中国人船長の釈放については、検察のあり方としても外交のあり方としても自国権益の保護という観点からも禍根を残したと思います。
さらに政治主導を標榜する政権の決定のあり方、責任の取り方としてもお粗末なものでした。検察の判断ということにして、「政治判断を行っていない。だから批判の矢面に立ちたくない。」という方針が見え見えでした。このようなことこそ、官僚の判断に任せずに政治家が責任をもった判断をすべき案件です。
なぜ、このような政治の劣化が起こるかというと、世論調査を気にしすぎる政治、ポピュリズムの悪弊が背景にあると私は考えます。
毎週のように世論調査が行われ、支持率が下がると、まるで失敗しているかのように叩かれること、そして、解散がいつでも行われ得るという憲法解釈の下で、政府も議員もおたおたして自分の信念を通せず、世論を過度に気にする風潮が問題にあるのです。
この悪弊を改善するためには、まず、憲法解釈を変更して、衆議院についても原則は任期を全うすること、解散は内閣が不信任を受けた場合又は信任案が否決された場合に限ることとすることです。議会に任期を与えている趣旨は、「当該任期の間安定した体制で約束したことをしっかり果たしなさい。そして、その判断は当該任期の後に一括して行う。」というものだと私は考えます。大部分の先進国では解散については、いつでもできるというようなやり方をとっていません。世論調査と解散がいつでも可能な解釈があいまって、マニフェストについても、本来は一定期間かけて行うもの、一定期間かけなければ行い得ないものであるにもかかわらず、実現の方向性についての腰が定まらず、修正の議論が起こされることになります。また、政権発足から1年であるのにもかかわらず達成率について批判されたりすることになります。
マスメディアには、世論調査の頻繁な実施は行うべきではないと言いたいと思います。節目節目で十分です。四半期に1回でもいいくらいです。そして、表面的ではない成熟した報道姿勢を求めたいと思います。
今回の決定については、私としては異論がありますが、もし、政府が信念を持っての決定であれば、世論の反応を恐れることなく、しっかりと説明すべきです。それは一つの見識に違いないのですから。そして、決定に対する批判を受けるのが民主主義の筋というものです。それなのに、検察の判断だとしたことに私は失望しました。責任をとらない政治が政治への不信感を高めることを私は恐れます。
さらに政治主導を標榜する政権の決定のあり方、責任の取り方としてもお粗末なものでした。検察の判断ということにして、「政治判断を行っていない。だから批判の矢面に立ちたくない。」という方針が見え見えでした。このようなことこそ、官僚の判断に任せずに政治家が責任をもった判断をすべき案件です。
なぜ、このような政治の劣化が起こるかというと、世論調査を気にしすぎる政治、ポピュリズムの悪弊が背景にあると私は考えます。
毎週のように世論調査が行われ、支持率が下がると、まるで失敗しているかのように叩かれること、そして、解散がいつでも行われ得るという憲法解釈の下で、政府も議員もおたおたして自分の信念を通せず、世論を過度に気にする風潮が問題にあるのです。
この悪弊を改善するためには、まず、憲法解釈を変更して、衆議院についても原則は任期を全うすること、解散は内閣が不信任を受けた場合又は信任案が否決された場合に限ることとすることです。議会に任期を与えている趣旨は、「当該任期の間安定した体制で約束したことをしっかり果たしなさい。そして、その判断は当該任期の後に一括して行う。」というものだと私は考えます。大部分の先進国では解散については、いつでもできるというようなやり方をとっていません。世論調査と解散がいつでも可能な解釈があいまって、マニフェストについても、本来は一定期間かけて行うもの、一定期間かけなければ行い得ないものであるにもかかわらず、実現の方向性についての腰が定まらず、修正の議論が起こされることになります。また、政権発足から1年であるのにもかかわらず達成率について批判されたりすることになります。
マスメディアには、世論調査の頻繁な実施は行うべきではないと言いたいと思います。節目節目で十分です。四半期に1回でもいいくらいです。そして、表面的ではない成熟した報道姿勢を求めたいと思います。
今回の決定については、私としては異論がありますが、もし、政府が信念を持っての決定であれば、世論の反応を恐れることなく、しっかりと説明すべきです。それは一つの見識に違いないのですから。そして、決定に対する批判を受けるのが民主主義の筋というものです。それなのに、検察の判断だとしたことに私は失望しました。責任をとらない政治が政治への不信感を高めることを私は恐れます。