今回のフーラム・大学見本市とは直接関係がないが、『イノベーション・ジャパン2005」の公式ガイドブックに、野依博士の素晴しいインタビュー記事「産・産連携をもっと活発に 学術の「独立性・中立性・公開性」確保を』が掲載されているので、感想を記してみたい。
産学と言うよりは、産・産連携の為に結成した勉強会「野依フォーラム」について、「国内協調、国際競争」が国益の基本であるとして、参加者の会社の経営者に、次代を担う研究者にもっと自由にやらせて欲しいと了解を取り付けた。
産業界の将来の研究リーダーは、世界の研究者から一目置かれ、尊敬の念をもたれる様な人であり、国際人としてビジョンを語れる人でなければならないと言う。
このブログでも触れたが、日本から出発してゆくウォートン・スクール(世界屈指のビジネス・スクール)の新入生が殆ど外国人で日本人が僅かになり、日本人の留学生が激減している。同じことを野口悠紀夫教授が、スタンフォードへの日本人留学生数が激減して中国や韓国留学生の数分の1になっていると報告している。
企業が貧しくなって留学生が送れないのか、日本の若い人たちが留学する気がなくなったのか。
経験から言っても、世界のトップクラスの大学・大学院に留学して、同じ土俵で世界の頭脳と切磋琢磨するのが一番良い方法だと思うのだが、益々、世の中の動きは逆行している。
次に重要なポイントは、地球規模の問題の解決には、エネルギー・資源、環境問題、医療や福祉の問題等どれをとっても科学技術が必要だが、必ずしも短期的に採算の取れないものが多い。
これ等の分野は、これ等の重要な科学技術に支えられており、人類生存の為、高度な文明社会を維持してゆく為には、必要不可欠である。
「責任科学」として、これ等の産業技術の振興の為に、規制や税制等官のサポートが必須である、と言う。
この問題については、経済社会制度面から、西村清彦東大教授が、「日本経済 見えざる構造転換」の中で、私的収益性が低いが、社会収益性が高くて人類の幸福や社会の発展の為に貢献するようなプロジェクトを推進する為に、公的資金と私的資金を融合した民間主導の「社会投資ファンド」システムの創設を提言している。
クールビズやアスベストに現を抜かしている間に、地球船宇宙号は危機に直面している。
真剣に、経済社会の活性化のためにも、この方面の科学の積極的な振興と経済社会体制の整備が急務であると思われる。
国家財政から支援を受けている大学は、社会還元と社会全体への貢献は当然で、産学連携も広く公益の為でなければならない。
特に、研究の商業化や営利主義化には注意が必要で、秘匿主義、利益相反、実験結果の操作、公表の抑制等は断固排除すべきである。
学術研究は広く公開し、その中から企業が成果をピックアップして産業化してゆく、これが、本来あるべき姿である。
経済的自立を求めて、精神的自律を失ってはならない。学術研究は、本来何物からも独立し中立でなければならないし、公開性を損なってはならない、と強調されている。
しかし、この点は、企業の立場からは、企業秘密として秘匿し、差別化したイノベーションを追及して競争会社を出し抜きたいのが本音であり、どう利害の調整をするのであろうか。
それに、資金的に余裕のある大企業が産学・科学技術コンプレックスを形成したらどう対処するのか、難しい判断に迫られる。
最も重要な問題点の指摘は、物質的、経済的側面ばかり強調されて、世界中の国々が長年培ってきた文化を蹂躙しつつあるのではないかと言う危惧である。
科学技術は文明の礎、学術は文化の礎である。
科学技術と学術とは決して2項対立ではなく、文化を尊重する文明を作って行かねばならない。学術よしっかりせよと言いたい、と仰る。
私なりに解釈すると、科学文明と文化の発展段階の乖離、即ち、自然科学的な学問が重視されて隆盛を極めているが、分科系や社会科系の学問領域、考古学、哲学、文学、芸術、宗教、政治・経済・経営・社会等の、本来人間の精神を高揚し豊かにする分野が弱くてバランスを欠き爬行現象を起こしていると言うことであろうか。
しかし、自然科学的な学問は、知識の蓄積が可能で、過去の知識の積み重ねの上からスタートして限りなく発展を遂げられるが、分科系や社会系は、その高みから次の高みへは進めない。
レオナルド・ダ・ヴィンチやシェイクスピアは、それが頂点であり、ベートーヴェンやモーツアルトも然り、後世の芸術家はそれを越えられないし、釈迦やキリストをも当然凌駕不可能である。
ある意味では深遠だが、頂点のない、発展のない世界なのかもしれないのである。
野依博士は、研究を、学術研究、戦略研究、委託研究と3分割されて、戦略研究や委託研究ばかりに政府の予算がつくからだと仰っている。
湯川博士が中間子の研究をしたのも、福井博士が「フロンティア分子軌道理論」を研究したのも、自身の精神の高揚のため、「内なる確信」に基づいた、純粋に学術を進歩させたいと言う思いからで、国の方針と関係ない。科学者の誇りと気概の問題だと言われている。
産学と言うよりは、産・産連携の為に結成した勉強会「野依フォーラム」について、「国内協調、国際競争」が国益の基本であるとして、参加者の会社の経営者に、次代を担う研究者にもっと自由にやらせて欲しいと了解を取り付けた。
産業界の将来の研究リーダーは、世界の研究者から一目置かれ、尊敬の念をもたれる様な人であり、国際人としてビジョンを語れる人でなければならないと言う。
このブログでも触れたが、日本から出発してゆくウォートン・スクール(世界屈指のビジネス・スクール)の新入生が殆ど外国人で日本人が僅かになり、日本人の留学生が激減している。同じことを野口悠紀夫教授が、スタンフォードへの日本人留学生数が激減して中国や韓国留学生の数分の1になっていると報告している。
企業が貧しくなって留学生が送れないのか、日本の若い人たちが留学する気がなくなったのか。
経験から言っても、世界のトップクラスの大学・大学院に留学して、同じ土俵で世界の頭脳と切磋琢磨するのが一番良い方法だと思うのだが、益々、世の中の動きは逆行している。
次に重要なポイントは、地球規模の問題の解決には、エネルギー・資源、環境問題、医療や福祉の問題等どれをとっても科学技術が必要だが、必ずしも短期的に採算の取れないものが多い。
これ等の分野は、これ等の重要な科学技術に支えられており、人類生存の為、高度な文明社会を維持してゆく為には、必要不可欠である。
「責任科学」として、これ等の産業技術の振興の為に、規制や税制等官のサポートが必須である、と言う。
この問題については、経済社会制度面から、西村清彦東大教授が、「日本経済 見えざる構造転換」の中で、私的収益性が低いが、社会収益性が高くて人類の幸福や社会の発展の為に貢献するようなプロジェクトを推進する為に、公的資金と私的資金を融合した民間主導の「社会投資ファンド」システムの創設を提言している。
クールビズやアスベストに現を抜かしている間に、地球船宇宙号は危機に直面している。
真剣に、経済社会の活性化のためにも、この方面の科学の積極的な振興と経済社会体制の整備が急務であると思われる。
国家財政から支援を受けている大学は、社会還元と社会全体への貢献は当然で、産学連携も広く公益の為でなければならない。
特に、研究の商業化や営利主義化には注意が必要で、秘匿主義、利益相反、実験結果の操作、公表の抑制等は断固排除すべきである。
学術研究は広く公開し、その中から企業が成果をピックアップして産業化してゆく、これが、本来あるべき姿である。
経済的自立を求めて、精神的自律を失ってはならない。学術研究は、本来何物からも独立し中立でなければならないし、公開性を損なってはならない、と強調されている。
しかし、この点は、企業の立場からは、企業秘密として秘匿し、差別化したイノベーションを追及して競争会社を出し抜きたいのが本音であり、どう利害の調整をするのであろうか。
それに、資金的に余裕のある大企業が産学・科学技術コンプレックスを形成したらどう対処するのか、難しい判断に迫られる。
最も重要な問題点の指摘は、物質的、経済的側面ばかり強調されて、世界中の国々が長年培ってきた文化を蹂躙しつつあるのではないかと言う危惧である。
科学技術は文明の礎、学術は文化の礎である。
科学技術と学術とは決して2項対立ではなく、文化を尊重する文明を作って行かねばならない。学術よしっかりせよと言いたい、と仰る。
私なりに解釈すると、科学文明と文化の発展段階の乖離、即ち、自然科学的な学問が重視されて隆盛を極めているが、分科系や社会科系の学問領域、考古学、哲学、文学、芸術、宗教、政治・経済・経営・社会等の、本来人間の精神を高揚し豊かにする分野が弱くてバランスを欠き爬行現象を起こしていると言うことであろうか。
しかし、自然科学的な学問は、知識の蓄積が可能で、過去の知識の積み重ねの上からスタートして限りなく発展を遂げられるが、分科系や社会系は、その高みから次の高みへは進めない。
レオナルド・ダ・ヴィンチやシェイクスピアは、それが頂点であり、ベートーヴェンやモーツアルトも然り、後世の芸術家はそれを越えられないし、釈迦やキリストをも当然凌駕不可能である。
ある意味では深遠だが、頂点のない、発展のない世界なのかもしれないのである。
野依博士は、研究を、学術研究、戦略研究、委託研究と3分割されて、戦略研究や委託研究ばかりに政府の予算がつくからだと仰っている。
湯川博士が中間子の研究をしたのも、福井博士が「フロンティア分子軌道理論」を研究したのも、自身の精神の高揚のため、「内なる確信」に基づいた、純粋に学術を進歩させたいと言う思いからで、国の方針と関係ない。科学者の誇りと気概の問題だと言われている。