろしさを前もって分かって、きちんと対応すれば良かった。」と発言したことです。心ない発言だと思いませんか。まるで悪いのは被災地だというような言い方に聞こえます。一方、災害直後に久慈市と岩泉町に政府調査団として来た務台復興大臣政務官が、長靴を忘れてきて、視察の際におんぶをされたということがあったようです。水害の後に長靴が必要なのは当たり前で、これこそ、「ちょっと甘い。」のではないですか。マスコミにはこのような政府対応のあり方こそしっかり取り上げてほしいですね。私が現職の国会議員だったらいろいろ議論したいところです。それができないのは残念です。

 明後日5日は、さっそく、民進党の党本部の枝野幹事長(民進党台風10号災害対策本部長)と岩手県連黄川田代表、階幹事長、軽石岩手県議とともに、岩泉町、久慈市の災害視察と状況聴取を行います。これをふまえて、6日か7日に党本部の災害対策本部で対策等について議論してもらう予定です。民進党は、国民ととともに進む政党ですが、このような時こそ、国民とともに進むことの真価が問われます。災害に遭われた皆様に寄り添いつつ迅速に対応していく所存です。

 なお、被災状況の写真については、私のフェイスブックにアップしていますので、適宜ご覧いただければ幸いです。