高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

移住

2010-06-28 06:22:06 | コラム風味

 昨日、ゲストのNGIさんを岩内へ、まり子さんと送迎、買い物をして帰って来ました。
その道すがら、ハマナスの写真をとったりしたのですが・・・、車の中での会話。

「自分の人生だけど、移住したなんて、ちょっと不思議な気がするなあ」
黒松内に移住して、10年目です。

仕事上のタイミングがありました。
 ・都会から田舎へ都会の人と一緒に旅やキャンプにでかける形態に限界を感じていた。
 ・田舎側で受け入れる仕組みをつくるべきターニングポイントに立った。
 ・そのために拠点が必要だった。
 ・黒松内町で閉校になる学校があった。
 ・その利用方法を町が考え始めていた。
 ・ねおすの仕事に(交流事業創出や人材養成)に多少の実績が伴うようになっていた。
 ・国や所属する環境教育のネットワークの後押しがあった。
 ・NPOという経営を明確に意識するようになっていた。

それにもまして、移住できたのは、
 家族の同意がとれたことだった。長男は札幌で仕事についたが、高校、中学の娘ふたりと、何はともあれ、まり子さんが同意したことだった。

「移住して、人生が二度楽しめているなあ、良かったなあ」と私・・・

札幌に住んでいた頃は、小樽の先はすでに遠く感じたものです。余市の手前の海水浴場・蘭島でも遠く感じた・・・ましてや、古平、積丹は「異国」の感じすらしてました。ここ黒松内は、積丹半島よりまだ南下した場所にあります。

札幌から1時間程度でなくて、2時間半かかる距離も、かえって思いきれて良かったかな。

「本当に、おれらは、移住したんだなぁ・・・」

千葉から札幌へ大学に来た時が、第一回目の移住。そして、二回目が黒松内。

東京のベットタウン化した地域に育った私は、親戚も皆その身近におり、「田舎」という風景・自然・風物がなかった。だから、田舎が欲しかった。

その「田舎」で重要なのが、年寄りの存在だった。 

だから・・、私達が歳を重ねてゆく中で、本当の田舎づくりが始まるんだなあ・・・

と、今感じてます。

 
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1 コメント

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そういうことだったんですね (KNT母)
2010-07-19 12:54:35
大きな石を先に入れないと、後は小さな砂で埋まってしまう話、語録にあったんでしたっけ?
また見たいなと思って探したのですが、見つからずにここに当たりました。
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