高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

ぶなの森自然学校20周年

2018-10-02 15:56:50 | コラム風味

 黒松内ぶなの森自然学校は、ちょうど20年前に黒松内町で「廃校舎の利活用」のワークショップを開催された時にそのアイディアが出され、実際の運営が始まったのは翌春からでしたが、そして、なんと事業計画づくりのためにコンサルが入る町の補正予算が組まれ、経営のためのコンセプトと事業計画が年度内にまとめられました。 20年前から黒松内に直接的に関わりを持ち始めた(その前から自然体験ツアーに訪れたり、NEOSの指導者養成コースの学生実習を町立のビジターセンター・ブナセンターにお願いしたりして関係性はあった)ので、2018年を20周年と記念してフォーラムを実施しようと夏前から考え、12月実施の方向で、自然学校に直接関わったスタッフ達に案内をしていました。

 が・・、黒松内ぶなの森自然学校運営協議会の副運営委員長(私が委員長=代表)である師匠Mさんから、「そらぁ、高木さんの今後の意志表明せんとあかんわぁ」と言われておりまして・・・、

そうだよなあ20周年記念フォーラムというからには、今までを総括し、しかし、次を宣言せんといかん・・・。出口の見えないままでおりました。 昨日、元ねおすの専務理事でねおす経営の参謀格であったMMT氏がふらりと訪れて・・、

「これまでの総括ばかりでなくて、今後への宣言も必要でしょう・・・」

「町や教育委員会や地域への根回しも必要では・・・・」 はては・・、

「我々の仕事作りは、綿飴理論なんだから、綿飴が作られ始めているの・・、高木さんなんか、言いだしっぺだけなんだから」とかなり核心をついたコメントももらい・・・、

我が勇み足を認めて・・、20周年フォーラムは断念。 延ばせば出口が見えるものではないが・・、しばし立ち止まることにした。

                      

この看板をどうするか・・、持続可能性をさぐるのはどうしたらいいのか・・。 夏の長期村活動を20年(たぶん、来年が20回目)やってきて、それに参加した人たちの居場所となっている。 「新田舎づくり実践研究所 所長」という勝手な肩書きもつけている私・・・、 ここで実践をやめちゃあいけないでしょ!!

                

昨日のゲストをお見送りして、

 「死ぬまで、ずっとこうしていることが、まずは役割だなあ・・」とも思ったのです・・。 

ここに出口がみつかるかなあ。

12月3-4日のフォーラムはおおげさに「20周年」と銘打たずに、「ぶな森同総会~どうするどうなるぶなの森自然学校」みたいにしようと思います。

コメント
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