高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

To be a nature speaker!!

2021-10-07 09:29:12 | コラム風味
「高木さん、最近 ブログの更新をしていませんよ!」とある方から叱咤激励?をされました。 Facebookには頻繁に投稿しているのですが・・、ブログが滞りがちです。 また、別の先輩からは、「高木さんの役割は書き残すことですからね!」とも激励をいただいたりしています。 facebookは、その場でその時に感じたことをパッパパと携帯から書き込むことができて手軽なのですが、やはりちょっとは考えながらパソコンの前でキーボードに打ち込む方が、自分の頭を使っているな。

心臓にステンとやらの管を挿入する手術を夏前に受けて、その経過検診に4日間ばかり入院をしました。50中半までは入院したことも骨折もしたこともない人生だったのですが、ここのところは入院生活も数を重ねているなあ・・。 狭心症なのですが、今回もカテテールを左腕から挿入。細い管が手首から心臓まで挿入されるなんて、術中は痛みもない(麻酔もない)ので、ホンマかいなとも思うのですが、前回入れた管は正常で他に治療が必要な血管はなく一安心でした。 トレッドミルや自転車をこいでの負荷テストもしましたが、良好でした。適度な運動を奨められました。
 
てなわけで、ここのところ、寿都町の温水プールに水中歩行をしたり、7-8000歩を目標にした散歩、パークゴルフなんぞを日課にしていたのですが、コロナで閉鎖されたり、入院だったりで滞ってしまっていたのですが、一昨日より再開しました。 パークゴルフはひとりでしているので、ボールを追いかけてただひたすらに休憩もなく歩き続けることになるのがわかりました・・。
 
 
賞味期限が切れたのか・・、しばらく、御呼び出しがあまりかからなかったのですが、ここへ来て、まだ、消費期限はあったのか・・、講演や研修、原稿依頼が立て続けに来ました。 いやいや、ちゃんと賞味して頂くように、ちゃんと頭を回転せにゃあ、いかんよ!!
 
TO BE A SPEAKER OF NATURE  自然の語り部であれ!!
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アウトドアーブーム

2021-09-05 10:55:29 | コラム風味

新造手術の経過検診で久しぶりに札幌にきました。ついでに最近オープンしたという大型のアウトドアー用品店二店舗に偵察に行きました。

TV番組でもキャンプや登山の番組が増えて、世の中アウトドアーブームのようです。この大型店もおしゃれなキャンプ道具やウエアーがいっぱいでした。 老舗の秀岳荘にもひさしぶりに行ってみましたが、こちらもリニューアルされていて、随分と変わっていました。今までは山登りをする人たちの専門店という感じでアウトドア初心者には敷居が高かったとは思いますが、今やそれではこのブームにさすがの秀岳荘もお客が離れてしまうという危機感がはたらいたんじゃあないかな。親子連れや若いカップルが多く訪れていたのを見て、時代の移ろいを感じてしまいました。

自然学校のキャンプ場も週末は10月までほぼ埋まっています。 なっぷというインターネットの予約サイトに登録したところ、うちを見つけて初めての方が利用してくださり、このご時世、ひと組み利用、焚き火もできて、ワンちゃんもOKなのでリピーターも現れています。 ご希望があれば、海や川へもお連れするオプションもあるので、家族連れには好評です。

一方で、我らとしては、変わらず、このスタイルでのBBQね。 オシャレ感は皆無だけれども、いずれはこの泥臭さが結局は残るかもね・・。

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父の日と My田舎づくり実践研究所

2021-06-22 10:21:35 | コラム風味
なんだかさ、ここのところ思い出話しばかりでござる。

長女から「お父さんは、自分で年寄りに近づきすぎる!」なんて、叱咤だか批判だかされる昨今ではありますが、何かとむかしのことを思い出すことが多くなることもその証左かな・・
と、さてはおき・・、
 
先だっての日曜日は自分でも忘れていた父の日でした。 次女からは健康によさげな焼き菓子セット、長男のネパール人嫁からは、アウトドアの日よけ帽子となぜか今時にちょっと厚手の靴下、そしてお手製カレーを作って持ってきてくれました。が、いつもは何が欲しいものある?と照会してくる長女からは今回はなんの問い合わせもなく、届き物はなかったのですが、上記の写真が送られて来ました。
私の手元にはない写真であったので、それを大切にとっておいてくれたことが嬉しくて、感謝です。
(物もあるそうで、次に帰省するときに持ってくるとのことなので、楽しみね・・)
 
2,3歳の頃の写真でしょう・・。 万全に安心しきってアタシに頬を寄せている姿に、なんだかウルッとしてしまうと同時に、とても「せつない」感情もわきあがって来ました。 なんでだろ・・・??
 
写真の頃は、猛烈会社人間で、家に帰るのも遅く、なかなか子ども達と過ごす時間がとれませんでしたが、毎週のように日曜日には都市公園めぐりをしていました。(札幌には緑豊かな大きな公園があちらこちらにあります)。その時にスナップ写真なのでしょう。
 
父親として、もっとしてやれることがあっただろうに・・という後悔というか、あの時間はもう戻らないというような感傷のような・・き も ち 。 アタシャ、ちゃんと生きてきたんだろか・・?と ね ・・
 
そして、この写真を見たらしき、母親気質に似てきた次女からも 上から目線のメールが送られてきた・・。
 
「小さい時のお父さんとの思い出はなぜか一つも浮かばず。けど、大きくなってからはいつも味方でいてくれたというイメージがあるからちゃんと子育てができてたんじゃないか!」と・・。
 
これも・・・嬉しかった・・。 
 
***
私には いわゆる田舎がなかった。 もちろん、祖父祖母は子どもの頃に近所にいて可愛がってもらっていましたが、それは、緑はまわりに比較的あるものの、大都会の衛星都市でありました。そして、母親には19歳の時に死に別れ、同時期に私も進学で北海道に来たので父親との暮らしも19歳までで、今は彼も亡くなり、すでに帰省するような実家という場所はありません・・・。
 
 なので・・、自分で田舎をつくるしかないなあ・と、考えたことも、黒松内町に移住した個人的な大きな理由です。 自分の実体験としては、モデルとなるような身近だった田舎の爺の姿はないので・・、
「My田舎づくり実践研究所 所長」なるかってな肩書きを作ったわけで、これからも、子どもや孫たちが訪ねてこれるような田舎づくりに向かって のほほんと 生きてゆく所存です。
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札幌の市街地でクマ出没・・

2021-06-20 12:31:48 | コラム風味

札幌の住宅市街地にヒグマが現れて、道路を疾走する映像がニュースで流れ、ゴミ出しをしていた人が後ろから襲われ怪我をするという衝撃的な事件がありました。 https://www.htb.co.jp/news/archives_12032.html

結果は猟友会が出動して射殺されたのですが・・、 何とも・・やりきれぬ思いもあり、切ないです。

街中を走るヒグマのニュース映像はクマを思えば・・何か悲壮感があり、なんとも哀しさを感じました。彼も怖かったんだろうなあ。どうしたらいいのかパニクってしまって、襲うつもりはなくても目の前にいた人間に飛びかかってしまったんだろうなあ・・。

 折しも、昨日にわが町の散策路でもヒグマの出没の痕跡(足跡や糞)が見つけられ、目撃情報もあったようです。来週に開催予定の町の行事「森林療法時間」の開催をどうするか、この実行プロジェクトの委員長を仰せつかっているので、町の事務局から照会がありました・・・。

私としては、「そもそもクマが生息している森に囲まれた地域にある町であり、今日でなくても、明日は現れるかもしれない。今日は現れたけれど明日は違う場所に移動しているかもしれない・・、ひとり二人ではなくて、大勢で歩くのだから、開催をしてもいいのではないか」という立場なのですが、町民によるプロジェクトとはいえ、事実は町教育委員会の所管で予算もついている事業であり、最終決定権は行政にあるので、お上の方々の判断に従いますというのが回答です・・。  緊急事態宣言は解除されたといえ、まん延防止措置下でもあるコロナ禍なので、たぶん、町は中止判断をするのではないかと思いますが・・、 

黒松内程の自然と街が一体化していない、大都会札幌。今回のクマは当別方面から石狩川水系を辿って東区やってきたのではないかと推測されていますが、札幌市南区は支笏洞爺国立公園にもかかり、豊かな森が広がっています。この続きの西区でもこれまでクマの目撃情報は毎年のようにありました。 札幌はそれほどに自然豊かな地なのです。

私の住む地ような小さな田舎町でも地域住民へのクマとの共存意識をうんでゆくのはたいへんなことですから、都会では、怖いやっかいもの意識は取り払うことはできないだろうなあ・・。

いずれにしても、北海道に住む私たちは、自然豊かな地に住んでいることを改めて認識してゆかなければね。 わずか100年少々で、多くの野生動物の住む原生林を開拓し農地をを広げ、街を作って動物たちを追いやってきたのは人間なのだから・・、 この功罪を上手に伝えてゆくことも自然体験型環境教育の役割だとは思うんだが・・。

20年ほど前にヒグマプログラムを開発して、自然学校でも近くの高校や中学校で実施したことがありました。高校の授業では、クマ側からの視点にも思いやってもらうように授業を進めました。 終盤になり、男子学生から「せつない話だなあ・・」というため息感想が自然と表れたときには・・、「やった、伝わった」と思いました。

が、そういった活動を今はやっていない・・・。

 反省することもしきりだが、「反省だけなら、サルにもできる」という言葉もあった・・・。

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小林さん逝く

2021-06-19 11:44:46 | コラム風味

人伝で小林さんがなくなっていたことを今日、知りました。 合掌。

 小林董信さんは、私にとっては勝手に兄貴分のような方でした。特定非営利活動法人の先導役、つまり日本のNPO活動の広がりを生み出した方のお一人です。 特に情報が本州に比べて遅れがちであった北海道において、全国の先駆者、先駆けの方々とネットワークを張り、一度はかつての自民党政権下で「市民活動法案」として上程され否決された法案を全国運動を持って日の目をみさせた立役者でもあります。

NPO(Non Profitable Organization)は、1995年の阪神淡路大震災の支援に大勢の民間支援団体がかけつけ活躍したことによってその存在に脚光が当たりました。しかし、それらの団体をカバーする法人法律がまだ日本には存在をしていませんでした。これをきっかけにして、海外事例も調査研究し、改めて「特定非営利活動法人/NPO」に関する法律が1998年にできあがりました。 北海道では、「NPO推進北海道会議」という道内ネットワークが立ち上がり、その推進役として小林さん等がいました。

その頃の私は、社会体育(具体的にはスポーツクラブのインストラクター養成)を仕事とする民間会社に所属しており、専門学校経営に携わっていました。そのひとつのコースとしてアウトドアインストラクター養成コースをつくり、その実践を行う北海道自然体験学校NEOSを立ち上げ任意団体として子供向けの自然体験活動や山岳や自然へのガイド事業を始めていました。 

震災支援へは日本各地の自然体験活動をしている団体が駆けつけましたが、私達の事業はいち会社の付属事業のような位置づけだったので、会社の理解が得られずに、現場には駆けつけることはできませんでした。なので支援募金集めをしました。(この前後のエピソードもいろいろとありますが、それはまた別の機会に記します・・)

このことは、自分達の活動が単なる自然愛好を促進するような趣味的なものだけではなく、もっと社会的な活動意義へ目覚めさせることにもなりました。 そんなもんもんとしている時期に、小林さん等が私を見つけ出してくださいました。

NPO活動を推進広げようとする北海道のネットワーク団体「北海道NPO推進会議」の集まりにお声がけを頂きました。(直接のお声がけは、シアターキノ・・当時のエルフィンランドの中島さんからだったと記憶しています) 札幌にあった炭労会館という名の社会労働運動の拠点のような(ちょっと薄暗いアジトのような・・)建物で開催されていて、私より年長の兄貴姉御格の方々がたくさん居て、気後れして最初はちょっと場違いなところへ来てしまった感があったのが正直なところでしたが、市民による市民のための社会活動の機運を高めようという人たちの熱い思いにとても感化されました。

そして、私がやっている活動も「より良い社会を造るための意義」があるものにすべきなんだと背中を押されました。

NPO法案が国会を通過し、活動団体の法人化への道が開かれました。 会議からはNPO活動を中間支援する「北海道NPOサポートセンター」が生まれ、小林さんは初代事務局長に就任をしました。

北海道でのNPO法人申請が始まり、その最初の申請を このサポートセンター、富良野演劇工房と、ねおす(北海道自然体験学校NEOSは、アルファベットでの法人登記ができないという、変な規則があったので、あきらめて・・私達も新生することを念じて、登記名は、ねおす と、なんか気をてらって新しそうな名前へと安易に決めちゃいましたが)の三団体で同時に行い記者会見もしました。

当時、北海道が全国的にも登記申請受付が早かったので、我々は全国でも1,2番目の認定を受けるはずでした・・。はずでしたというのは、ちょっとした申請書類上のミスがあって即受理されたのは、演劇工房だけでした。それを修正してねおすは二番目に、サポートセンターは三番目に受理されたのでした。受理されればあとは認定は時間だけの問題だったので、結果的には、演劇工房、ねおす、サポセンの順番で北海道初のNPO法人が誕生したのでした。

自然体験活動の業界においても 「えっと? なんでNPOなの?」と言われる時代でしたから自然体験、環境教育の分野においても日本初のNPOであったと自負しています。

ともあれ、小林さんや北海道会議の先輩方に出会うことがなかったら、ねおすの社会的な立ち位置を持っての発展はなかっただろうし、今のワタシも「今のよう」ではなかっただろうと思えます。小林さんは人生の恩人であります。

慎んで心からお悔やみ申し上げます。  合掌・・・。

コロナ禍もあり、また、人が大勢集まるような大ごと催事はあまり得手ではなかったお人柄だったようなので・・、ご葬儀はごく近親者でされたようです。さりとは言え、お世話になった多くの人達にとっては、このまま遠隔のままでサヨウナラではあまりにも寂しいので、なにかしら計画はしたいと思っています。 良く行わるような「偲ぶ会」というよりも、「追悼フォーラム」として未来につながること、 あるいは、NPO貢献小林賞みたいなNPO活動奨励賞みたいなものを創設して1年に1,2団体を表彰する制度などはいかがかなと残された仲間に提案したいと考えています。

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ヤギ、羊の記憶

2021-06-14 15:18:55 | コラム風味

ブログを毎日書こうと思ってはいるのですが、時間がないわけではないが、習慣になっていないので、写真だけ先にアップして後で文章を入れようと手を抜いているのですが、 その時、何を思って写真を先にアップしたんだろう・・??てなことにもなっています。

そして、羊の写真・・・ (何を書こうとしたんだろう・・)まっ、歳を取ったせいか、ふと突然、昔のことが思い出さるのです。回想法とやらは認知予防にもよいそうだから・・、それでいいのだなと、徒然に・・・

もう20年くらいになるかなあ。札幌円山動物園のこれからの在り方検討する委員会なるものに所属して論議していたことがありました。当時の円山動物園は開園当時からの昭和そのまんまで、遊園地はあるは、既得権で営業している食堂やお土産物屋があるはで、旭山動物園の改革に比べても時代遅れの動物園のままでした。

それで、それら(遊園地や既存店舗)をどうするか、当時、象が死んでしまい不在だったので新しく象を入れるか入れぬか・・などが話し合われました。 そして、組織自体の古さも指摘されました。管理者(園長やら課長やら市からの出向者)と現場飼育者の意思疎通も指摘されました。 そして、管理者と現場飼育者との初の合同会合のワークショップ型の会議の司会進行役(ファシリテーター)のお鉢が回ってきたのでした。 

これは冷や汗もんでした。が、ワタシは同じ組織の人であるということを意識せずに、市民ワークショップのようにまずは日常的な話しをするコミュニケーショントレーニングから始めて場をつくり、管理者、飼育員双方から園のあり方についていろいろな意見がだされる場となりました。

しかしですね・・、この「仕事は会議」のいったんだとみなされて、何の報酬も付加されなかったんですね。それでしばらくして、「ワタシは時間も労力も使ったんだ」と、私にしてみれば普段はしたことがないクレームを入れたんです。すると市側としては、予定していなかったワークショップなので予算がない回答!!! で、納得がゆかない私に逆提案で、「動物園側で(処分)できるものであれば現物対応・・」みたいな・・。 そこで、

アタシは死んでしまった冒頭の写真の羊ジュリエットの代わりに「ヤギが欲しい」と、応えまして、それで、トカラヤギという珍しいヤギが自然学校にきたのでした。

 このトカラヤギについての話題は尽きないのですが、それはまたいずれ・・・

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蛇の記憶

2021-06-14 14:32:35 | コラム風味

今年はまだ蛇にであっていないなあ……。 この春から初夏にかけて、オオジシギ、ツバメ、カッコウが来ないなあと嘆いているアタシにとって、ヘビは苦手なのですが、それも現れなくなったら、それはそれで環境が心配だね。

近頃の子どもだからなのだろうか、実物の蛇をあまり怖がらないようだと感じている。スタッフが捕まえれば、多くの子が関心を持って触ろうとする。 昔はどうだったんだろうか・・、もっと怖がっていたんじゃあないかな。

それはたぶん、親や周辺の大人からの影響だったんだろう。 昔はもっと身近にヘビが出現していた。毒があるものもいたし、ニワトリの卵を取られたりして、大人にとっては嫌われ者でやっかいであったのだろう。その言動が子どもに「ヘビは嫌なもの、こわいもの」と、刷り込まれていたのかもしれない。 今の親御さんは本物のヘビはみるのは動物園の爬虫類園くらいなものだったろう。親も身近にヘビを知らないもんだから、怖いも気持ち悪いも感覚的にはないのかもしれないな。つまり、蛇への忌避感は後天的なものなのかもしれない・・。

自分を振り返ると、私の実家は鎮守の森がある神社のほぼ境内の一角にあったので、小動物はいろいろと現物を拝むことができました。 ヘビなんぞは、当時触れる子にとっては触れない子へのカッコウのイジメ道具にされたもんでした。 捕まえたアオダイショウを神社の石で捕まえた蛇の頭を叩き潰してその石の上に乗って殺す(すり潰す)ということをみんなでした(させられた)ことがありました。 石は一人ずつが乗れるようなものでしたから、順番にさせられるのです。まだ低学年だったアタシは、上級生にはやされてイヤイヤ乗るわけです・・・。 のたうち回る蛇の尻尾・・、今でもクネクネと動く蛇を見るとトラウマのようになっています。

で、数年前のこと。 校庭で椅子を出してミーティングをしていたところ、アオダイショウが前方からこちらに向かってくるのに遭遇しました。 明らかになにか目的を持って近づいて来ました。そのままなんと人の気配など感じないように会議テーブルのしたを通ぬけてゆきました。 その前方には、ニワトリ小屋が!!!  その何日前から朝に産みたて卵が見当たらないということが続いていました。 ヘビは小屋の板壁に取り付き、その上方にあった破れた箇所の穴へ首を入れたのです!! 「こいつのせいだったんだ!!」

アタシは勇気を振り絞りました。 小屋にかけて行って、まだ全身を穴に入れていない尻尾を掴みました。そして引っ張りました。内部で屈折もしていたのでしょう。簡単に引き出せません。 ちぎれてしまうのではないかと思うくらいに力を入れてひっぱりました。 意外と伸びるものでしたが、 やっとのことで引き出して、 それを頭上で回転振り回して遠くに投げることに成功しました(絡みつきそうになって大慌てしましたが・・)

それから、子供たちの前でも、アオダイショウであれば捕まえられるようになりました。

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ワンディキャンプ

2021-06-13 12:03:34 | コラム風味

コロナ感染の緊急事態宣言下ではありますが、お天気の良い週末でした。

土日と町内居住者限定でワンディキャンプを実施しました。 お子さん連れの御家族が2~4組みずつ二日間参加してくださいました。 特別なプログラムがあるわけではありません。 ほだ木にナメコやシイタケ菌を打ったり、薪割り、焚き火、ニワトリの餌作りなどをワラワラと自由にして時間を過ごしました。 自然学校お得意?の場づくりです。

コロナに打ち勝つには免疫力をあげることが大事ですが、この免疫力をアップさせる確実なお薬があるわけではありませんが、一説によると、精神をリラックスさせることが大切だとのことです。 自然の中で適度に人と関わりあうことこそ、人にとってはリラックスできることにつながります。

コロナは生き物のヒトだけに特異的にある同種での高度のコミュニケーション力を分断させるようにコミュニティに作用しています。 三密を避けるようにと推奨されてはいますが、感染防止にはその通りでしょうが、今こそ、自然の中で人が人に関わり合う場づくりも必要なのではないかと痛感しています。

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植物の命

2021-06-09 20:00:40 | コラム風味
足元のNPOくろす野外計画社の道庁へ提出20年度報告書づくりをせねばいかんのだけど、あまりに天気がいいのでここ二日ばかりは一日中外仕事をしています。 

ゲストハウス前に花壇があるのですが、なんの手入れもしていないので、牧草・スギナ畑化しています。 ゲストハウスと称している玄関先なので、それじゃあみっともないし、「まじめに経営していない姿勢がみえる」とM師匠よりもお小言を頂いたので(だからではありませんが・・)まずは、それらの撤去作業をしています。
 
周りはプロの畑や牧草地の地域ですから、牧草が繁茂します。そして酸性土なのでしょう、スギナが元気です。スギナは根っこが長く、ちょん切られて土の中に部分が残ればそこから再生するという強い生命力があります。 その他、細かな根を持つ植物が地表をびっしり覆っています。その根は絡み合い、分厚い絨毯のようになっているので、スコップでできるだけ深く掘り起こして、根から土を払い落とすという作業をするので、けっこう手間暇がかかります。
 
植物と言えども命であり、それを断つことは、つまり殺すことであります。 安住していたミミズやアリの住みかも破壊するので彼らも右往左往します。なので・・、けっこう精神的なエネルギーを消耗します、と言いわけ?しつつ、相変わらず休んでばかりいますが・・。
 
昨日は、畑への水遣りに少し笹薮がある小道を通って小川に水汲みに行ったためか・・、顎の下をダニに噛まれました。 金属製でバネで押し出しピンセットになったクルクルと回せるダニリムーバーで チコちゃんに除去してもらいましたがな・・。
そんなあんなで、コロナ禍でストレスフリーで生きとります。 これは免疫力向上にたいへんによいそうです。
 
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沈黙の春

2021-06-07 13:52:53 | コラム風味
レイチェルカーソン女史の著作「沈黙の春」が日本でも出版されたのはいつの頃だったろうか・・。もう30年くらいまえかしら・・・。  農薬がばらまかれて生態系が壊れて、春になっても虫が現れない、野鳥も囀らない世界になってしまう警告書で、環境教育に携わる者にとっては必読書です。


今日の野外は良く晴れていて、春から初夏への移ろいが実感できるような穏やかな日なのですが・・、 この時期、聞こえていた カッコーの鳴き声が聞こえない、エゾアカガエルの鳴き声も、南半球から渡ってくるオオジシギのジャジャジャバフバフバフと昼夜問わずにペアリングのための急上昇急下降を繰り返す派手なディプレイ音も聞こえない。 ツバメがやってこないと・・、数年前に比べて明らかであり、身近な生態系が加速度的に変化していると思える。
 
写真は本州での頂きものですが、 これは明らかに? 龍 だよなあ・・。 怒っているな・・・。
 
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