熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

世界への旅立ち・・・インカ、そして、インディオ達の文化

2005年09月01日 | 海外生活と旅
   我々モンゴロイドの同胞・インディオは、我々の祖先と別れて、ベーリング海峡を渡って、アラスカからメキシコ、パナマを越えて、アンデスの麓に移り住んだと言う。日本人移民が移住を開始したのは、100年ほど前だが、もっともっと前、気の遠くなりそうな昔のことである。
   私は、純粋なインディオには、ボリビアやペルーで会ったが、心なしか、日本人よりは、確りしたハッキリした顔立ちをしていたように思う。

   ブラジルのインディオは、アマゾン奥地に住んでいるが、ブラジルでは、白人と移住させられた黒人との混血が多い。
しかし、隣のパラグアイ等他のラテン・アメリカでは、インディオとの混血が多かった。
   メキシコでもそうだが、スペインやポルトガルなどラテン系の白人は、原住民との混血を厭わなかったので、殆ど混血していて、新しいヨーロッパ人の移住地以外では、純粋な白人は少ない。
   混血を嫌ったアングロ・サクソン主導のアメリカとは大変な違いである。

   私は、ボリビアやペルーで、インディオの祖先の残した遺跡などを何箇所か訪れた。
   メキシコ等中米のマヤやアズテック文化を実際に訪れて、ピラミッドや神殿遺跡などに立ってみると違いが分かるが、パナマ地峡を隔てているだけで、可なり大きな差がある。
   ラテンアメリカのインカ等の遺跡は、まだ、殆ど初期の発見・発掘段階のようで、次々に新しい出会いが有り楽しみである。

   随分前だが、私は、ペルーの古都クスコに滞在し、汽車でマチュ・ピチュを訪れたことがある。
   高度2,280メートルなので、遥かに高地にあるクスコからは低地に位置し、ジャングルのウルバンバ渓谷を下って麓駅に着くと、そこからバスで、綴れ折の坂道を登る。
   マチュ・ピチュは、1911年に、ハイラム・ビンガム卿によって発見されたので、スペイン人に荒らされていない為に、廃墟になったままで残っている数少ないインカの遺跡である。
   ナショナル・ジオグラフィック等で知っていたので、別峰の丘から、背後に帽子型の山を背負った写真と同じ遺跡を見た時には、感激しきりであった。
   何処からとも無く、哀調を帯びた「エル・コンドル・パッサ」を吹くケーナの音が聞こえてきた。

   私は、スペイン文化は高く評価するが、インカを征服したピサロ等のスペイン征服者達を心情的に好きになれない。時代の流れには同化できなかったが、高度な文化・文明を築いてきたインカ帝国を破壊し尽くしてしまったからである。
   ペルーの天野博物館を訪問すれば良く分かるが、インカの残した織物などの素晴らしさは、ある意味では、中国や日本を凌駕している。
   メスなど高度な医療機器がないのに、脳外科手術を行った。ミステリーにしておきたいので知りたくないが、何故、大人の髑髏をあんなに小さく出来るのか。
   クスコ等にあるインカの石垣は、カミソリも入らないほど、整然とビッシリ積まれている。特別な秘密があるのではなく、インカの人々が、ピッタリ合うまで根気良く磨きぬいたと言うのである。

   アンデスの山の中の国・ボリビアには、何度か出かけた。4,000メートルの高地の空港に降り立ち、少し下ってすり鉢のそこにあるような富士山の頂上に近い高地のラパスで仕事をしたのであるが、とにかく、空気が希薄な為に夜中に何度も深呼吸をしなければ眠れない。駆け足で階段を上るなど以ての外である。
   ここには、沢山のインディオが住んでいて、私の行った頃、もう、30年近く前になるが、ハカマのような衣服を着て独特のフェルト帽を被り風呂敷包みを襷掛けにした人々が街を歩いていた。清浄な空気で日差しが強いために、皆真っ黒な顔をしていた。
   ホームレスのインディオ達が、厳寒の中、スペイン人達が建設した壮大な教会の玄関口の石畳の上に寝て夜を過ごしていた。
   華麗な豪邸に住む一部の特権階級と貧しい多くの庶民が同居する二重国家を、このラテンアメリカで嫌と言うほど見て、文明史観が変わってしまった。

   チチカカ湖で、芦舟に乗る人々、田舎町の小さな祭りで笛を吹き踊る人々、まだ、懐かしい牧歌的な生活が残っていた。
   空気が澄んでいて、深いブルーの吸い込まれるような真っ青な空が全天を覆い、そよ風の音しかない全く異次元の世界で、夜など漆黒の中に星が降る。
   夜、ナイトクラブで、米搗きバッタの様に頭を前後に振り激しくケーナを吹きながら舞台を踊るインディオ楽師の演奏に、そして、ウイーン・フィルやベルリン・フィルにも決してひけを取らないような天国からの音のように華麗にフルートを吹くインディオ奏者の演奏を涙しながら聴いたのを、昨日のことのように思い出す。

   隣のエクアドルには、赤道直下であることを示す記念碑がある。
   私は、民族移動と一口に言うが、よくもここまで、インディオ達は新天地を求めて移住してきたものだと思うと、何時も感に耐えなかった。
   アンデスの山の中で、祖先が見たことも無いような、アルパカやビクーニアを追っているのである。
   
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