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英雄津軽為信

2008年07月06日 13時15分04秒 | Weblog
 昨日久慈秋祭りに向けての大川目町「備前組」の事務所開きが行われました。今回の備前組の山車の題材は、「武将・為信 津軽を統一」です。津軽為信を取り上げます。
 津軽為信は、津軽地方を統一した津軽藩の祖ですが、久慈市大川目町の出身です。当地の城主であった久慈氏の一族であったようですが、久慈大川目を出て、大浦為則の婿養子となり、津軽地方を統一した後、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣して所領を安堵されたのです。
 なお、当地にはもう一人英雄がいます。九戸政実です。九戸氏と久慈氏は一族であり、久慈直治は九戸政実の「九戸の乱」に参戦します。九戸氏や久慈氏は南部家の一族でもありますが、南部宗家との争いに端を発した「九戸の乱」で豊臣軍に結局は敗北してしまいます。これが九戸の乱です。時は豊臣秀吉の天下統一の時期であり、豊臣氏は南部信直を南部の当主と認めた結果でした。
 久慈直治は、津軽為信の甥にあたることもあり、為信は九戸政実と共同戦線を張った上で秋田愛季にも協力を求め、南部信直に対する包囲網を完成させようとしたのですが、豊臣秀吉の小田原の陣に参陣しなかったお家は取り潰されることとなり、共同戦線は実現しなかったのです。九戸政実の居城は、二戸市福岡にある二戸城です。この城が九戸の乱で滅びてしまいます。

 この共同戦線が実現していたら、あるいは、豊臣の天下統一の波が奥州の地に及ぶのが、あとちょっと遅かったら歴史は変わっていたのでないでしょうか。九戸政実や津軽為信の英雄的行動は、高橋克彦氏の「天を衝く」に描かれています。南部氏の面白みに欠ける家風の反面、津軽氏や九戸氏には、伊達政宗を彷彿させる進取的な雰囲気が感じられます。ちなみに、共同戦線には伊達政宗も加わる予定だったという説もあります(だから、伊達政宗はぎりぎりまで小田原参陣をためらっていたのではないでしょうか。)。

 我が郷土は人材を輩出したことに誇りを持ちます。ちょうどこの地域は、久慈、九戸郡、二戸市、一戸町のエリアです。県北と言われるエリアです。しかし、近代は政治的、経済的に残念ながら遅れてしまった地域です。私は、この地域の復興を果たしたいという野望を持っています。
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