畑こうじ情熱ブログ

あなたがいるから頑張れる。わたしの熱い想いを感じてください。

真に求められる規制緩和とは。

2006年07月28日 16時06分56秒 | Weblog
 世の中、自由競争のかけ声のもと、規制緩和も進んでいます。裁量労働制などの議論も進んでいます。しかし、私は、本当に規制緩和をすべき分野での実施が進んでいないと感じています。一方、大企業の活動をより自由にするために、本来行うべきかどうか疑問の残る生活に係る規制の緩和が進んでいる面もあると感じます。本当に求められるのは、実は、行政権限に係る規制緩和ではないでしょうか。財政が縮小する時代には、行政資源の有効活用が必須です。例えば、私の選挙区では子供も減り、学校が統合されています。このような学校施設を、地域のコミュニティ施設、研修施設あるいは、観光施設などいろいろな用途をもった施設として有効利用できないか、などと選挙区回りをしていて思うのです。また、漁港などはかなり遊休化しているところもあります。そのようなところを養殖施設として利用する方策もあるのではないでしょうか。道路については、少々規格が劣っても、できるだけ早く開通させた方が地域の人々の意向に沿う場合もあるはずです。財政が厳しいのですから、柔軟に考えることで、少ない財源を有効に活用すべきです。そのための規制緩和こそ、今求められるものなはずです。

本日パークゴルフ大会に参加しました。

2006年07月23日 16時02分08秒 | Weblog
 本日、地元大川目町の町民パークゴルフ大会に参加しました。場所は、久慈の北隣の洋野町大野の大野キャンパスにあるパークゴルフ場です。このパークゴルフ場は日本一の質とレベルを誇るところだそうです。私は、32人中25位くらいだったと思います。団体戦での畑こうじ事務所チームは下から2番目でした。中高年の方のは大変上手ですね。思い切りボールをたたこうとすると、力が入って目が玉から離れてしまいますが、中高年の慣れた方は、力を抜いた見事なテクニックを見せてくれます。コースも微妙に傾斜していたりしてなかなか難しいです。ラフに入ると、出すのが精一杯です。ゴルフのクラブと違い、パターのようなクラブなので、クラブの傾斜を利用して出すという方法をとることができないのです。全英オープンで日本選手がラフに入れてお手上げという気持ちがわかりますよ。パークゴルフにはまってしまいました。気楽で、安価で、楽しく、かつ、奥が深いです。ちなみに、まわりの景観もすばらしいです。まわりのなだらかな丘陵地と牧草地の見晴らしが360度きくのです。本当に、ヨーロッパとか北海道のような風景です。大野キャンパスには、様々な手作り工芸館などもあります。こちらでも、子供さんと1日楽しむことができます。ちなみに、私の娘は、ここが大のお気に入りで、来ると、1日熱心に工芸(木工、七宝焼き等)に取り組んでいます。派手さはないですが、とても楽しいところですよ!。

久慈の良さを活かせないか

2006年07月19日 21時26分10秒 | Weblog
 本日、午後滝沢から久慈に戻ってきました。内陸は熱かったのですが、国道281号で平庭高原を越えるあたりから、やませでしょうか、ガスがかかって、車の温度表示はぐんぐん下がって15度になりました。肌寒いくらいです。久慈までそのような気候です。日本全国熱いときでも久慈地域はこんな気候のことが多いのです。農作物にも不利ですし、交通の便も悪いので、ハンディがある地域とされています。しかし、私は思うのです。このようなハンディを逆手にとって活かせないかということです。例えば、別荘地とできないか、長野の菅平が夏のラグビー合宿のメッカとなっているように、何かスポーツのメッカにできないか、霧を活かしてロマンチックな地域として売り出せないか、、、などなどです。
 気候が冷涼ということは、実は、夏の日本では得難いメリットでもあるのです。スポーツ競技の合宿地として売り出せるのではないか、霧の都はロンドンですが、日本のロンドンとして恋人の街(ちなみに、久慈のメインストリートの街灯は荒涼としつつも美しく風情があります。)として売り出せないか、不気味な風情を利用して怪談・民話を活かした街作りができないか(ロンドンは怪奇な街としても知られています。遠野は民話の古里としてうまく観光立地に成功していますね。)、、というように、想像はふくらみます。
 財政規模が縮小していく時代ですが、知恵次第で成功の道はあるはずです。夏のひととき、荒唐無稽と思われることを考えるのも楽しいものです。

郵便局員の奮闘

2006年07月16日 11時54分15秒 | Weblog
 先日、挨拶回りをしていたら、ある郵便局の配達員と会いました。彼は、郵便物のみならず、スーパーの袋に入った食料品も玄関先に置いているのです。「どうしてこんなことをしているのですか。」と聞いたら、「老人世帯では、買い物が大変なので、よく買い物を頼まれるのですよ。」と言っていました。まさに地域のお助けマンの役割を果たしているのですね。私の選挙区である岩手二区は、過疎地で若い人のいない世帯も多くなっています。老人の方は、町に出るのも大変なのです。昨年は、郵政民営化の議論が沸騰していたのですが、私は、このようなところに、郵便局の今後の役割のヒントがあるような気がします。私が、昨年の選挙でも訴えていたのですが、貯金・保険業務などとは違って、郵便配達業務は、地域の現状にかんがみると、地域の総合行政サービス業務も持つ方向で発展的に改編して、公がきっちりと責任を果たすべきではないでしょうか。財政が厳しく、市町村合併が進められる時代に、行政サービスの質を落とさないための方策として検討の価値があると考えます。

ワールドカップ決勝はベルリンで!

2006年07月08日 09時09分20秒 | Weblog
 いよいよワールドカップも決勝ですね。決勝は、ドイツの首都ベルリンで開催されますね。ベルリンは、確か人口350万人くらいですから、大阪くらいの規模の大都市です。しかし、緑が多く、緑の中に街がある感じがします。私がドイツに赴任していたときに、ドイツ統一に伴う首都機能移転で、ボンからベルリンに引っ越ししたものです。当時は、首都機能移転に伴う建設ラッシュで、建設アタッシェとしての私は、その調査に忙しかったものです。さて、ベルリンは、ドイツで一番若者に人気のある街であり、おしゃれなカフェ、レストラン、レビュー劇場、ダンスホールなどが多くあります。それのみならず、世界に冠たるベルリン・フィルの本拠地であります。さらに、ベルリン国立オペラ座、ベルリン・ドイツ・オペラといった有名なオペラ劇場もあります。したがって、あまり夜退屈することのない楽しい街です。もちろん、ベルリンは、プロイセン時代からの美術館、博物館やナチス時代の遺物、戦後の東西分断のなごりなど、歴史の激動を感じることのできる街でもあります。重厚で大きな建物や記念碑的な建造物や幅の広い道路からなります。歩いて中世的な雰囲気を味わえるという都市ではありません。そういう意味では、ドイツの都市というよりは、パリやロンドンのようなメトロポールといった趣です。ドイツワールドカップも終わりますが、この約一ヶ月間は、ドイツの思い出にひたれた楽しい期間でした。

ドイツ人は英語ができない?

2006年07月03日 20時01分48秒 | Weblog
 ワールドカップドイツ大会も佳境に入ってきましたね。さて、今回は、ドイツ人の英語力について私の感じたことを書きたいと思います。フランス人については、英語ができないとか、知っていても英語をあえて話さないとかよく言われます。しかし、ドイツ人は、もっと英語ができないという感じです。もちろん、学歴の高い層の人々は我々以上にできるのですが、一般レベルの英語力は全然だめという感じです。
 ちなみに、東西ドイツ統一時の首相であったコール氏は語学が苦手だったらしく、いろいろ面白いエピソードが語られています。サミットか何かの首脳会議で、お飲物はいかがですかと聞かれて、まず、サッチャーが「コーヒー、プリーズ」と言い、次に、ジスカールデスタン(だったと思う、、)が、私にもお願いしますという意味で、「ミー、トゥー(me,too)」と言ったところ、最後にコールが言ったことは、「ミー、スリー!」。また、ある本(「老春のハイデルベルグ」高木四郎氏著)で、コール氏については、以下のように書かれています。
 「コール氏は特に語学がまったくダメな人間として定評があり、外国に行くたびにゴーストライターが、短い挨拶文を代筆して手渡しておくのだそうだ。あるときコール首相は、イギリスの空港に到着して国賓としての出迎えを受けた。壇上のマイクで挨拶をする段となったが、上着のポケットを探しても用意した挨拶文のカードが見当たらない。胸のポケットにもない。左右のポケットにもない。あわてて上着をひっくりかえして裏側を探すと、白い切れ端がついている。引きちぎって目の前に広げてみると、あった、あった。小さな文字で書いてある。首相はホット胸を撫で下ろして、マイクで読み上げた。「レディース・アンド・ジェントルマン、これはポリエステル100%、アイロンをかけてはいけません、、、。」」。このようにいろいろとコール氏の英語ができないエピソードが語られているのです。
 それにしても、不思議なので、あるドイツ人に、「ドイツ人は人種的、民族的、文化的にもイギリス人に一番近い関係にあると思う。それなのに、なぜ、英語ができないのか。」と聞いたら、そのドイツ人に、「日本人は、韓国語や中国語ができるのか。それと同じだ。」と言われたことがあります。
 しかしながら、英語ができないということは、幸せであったということでもあると思うのです。過去に、自国の力が強くて、自国語で用が足りたということだからです。ベネルクス諸国、北欧、スイス、シンガポールなどでは英語がよく通じますが、これは、市場の小ささからする経済的側面、国内の他民族とのコミュニケーションの必要性等から英語の使用が必要不可欠であったという側面が強いからです。ただし、今後は、様々な側面でグローバリズムの進展に伴い、コミュニケーションの手段としての英語が重要になっていくことは確かでしょう。自国言語で用が足りた幸せな国民たちも、英語習得の必要性が高まってくると思われます。
 ただし、ドイツ人やフランス人が外国人に対しても自国言語で、かつ、自分の土俵で対応しようという姿勢は身につけたいものだと思います。日本人は、概して外国人に対して苦手意識を持っており、避ける傾向があります。日本国内であるにもかかわらず、英語で話しかけられると、我を失ってしどろもどろになったり、逃げたりする傾向があります。ドイツのレストランで英語で注文しようとしたら、「ここはドイツだからドイツ語で話してくれ。」と言われたことがあります。また、明らかにドイツ人ではないとわかる私に対して、時間とか場所について、ドイツ語で尋ねられたことも何度もあります。これは、ドイツにおいては、ドイツ語が使用されることが当然と考えられているからではないでしょうか。日本人も、ここは日本なのだから、相手に日本語で話させるというくらいの気構えがほしいくらいです。国際社会においては、これくらいの気持ちで自分の立場をしっかり持っておいた方が精神衛生上大変よろしいと思うのですが、、、。
 さて、日本戦を見にドイツに行ってこられた方ははどう思われたでしょうか。