最近、仕事の面でも自分自身の身においても「認知」に関係するような情報が集まってきている。 春からは認知症を患う患者さんが多い病院で森林療法をすることになっているし、高齢者向けの「おとなのがっこう」を運営しないかとの話も打診されている。一方では、私自身が、さっき手にしていた手袋が次の瞬間どこにあるのかわからないとか、あれ、ここはどこの道だ?なんてことが起こるので、我が身の問題としても「認知機能」にかかわるような話題やできごとが最近は多発するので、「さは認知症の始まりか?」と不安がないでもない。
「記憶」とは何なんだろうか? そもそも暗記が苦手な私なので、私の頭脳の記憶媒体は性能が悪いことは昔から自覚はしている。子どもの頃の記憶は具体的な場面を覚えているのは残された写真が残像として残っているシーンが多い。あとの多くは泡沫(うたかた)の如く消えてしまうことが多いが、なぜか強く印象に残っているが写真は存在していないシーンもいくつかある。それはたぶんに自分の人格形成にいい影も悪い影も残してるのかもしれない。古いと思われる記憶はなんだろう。いくつか並べてみると・・・
自宅の近くの神社の松ノ木に登っていて枝が折れて落下、背中をうって寝込んだ記憶は、小学3年生くらいか、一緒にいた上級生の親がいたく心配して見舞いに来てくれて子供ながらに申し訳なく感じた。
ミズカマキリを初めて獲った記憶は、幼稚園の先生が特別に放課後に連れて行ってくれた思い出で、写真にその様子の一部が残っている。ミズカマキリを獲って英雄になったというよりも、皆が大好きだった先生を独り占めした時に達成したことに一大事件性があり、幼稚園で鼻高々であったとの記憶だ。
初めてひとりでお泊まりをした親戚の家で、みんなが花札をしていてひとりになり、寂しくて冷たい廊下で泣いた。「何泣いてんだ」と、たぶん伯父さんに頭を小突かれた嫌な記憶で、小学1年生くらいだっただろうか。
近くの大学生に引率してもらった初めての子どもキャンプは小学6年生。深い川で泳いだ怖さと、初めて作った味噌汁でワカメを切らずに入れて凄いことになり驚愕したことも写真には残っていない。あの大学生は誰だったんだろう?
基地作りが神社の境内の森で流行っていたのは小学3,4年生の頃だった。資材や武器と呼んでいた建築資材を盗みに入って警備員に捕まったこともあった。襟首を掴まれて吊るし上げられ「今度見つけたら、親にも警察にも言うからな」と恫喝され怯えて泣いた。
人の記憶というものは実に曖昧なものだろうけれど、それらが積み重なり、今の自分の価値観、物の見方が確実に形成されてきていると強く思う。
子どもの体験活動に力を入れているが、目の前にいる子ども達が大人になっても残る自分の価値観・人格形成に残るような思い出・記憶を作ってゆきたい。そこで大切なのは、
その出来事に、いかに自分が主体的に関わっていたかであるかにつきると思う。そして、自分の記憶をたどると、誰かがそこに一緒にいた。そして、それは自分よりずっと大人達だった。
「あれは誰だったんだろう」でもいいから、子どもの記憶に残る大人になりたいものだ。
そして、今でも私自身が、自分の価値観や考え方、行動様式に影響を与えるような体験を続けている必要も大切なことだと感じている。それ自体が、自分自身の認知機能を維持することができるんじゃあないかなあ。