高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

深下の時間

2016-01-10 20:06:50 | プログラム 子ども

真冬日の一日でした。本日は選択プログラム。 バード(カモ)や動物足跡ウォッチング、立ち枯木を切り倒して焚き火、雪の基地づくり等、一日外活動。 湯別温泉が子ども向けに年始開放をしているので、それにあやかって、夕刻には再び温泉にゆきました。温泉からあがり、まったりとした時間を休憩室でスタッフと一緒に過ごしています。

実は、こういった活動の合間の時間を私たちはとても大切にしています。 ほっとして一見なにもしていない学校教育で言えば、「遊び」の時間なのですが、とても重要な意味ある時間だと私たちは考えています。

活動には、その組立をしっかりと立てて起承転結に進める構成型プログラムと、特別に活動内容をこまめに決めることなく、その場の子どもの興味関心に合わせて進めるような非構成的プログラムがあります。 非構成的であっても大きなテーマ性は持っています。 例えば、「雪の中でダイナミックに遊ぶ」とか、「秋を感じる」などです。ですから、非構成的プログラムは、ただ漫然と過ごしては、意味のない時間となってしまいかねません。関わるスタッフの知識・技量、スタッフ側のチームワークも必要です。

入浴という活動と夕食という活動の「空き」なような時間と場が、このお風呂に入ったあとや夕食のあとの休憩時間(子どもにとっては、いわゆる自由時間)があります。 学校教育では、この「空き時間・遊び時間・自由時間」はできるだけ少なくするようにします。学校は「教える場所」でそのための「教師」がいるわけですから。あくまでも、この空き時間は、次の活動の準備であったり、気持ちの入れ替え程度にしか捉えていないようです。

私たちの活動全体ににとっては、この「空き」はとても大事な時間なのです。 ほっとしたひとときは、友達同士、子どもとスタッフの間に親和性を生み出す絶好の時間となります。それは、ひいてはお互いの信頼関係を醸造します。 プログラムの感想がなにげなく言葉にでたり、関係者のうわさ話や善し悪しは別にして実際にあったできごとの話し、「君はそういうことに興味があるんだなあ、そんなことがあったの。」というような自分の身辺話などが自然と現れててきます。そのやりとりの中から、「アタシはここに居ていいんだ」「こういうことも話していいんだ」という安心感やお互いの許容も生まれてくるのです。

学校の宿泊体験活動の受け入れ事業の事前打ち合わせでプログラムを決める時に、学校が、なかなか認めてくれない時間です。(それ以前に非構成的プログラムの進行を取り入れることはできない) 学校は教える場所であり、教える人は教師ですから・・・。その場合は、主体は学校なので、おおくは学校の考えに合わせて「遊び時間・自由時間」は消えてゆくのですが・・・・。

そこで、私たちはこの 合間の大切な時間を「深化の時間」と呼ぶことにしました。(学校教育と宿泊体験活動のあり方の研究の中で、7,8年前の研修生であった寺坂さんが生み出した言葉です)

食事を終えて、各自がめいめいに食器を洗いにゆき、すべての人が食事を終えるまでの時間も同様に 大切な深化の時間となります。

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行灯づくりは

2016-01-10 19:14:45 | プログラム 子ども

「スノーキャンドルづくり」

キャンドルはロウソクだからさあ、作るのはそれを囲むものだよね。だからさ、スノーランタンづくりだと私は思うんだが・・と無粋なことで介入していますが、お風呂に行って夕御飯食べたあとの選択プログラム。そとはマイナス8度。 

かたや、室内では、紙行燈づくり。日本語では「あんどん」ですね。

このふたつのプログラムに寄り添って指導しているのは、社会人になったばかりのちーちゃんと高校生のこうじのふたりです。 

ふたりとも、自分たちが小学生の頃に子ども自然体験活動イエティくらぶや長期自然体験村プログラムに参加していたボランティアさんです。 かつては面倒を見てもらう側だったけれど、面倒を見る側になっての参加です。 自分達が参加者としてこの場にいた時に感じてきたスタッフ像があるでしょう。彼らもその当時の若いスタッフと同様に子どもたちの意見や考え方や行動性を考えながら、年長者として、上から教えるのではなくて、子どもに「寄り添い型」のスタッフとして頼もしい存在になっています。 

そればかりか、かつて子どもとして参加者であったスタッフがいることは、キャンプ全体の運営にもとても意味があります。

 子どもの頃には、眠れない夜やホームシックになった友達も見たことでしょう。 意地悪や人間関係の中での悲しかったことも辛かったことも自分の身にあるいはそばにいた子どもにあったでしょう。もちろん、楽しかったこと嬉しかったことも含めて、当事者として、喜怒哀楽のある生身の人間関係を体験しました。その時の実体験をベースにもちながら、今、目の前の子ども達に関わるのですから、最良の経験を持つスタッフであります。

本人たちの大人への過程に触れることができる私も幸せものです。 ありがたいことです。

彼らが親になるとき、この体験・経験は、今以上に大きな意味を持つことでしょう。

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