熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

御名残四月大歌舞伎・・・芝翫の「実録先代萩」

2010年04月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   夜の部の「実録先代萩」は、何時も、歌舞伎座で上演されているお馴染みの「伽羅先代萩」とは違って、河竹黙阿弥の明治時代の作品で、実録を基に作出されたものだと言う。
   政岡が、浅岡に代わるなど、登場人物の名前が変わるのはともかく、「伽羅先代萩」では、主君の身代わりとなって毒見をして死んでしまう実子千松(千代松)が、ここでは、国許から母恋しさに江戸屋敷を訪れて、幼君鶴千代(亀千代)の取り成しで対面するが、伊達騒動の最中で祖父伊達安芸や自分たちの戦いの妨げになっては駄目だとして、国へ追い返す子別れがメインテーマと成っている。
   千代松は、主君に諫言して手打ちになった白川主殿と浅岡との子供で、主殿が手打ちになった後、家名は断絶、母子は里に帰ったが、浅岡が、幼君の乳母になったので、幼い子供は、安芸の許に置いて出て来ているのである。
   
   千代松を国許から連れてきた片倉小十郎(幸四郎)の会ってやってくれと言う願いにも、わが子に会いたいのは山々だが、会えば情に引かれて幼君への奉公に妨げになると突っぱねるのだが、浅岡の子供なら会いたいと言う亀千代の命で対面する。
   懐かしさに縋り付く千代松を、親子の縁を切ったのだから母と思うなと、苦衷で泣き心で詫びながら言い聞かせようとする。
   亀千代が心中を察して取り成し、主従の誓いを立てて引き止め、二人が必死になって取り縋り千代松の滞在を哀願するのだが、大事への障害を恐れて、浅岡は、涙を呑んで、小十郎に託して、千代松を国許へ追い返す。

   この舞台には、忠臣の松前鉄之助(橋之助)とお家乗っ取りを狙う原田甲斐一味の連判状を国から持参する幸四郎の小十郎が登場するのだが、重要な脇役に過ぎず、完全に、浅岡を演じる芝翫の独壇場の舞台である。
   子役の亀千代(千之助)と千代松(宜生)たちは、教えられた通りに、歌舞伎の伝統的な様式美を演じながら心の喜怒哀楽や心の襞を表現しているので、リアリズムに欠けるのだが、これを触媒として、芝翫は、その歌舞伎の様式美とリアリズムを綯い交ぜにしながら、主君を庇護する最高級の局としての風格と威厳を保ちながら、血を分けた幸せ薄いわが子可愛さに心で慟哭しながらも決別せざるを得ない運命の過酷さ、そして、その苦衷に泣く心の葛藤を、必死になって体全体で演じている。
   去り行くわが子の後姿を眺めながら慟哭するラストシーンが、芝翫・浅岡の総てを物語っている。
   そして、歌舞伎は、どこまでも美しくなければならないのである。

   先日、NHK BShiで、「中村芝翫 歌舞伎ひとすじ八十年」を放映していた。
   この舞台は、恐らく、芝翫の歌舞伎芸術の集大成だと思うのだが、「自分の追う(思う?)ことが観客に伝わることが出来れば一丁前、成功者だと思うが、自分の思っていることの半分も通じていない。」と述懐していたが、私は、双眼鏡を片手に、台詞回しを追いながら芝翫の表情を克明に観察していたが、情感が胸の中を激しく行き来しているのであろう、実に、複雑に揺れ動く微妙な心の襞を豊かな表情で表現していたが、それを増幅しながら芸の心を感じるのが観客の勤めだと思って観ていた。
   いくら、役者が最高の芸と心を見せてくれていても、観る方に、それを理解し感じる心がなければ駄目で、観客も役者と同じように、努力に努力を重ねて、感受性豊かに受け止めることで、それに感じて感動すれば良いのだと思っている。

   やはり、この歌舞伎の良し悪しは、子役の二人に掛かっているようで、テレビの放映では、芝翫の二人の子供に対する舞台稽古から始まっていたのだが、子供への配慮が大切で、心配なので子役の台詞の方を先に覚えてしまうと言うことや、しっかりした子供より大らかな子供の方が良いと言っていたのが面白かった。

   千代松の宜生の祖父は、芝翫、亀千代の千之助の祖父は、仁左衛門なのだが、夫々、お父さんの橋之助と孝太郎が、二人の子供に芸をつけている様子を放映していた。
   芝翫が、早くに父を亡くして、更に五代目歌右衛門の祖父を亡くして、若くして後ろ盾を失うと、一挙に歌舞伎界の目が冷たくなって苦労したと語っていたが(これと同じ話を、猿之助も著書で述懐していたが)、閉鎖された社会の歌舞伎界の陰湿性や梨園の名門の運命と言うものはそんなものかも知れないと思うと、何の世襲かと複雑な気持ちになる。
   この二人の子役たちは、今を時めく後ろ盾がいて幸せなのであろう。

   この実録先代萩を、芝翫は、祖父の五代目歌右衛門のレコードを聞いて覚えたようで、以前には梅幸が演じていたようだが、こんぴら歌舞伎で演じてから13年目の上演で、祖父歌右衛門追悼を兼ねて、歌舞伎座最後の舞台で、万感の思いを込めて親子三代の共演で舞台を勤めたのだから、本望であろうと思うのだが、それだけ、芝翫にとっては、一世一代の大舞台であったのだと言うことであろう。

   この舞台では、やはり、幸四郎の渋い芸が秀逸だが、橋之助の凛としたサポートに加えて、流石に、御名残の舞台だけあって、バックを固める局役に、萬次郎、孝太郎、扇雀、芝雀と言った花形を起用しているのも、芝翫あっての舞台なのかも知れない。
   観ていて、真っ先に、重の井子別れの舞台を思い出したが、他にも、「葛の葉子別れ」や「幡随長兵衛子別れ」など、歌舞伎には、切ない子別れの舞台があるのだが、先代萩で、別な形の子別れの舞台を観て面白かった。

(追記)口絵写真は、NHKテレビより。

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