熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

松下ウェイ(1)・・・「ムーア時間」に対応できなかった中村改革前

2007年03月11日 | イノベーションと経営
   今書店のビジネス本コーナーに、フランシス・マキナニー著「松下ウェイ」と言う真っ赤な表紙のA5版本が積まれている。
   最近稀に見る日本ビジネスを主題にした素晴らしい経営学書で、松下の奇跡的な回復を主導した中村改革の内幕とその秘密を解き明かしている。
   中村会長のアメリカ時代からの経営コンサルタントで、中村改革のブレイン的アドバイザーとしての立場から論述しているので臨場感も迫力も抜群である。

   まず、冒頭から、マキナニーは、
   1996年に、日本の松下を訪問したが、本社は、パソコンしか商品のないデルが数千種類の製品を持つ米国松下の売上高を上回ったことや、シンプルさとスピードが勝利を齎すと言う理論をにわかに理解出来なかった。
   経営情報の流れが存在せず、意思決定のメカニズムもない。9.11の時の米国同様、惨事を回避できるタイミングで情報が入っているのに、それを伝達し、結論を引き出し、決断を下すシステムが存在しない。内情を知れば知るほど、この企業が存続していることのほうが不思議に思えてきた。と言っており、その頃の松下電器の経営がいかに危機的な状態であったかを述べている。
   中村会長が、中村改革がなければ、松下は潰れていたかも知れないとWBSに応えていたのは、本当だったのである。

   更に、松下の経営の迷走ぶりを説明し、
   やがて混迷するブランド・製品・系列企業の寄せ集めに対して、二つの面から、一つは、中国や韓国が低価格かつ高性能の製品を作るようになったこと、もう一つは、アップルやマイクロソフトと言った革新的な企業が新たに市場を構築したこと、から激しい攻撃が加えられた。松下は、こうした市場に参入することはおろか、存在すら確認できなかった。
   何の手立てもないまま、松下の企業生命は尽きかけていた。とまで極論するのである。
   
   企業を取り巻く経営環境がデジタル化し、インターネットの普及で、幾何級数的に変革する「ムーア時間」的展開をしているのに、松下の経営陣は、幸之助の長い伝統に配慮し彼が残した膨大なビジネス著作に雁字搦めになって身動きが取れなかった。
   「マンネリ」故に来る日も来る日も知っているやり方を続けている間に、世界は変わってしまっていた。
   マキナニーは、マクルーハンの「メディア論」の「急速な変化が進む時代とは、二つの文化のフロンティア、また対立するテクノロジーのフロンティアに位置する時代」を引用して、80年代後半から90年代の松下は、「二つの文化」、即ち、社内は古い世界のままで、周囲は総て新しい世界、の間に置かれていた。崩壊のリスクは毎日のように高まっていた、と言っている。                                            
       
   ムーアの法則が働く世界では、短縮される一方の製品サイクル、かってないほど短くなった顧客の関心サイクルへの対応を余儀なくされる。
   アナログ対応で価格性能比が緩やかに変化して行く世界に慣れた「マネシタ電器」が、劇的な価格下落が日々起きるデジタル時代に直面すると、たとえ台数が伸びたとしても、売上高を維持するのが精一杯となり、利益はドンドン減少して行く。
   まして、ITバブルが企業を直撃すれば業績の更なる悪化は必然となる。
   当時、松下だけではなく日本の総合電機メーカーの大半はそんな苦い経験をした筈で、グローバルな経済社会がインターネット時代に突入して大きく激変していたのも拘わらず、それに上手く対応できなかった。
   アベグレンが、選択と集中を怠った日本の総合電機業界を叱っていたが、実際は、集中と選択の問題だけではなく、本質的には、IT革命でビジネスモデルが根幹から変革してしまっていたのに、その新しい波に乗れなくて世界の潮流から取り残されてしまった日本製造業の悲劇だったと言うことである。

   インターネットの普及等IT革命によって情報コストが急速に低下し消費者余剰が生まれて、グローバル市場の力関係が変化して、生産者から消費者へのパワーシフトが起こった。
   ムーア曲線に沿って動くムーア時間で瞬時に変化する顧客の需要に対応する為、迅速な意思決定と経営判断が求められていた。
   顧客との距離を極力短縮した経営組織体制の確立が急務であり、製造・サービス創出・流通を、一つのシームレスな流れとして顧客に直結して統合することが必須だったのである。

   マキナニーは、このような考えに立って松下に、「サッカーボール理論」を展開し、松下の経営を「情報速度の高さ」「強さ」「柔軟性」「俊敏さ」と言った属性を備えた体質に早急に変革し、丈夫で柔軟性のある構造を保ち続ける為にインターネットを駆使して、企業と顧客・サプライヤー。企業内部のシームレスな接続を可能にするために、分権化したフラットな組織を説いた。
   経営指標のポイントは、たった二点で、キャッシュ化速度と資本収益性速度の向上だが、その意味するところと経営戦略の奥は深い。
   ITバブルを間に挟んだ、熾烈な中村改革が始まったのである。
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