熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

九月文楽「女殺油地獄」・・・救いのない近松の世界

2005年09月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   九月文楽公演夜の部の後半は、近松門左衛門の最晩年の最後の世話物「女殺油地獄」であった。
   見栄っ張りで単純で、抑制心がなくてすぐ切れる、自分さえ良ければよいエゴイズムの塊のような青年を主人公にした物語である。
   同じガシンタレの大坂男を描いた「曽根崎心中」や「冥途の飛脚」等の心中ものとは違って、色も湿気もない正真正銘のワルを描いた作品で、最後までやりきれないほど救いがない。

   話の梗概は次のとおり。
   悪さばかりを続ける札付きのワル・河内屋与兵衛は、野崎観音前で、馴染みの遊女をめぐって喧嘩騒ぎで、お手打ちになるところを救われるが、改心する気は毛頭ない。
   番頭上がりの義父の弱みに付け込んで、妹に仮病まで使わせて家の相続を画策するが、ばれて家を追い出される。
   こんなワルでも、わが子可愛さ、何かの足しにとお金を渡してもらう為に、両親が夫々、同業の油屋豊島屋お吉を訪れるがここで鉢合わせ、親としての胸の苦衷をお吉にかき口説く。
   この両親の愁嘆を外で聞いていた与兵衛が、ほろっとするがそれも一瞬。
   義父の印判を悪用して借りた謝金の期限が迫って万事休す、両親が帰った後、豊島屋に入り込み、お吉に、事情を話して金の融通を頼むが断られる。色仕掛けを試みるが拒絶されるので、もうここまでと、油の流れた床を転がりながら逃げ惑うお吉を刺し殺して金を奪う。
   三十五日の逮夜、鼠の落とした血染めの書付と袷の血痕が証拠となって獲れえられる。

   お吉を遣うのは人間国宝・吉田簍助、与兵衛を遣うのは桐竹勘十郎の師弟コンビで、実に息の合った舞台で、「豊島屋油店の段」の壮絶な殺しの場は秀逸で、舞台狭しと暴れまわる。
   油桶や樽を投げつけながら悲鳴をあげて逃げ惑うお吉の決死の逃避劇、油に足を取られて床を端から端まで一気に滑り込む与兵衛の壮絶な追いかけ劇、人形だから出来る素晴らしい芸の連続で圧倒される。
   少し前に、文楽劇場で、玉男のお吉、簍助の与兵衛で、この「女殺油地獄」を演じられたようだが、観て見たかったと残念で仕方がない。

   この殺しの場以外は、お吉は、比較的大人しい舞台だが、冒頭の野崎観音前での与兵衛との掛け合い、それに、両親の愁嘆を聞く場での簑助は実に上手い。特に、愁嘆の場は、殆ど動きのないお吉だが、二人の話に合わせて微妙に相槌を打つ仕種の素晴らしさ、ジッと観ていたが、ここが人間国宝なのであろう。
   勘十郎の与兵衛は、比較的抑えた演技で、派手さやハッタリは殆どないが、時々見せるニヒルな表情や斜交いに構えた姿が得体の知れないヤングの恐ろしさを垣間見せる。

   「豊島屋油店の段」、口上の紹介でとちられて憮然としていた咲大夫だが、鶴澤燕二郎の三味線に合わせて正に名調子、義父徳兵衛と実母お沢との愁嘆場を実に感動的に語っていた。

   私の強烈な「女殺油地獄」の舞台は、少し前に観た歌舞伎座での舞台。
   与兵衛が市川染五郎でお吉は片岡孝太郎であった。
   やはり、視覚的に凄かったのは、最後の床を這いずり回る殺しの場面であったが、床には石鹸水か何かがひかれたのであろうか、とにかく、すってんころり、その滑り方は尋常ではなく、迫力抜群であった。
   その少し前に、与兵衛を仁左衛門、お吉を中村雀右衛門で演じられたようだが、いくら、80歳までバイクを乗り回していたとは言え、雀右衛門はご高齢、前述の文楽の玉男・簑助コンビもそうだが、激しいアクションも芸が総てなのかもしれないと思っている。   

   この女殺油地獄だが、住大夫は、近松も年を取ったので、じいさんばあさんの愁嘆場を書き加えたんではなかろうかと言う。
   「近松ものは字余り字足らずで、私嫌いでんねん」と言う住大夫、声質が合っていて、じいさんばあさんの愁嘆場のある近松もので点数を稼いで賞を取ったと言う。
   老夫婦が切々と心情を吐露するこの愁嘆場、浄瑠璃の醍醐味かもしれないし、あるいは、本当はこのドラマのテーマかもしれない、と思っている。
   
(追記) 写真は、文楽カレンダーからコピー。
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