高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

町内観光まちづくり交流会

2018-12-20 13:11:18 | いろいろシゴト

黒松内の観光・交流事業に関わる人たちのネットワークをあらためて作ろうと黒松内観光協会の呼び掛けで交流会が開催されました。 いろいろと受け入れ事業や主催事業をしている人たち・団体はいるけれど、どうも連携がとれていない黒松内です。これを機会に連携ができてゆけるだろうか・・。 と第三者的でなくて、もっと主体的にかかわらなければね。

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いろいろ工事が入っています。

2018-12-19 09:57:19 | 自然学校の日常

自然学校の外回りだけでなく、校舎内にも工事がいろいろと入っています。 白色蛍光灯が近いうちに生産中止になるということで、LEDへの切り替えが必須な状況です。 単にこれまでの蛍光灯管をLEDライトに変えるだけではダメだそうで、受けの器具も交換となります。 校舎だけでなく体育館照明も交換で高い足場が組まれました。

         

 過日の停電によって、復旧通電された際に大きな電流が流れたか、大きな電圧がかかったかで、各室のストーブの集中制御盤やシャワールームの配電も壊れてしまい、これらも順次修理予定、シャワールームは大工さんも入る工事になるらしい・・・。

校舎く体そのものも老朽化しているのですが、修理修繕していただくということは、必然的に自然学校も継続するということが大前提になるね・・。

来年度にむけて、その後3年くらいの中期計画を年末には練らねばな!!

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雪の田舎暮らし体験

2018-12-19 09:34:51 | 国際交流

17日から4泊5日の予定で香港からお客様がおふたり滞在中です。 人伝いに黒松内ぶなの森自然学校のことを知り、旅行会社経由ではなくて直接、滞在を申し込まれてきた方々です。 すでに日本旅行は4回目。東京、京都、奈良、日光などの観光地ツアーでは飽き足らず、日本の生活文化体験、それも雪国の冬での滞在が希望。 香港芸術ミュージアムの館長さんと理学療法士の肩書きを持つおふたりです。

いわゆる観光ツアーとはいっぷう異なる日本体験インバウンドお客です。 本州にあるような典型的中山間地域・里山ではない、ましてや積雪期ですからね・・・。 しかし、香港人ですから 雪そのものがめずらしいのです。

食事はスタッフと共にすることもあれば、我が家での食卓。地域の食事処など 場所を変えています。 いつものように森のガイドや漁街寿都のご案内もしますが、除雪や薪割り、家畜の世話などボランティア的な体験、地域の観光協会主催の関係者の懇親交流会にも参加します。

こういったツアーは、大人数では組立がたいへんですが、小人数であれば、手間暇は同じようにかかっても、私たちは可能な限り対応させていただいています。

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まるで工事土場

2018-12-19 09:33:32 | 自然学校の日常

自然学校に入ってすぐ左手にあったガレージも古くなり解体撤去しました。 なんだか土木工事現場のような荒々しい感じになってしまって、Welcomeな雰囲気がしないなあ・・・。 歩道工事も始まるし、それが終わらないことには入口まわりのホリステック感は再生できないなあ。 来年の夏前には工事は終わるのだろうか・・・、心配です。

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異学年での遊び

2018-12-18 15:35:31 | コラム風味

なんとも懐かしい写真を頂きました。(が、プロの写真家のものだと判明したので、削除しました・・、)

 

昭和30年代でしょうか・・。 ちなみに前の東京オリンピックは昭和39年、東海道新幹線や東名高速道路もそれに合わせて造られた経済高度成長期でした。 写真は比較的都市の住宅地のようです。 私は千葉県船橋市のとある神社境内に隣接する住宅地に住んでいたので、遊び場はもっぱら境内でしたが、写真のように広くはないが、車が一台通れるか通れないくらいの道路は、土が出ていたので、釘や木の枝で地面で図形を作ってゆくような遊びやビー玉もしました。

子どもたちが異学年で群れていたのは、写真と同様で。幼稚園児から中学生くらいが集まって、神社境内では三角ベースの野球(一塁と二塁とホームしかない)や神社森を走り回るドロジュン(泥棒と巡査)という集団鬼ごっこが放課後の日常でした。 隠れ家・陣地づくりも流行った時代も有り、隣の地区の集団と覇権争い(相手陣に集団で出撃してを壊して、相手が集めていた物を奪い合った)もしたなあ・・。

今の時代、子どもたちは、同学年しか友達づくりをしないし、群れることはない・・・。 子どものコミュニティの中での弱者と強者は当然いたが、集団遊びの中では、年長者が幼い者をかばうということはあたりまえだった・・(そうしないと 敵?に負けてしまう) この経験は大人になる過程で必要不可欠だと思うな。

しかし、こういった「場」は、今や大人が関わって作り出さないとならないと思う。 別に戦い遊びを奨励しているわけではない、子どもが群れることができる場だ。 私たちは、夏休みなどに異年齢集団となるような体験活動を提供しているが、もっと日常的にこういった場を出現させねばならないと思う。

そこに、プレイパークという子ども遊びばづくりの概念と実践例が都会に出現してきている。 これは都会だけでなく、子どもがいる小さな地域でも必須の社会課題になっていると思う。

来年は、黒松内町でも生み出したい・・・。

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移植

2018-12-18 12:36:35 | 自然学校の日常

自然学校前の歩道拡張工事が入ることは何度もお伝えしました。 15年ほど前に植えた白樺の苗木が大きくなって並木になっていたのですが、それらは全て伐採されてしましました。 校門(門柱も撤去されてしまいましたが・・・)を入ってすぐ、両脇にあったオンコの木も対象になっていましたが、オンコの木は校舎玄関前にもあり、こちらの方がその謂れが分かっていますが、校門のオンコは不明で、いつ誰が植えたのかが地域の古老も知りません。

しかし、これらは元作開小学校時代からのシンボルツリーであることは間違いなく、地域の方々からは残して欲しいとの要望もあり、伐採ではなく移植することになりました。  しっかりと根付いている樹木なので、時間をかけて根切り処理をすることもできず、ワっと掘って,ワっと移植する処置なので、果たして根付くのは難しいかもしれない・・。

樹木としては休眠状態の冬に移植。ガバガバと移植後に水をやり続けることもできないので、冬場を越えることを祈って・・、春になったら、根元を水浸しにして養生する方向となりました。

          

頑張れ!! オンコ達!!

 

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タスク

2018-12-17 10:27:57 | コラム風味

敷地内の樹木がたくさん伐採された。おかげで春先に薪にして来年の冬にむけて風乾すべき材料がたんまりとできた。

誕生日を過ぎて二日目。 日々が彼岸への道のりだ・・。

なんて書くと「高木さん大丈夫?」と囁かれそうですが・・・。」  しかし、実際にそう感じる。一日一日を大切にしたいとは思うのだが、グウタラと過ごしている・・・。

私は意外と計画型人間でして、企画書、計画書、工程書を作るのが好きなのです。中学生の頃は、「お前は計画ばかり立てているなあ」と、父親に、あれは嘆かれていたのだろうか・・、という思い出があります。 何年か先を見渡して、今のあり方を考えるような Back Castingを普通に身に付けて生きてきました。 だから、「ここまで」はできたんじゃあないかと、自分のなしてきたことに自負と誇りを持っております。

30代中半、バリバリに仕事をしていた頃に作った人生計画年表というものがあります。 ちょうどバブルと呼ばれた高度成長期時代の後半。 1990年代当初、20世紀の終わり時期に作ったものです。

これは、何度かブログでも書きましたが・・・、 その頃、札幌新川にあった複合健康施設BigShipの開発と営業立ち上げを終えて、次の社命は首都圏進出!! 今のロッテスタジアム・幕張メッセになっている敷地に「21世紀にも耐えうる総合型健康施を創る」がミッションで、そのコンペの開発企画提案を担当しておりました。しかし、提案すべきものは、今のトレンドではない、21世紀の日本は超高齢社会となっている・・・それはどんな社会なのか・・??? 能力たらず、なかなか書き進むことができなかったのですが・・・、あるとき、ふと気がついたのでした・・。

その時代を生きているのは 誰か???   それは、私自身なのでした!!!

コミュニティを意識した施設開発提案を主軸にし、一気に企画書を書き上げることができました。 まっ、その企画はコンペでは落ちましたが、最終選考までは残りました。 しかし、私は、私が65歳の年寄りになるまでは30年もまだあると気づいたのです!! 「俺が年寄りになった時に、暮らしやすいサービスを作ってゆけばいいのだ!!」と。

それから、「ここでは実現できない」と会社を辞めてしまい、改めて、自然体験活動を主テーマにして私の人生を歩み始めたのでした・・・。

そして、北海道自然体験学校NEOSを立ち上げ、NPOねおすとして育て、あちらこちらに自然体験活動の拠点づくりをしてきました。 それでもって、ついに私自身がその目標ターゲット年齢に到達しつつあるのです・・・!!

はたして、実現しているか、いいいところまでは来んだが、まだまだまだだなあ・・・。

先日の、自然学校同窓会にて、自然体験活動仕事の現場引退を宣言させられ?て、「たかぎさん、自由にしていいんですよ」と仲間に言われて・・、

「自由ってなんだあ??!!」 そもそもタスク型人間のアタシとしては、自由に上手に飛び立てないんだよなあ・・。 

これを考える2018年、年末。 65歳まで・・・、あと 一年だ。 もいちど、真面目に目標(タスク)を造ろう!!

少なくとも、この大量な伐採木を蒔きにすることだけが、タスクではないね。

 

 

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弘道君を偲ぶ会

2018-12-16 14:17:42 | 日記

 

ねおすの子ども活動・イエティくらぶや黒松内ぶなの森自然学校の自然体験活動で交流のあった若者達の主催で、昨年、若くして逝去したKODO君を偲ぶ会が自然学校で開催されて、20名くらいが参集しました。彼の人柄縁あってこその集まりでした。

KODO君は、中学1年生の時に、山村留学生として我が家にも1年間、下宿をして寝食も共にしていたので、私にとっては息子のような人です。 大学を卒業して希望をもって社会に飛び立ち間もなくでした。ほんとうに惜しい人物を無くしました・・・。

療養中に体調の良い時に御家族と共に会食はしたことはありますが、対で人生を語ることはできなかったなあ・・・。 一緒に酒を酌み交わしたかった・・・。

合掌。

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64歳になりました。

2018-12-15 14:16:36 | コラム風味

朝、事務所の私のデスクのパソコンを立ち上げると、HappyBirthdayの画像がアップされました。チコちゃんのサプライズね。ありがとう。

と、いうわけで、64歳の誕生日を迎えました。 中学生の頃から計画を作るのが好きで、30代に作った人生計画年表なるものがあります。 それによると、けっこう計画とおりに進んできたなあという感慨はあるのですが、 65歳以降は空白なのです。その後は続いたら「もうけもの・・」という感覚で、目標を作っていない、その時になったら考えようという気持ちなのでしたが、遂にその最終年に突入してしまった。

世間一般的には定年を過ぎるお年頃となりました。

先日、昔の自然学校運営の相棒だった ふったとこんちゃんが現れて、「たかぎさん、進退をはっきりしろ」ばりに詰め寄られて、この人生計画を白状しました。 つまり、65までは自然学校の運営責任者はやるよ!と・・・。 つまり、来年の夏だな・・。 それを目標にやるべきことは、やってゆこう。 つまりのつまり終活ね。

MMCちゃんには「高木さん、自由になっていいんですよぉ!」と言われましたが、

「自由ってなんだあ??」

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社会の共通価値観

2018-12-13 17:05:55 | 主義・主張

「共通価値観」というものが日本の社会には育まれてはいないというコラムを読みました。

あおり運転の末に高速道路に車を止めさせたためにトラックに衝突されて2名も死亡した事件。これを明確に処罰する法律がないらしい。あきらかに原因と結果は関係があるのであるが、車をとめさせた運転手が加害者であるかというと法律上は明確にしにくいようで「過失責任の有無が問われてしまう」らしい。

***以下、コラムより***

 貿易やビジネスだけでなく、多様な人々が共存して生きて行くための共通価値観」というものを作っていかなくては、もう社会は回らないのではないかと思うのです。その上で、新しい犯罪については裁判員裁判で判例を積み上げて行く、そうでなくては社会の変化スピードに追いつかないのではないでしょうか。

専門的に言えば、英米法的な「コモンセンス」の考え方を日本風にアレンジして、グローバルスタンダードと整合性を取るという作業になり、これはこれで当初は大変になると思います。ですが、そのようなシステムを作っておかなくては、もう日本の社会は回らないのではないかと思います。

中高生の教育も、「ルールがあるから守るのが道徳」だという江戸時代のような発想ではなく、「より有効なルールを作るには?」とか「ルールの元になる共通価値観とは?」ということを考えさせ、スキルを磨くような教育に変えなくてはダメだと思います。

あおり運転の結果、「うっかり追越車線に止めた」ので、相手が死んでしまった、それが「未必の故意による殺人」でもなければ「危険運転致死」でもなく、「過失致死」で終わってしまう可能性のある社会を変えるには、そのような抜本的な改革が必要と思うのです。

***

高速道路上で「駐停車してはいけない」という道路交通法はあるだろうが、それにおいて重大死亡事故が起こった場合を裁く法律規定がない・・、細かく細かく規定されていないから、既存の法律で裁くことになる。 そらりゃあ、おかしいだろう!! ダメなことはダメというような共通な価値観ができてない・・・現代の日本の社会。

 

 

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