熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

イギリス:”EU離脱”で進む分断

2016年08月02日 | 政治・経済・社会
   今朝7時のHNK BS1世界のTOPニュースのワールドeyesで、”イギリス EU離脱で進む分断”を報じていた。
   今回のEU離脱の国民投票の結果で、EU域内からの移民に対して深刻な民族圧迫とも言うべき嫌がらせや弾圧まがいの運動が拡大して、分断現象が巻き起こっていると言うのである。

   この問題は、これまでにも何度か報道されていて、所謂、ヘイトクライム(英: hate crime、憎悪犯罪)現象で、一般的には、人種、民族、宗教、性的指向などに係る特定の属性を有する個人や集団に対する偏見や憎悪が元で引き起こされる暴行等の犯罪行為を指す(ウイキペディア)のであるが、
   今回の場合、特に顕著なのは、2004年以降、ポーランドなど東欧諸国からの移民が増えて、これらが、英国人の雇用や社会福祉など、国民生活を圧迫しており、これが、英国人の国民感情を悪化させていると言うことである。
   
   

   ポーランド人に対する嫌がらせが顕著なようで、協会事務所への落書きや、一所懸命働いてやっと地歩を築いたポーランド人経営者の車に「まだ、帰国の準備をしていないのか」と言った紙切れが挟まれていてショックだったなどと報じていた。
   EU離脱に70%を投じた有数の野菜生産地であるイングランドの田舎町ボストンは、バルト3国など東欧からの移民が10%を越えていて、病院や社会福祉行政を圧迫し、英語の分かららない児童の増加で教育現場に負担がかかるなど、英国人の不満が増幅していると言う。
   
   

   ピケティに象徴される経済格差、貧富の格差の拡大で、生活を圧迫される国民が増加の一途を辿っていると言う問題に加えて、近年、英国のみならずEU全体が経済の悪化に苦しんでおり、英国そのものの財政が悪化し続けていて、社会福利厚生や教育文化予算を切り詰めるなど緊縮政策を取らざるを得ず、この面からも、国民生活は、どんどん圧迫されて悪化している。
   特に、移民による国民生活の圧迫がすべてではなくても、自分たちの職を低所得でも喜んで働く移民たちに奪われて、福利厚生など生活を保障してくれるセイフティネットが、緩み始めてくると不安を感じるのは当然であろう。

   先日、この番組でも報道されていたのだが、エストニアやラトビアなど東欧移民の所得は、本国の5倍だと言うことだが、今日の番組では、英国政府次第では、帰国せざるを得ないと言っていたので、ある程度は、出稼ぎ意識の移民もいるのかも知れない。
   しかし、もう、既に、10年近くも経つのであるから、ドイツのトルコ移民のように、永住化と言う問題もあろう。
   いずれにしろ、今回のEU離脱の最大の焦点が、英国への移民阻止と言う深刻な国民感情であったから、移民の流入さえ止めれば、自分たちの生活は守れると考えている英国民が、過半と言わないまでも、少なくとも、庶民の多くは、そう考えていると言うことであろう。

   ここで、考えるべきは、英国そのものの歴史である。
   かっては、七つの海を支配して世界を制覇し、殆ど世界中の国を自分たちの文化文明に取り込んで、手足のように使って大をなして来た。
   そして、大英帝国の没落と英国の衰退以降も、自国の力が弱体化しつつも、自尊心など何のその、ウィンブルドン現象をフルに活用して、世界の金融業を巻き込んでシティを世界一の金融センターにするなど、世界のパワーを手玉に取って、今日の英国を築いてきている。
   移民は職を奪うと言うのだが、現在、シティが最高峰の金融センターとして栄えているのは、衰退した英国金融機関に代わって、アメリカやドイツなど巨大な外国金融機関の働きあってこそなのである。
   先に、サッチャーが必死になって日産を英国に誘致するなど、とにかく、英国経済を支えているのは、外国パワーの貢献あったればこそであって、外資は歓迎するが、移民は拒否すると言うのは、本来の英国の姿ではなかった筈である。
   (尤も、外国人嫌いの日本人の立場からは、この問題には、あまり踏み込めないとは、思っている。)

   話は飛ぶが、私が、英国関連で仕事をし始め在住したのは、1980年代初め位から、1993年頃までで、日本が、Japan as No.1の時代であり、英国病で呻吟していたイギリスが、サッチャーによって、不死鳥のように蘇生して、経済大国へと驀進しはじめた時期である。
   この時には、英国の経済や社会状況が上り坂で、移民の規模も少なく、それまでに、インドパキスタンなど、元植民地であった英連邦からの膨大な移民で溢れかえっていて、ロンドン市内でも、外国出身者の方が多い感じで、私が付き合っていたエンジニアやシティのバンカーたちのかなりも純粋のブリティッシュオリジンではなかった。
   しかし、極端な移民排斥運動や外国人に対する嫌がらせなど起こっていたようには思えなかった。
   英国人は、世界制覇して、かっては、外国人を支配していたのかも知れないが、あの当時は、英国人は、外国人を自国人と同じように遇して生活する国民だと思っていたし、私の友人のイギリス人の多くもそう言っていた。

   しからば、何故、今、英国は、移民排斥気運の蔓延で、分断が進むのか。
   やはり、リーマンショック以降の深刻な国際経済、特に、EUおよび英国の経済の悪化の結果、本来は、経済成長源であった筈の移民労働者を吸収する能力がなくなり、その負担があまりにも過重となって、英国の政治経済社会の悪化を招いて、暗礁に乗り上げてしまったと言うことであろう。
   1990年代以降、ブレア政権以降の政治経済社会のかじ取りに問題があったと言うことかも知れない。

   余談ながら、当時、私自身は、シティで大プロジェクトを推進していて、英国の永住権もすぐに貰ったし、ジェントルマン・クラブにも入会を許されていたので、外国人として、英国で、嫌な思いを経験したことはなかった。
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