熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

勅使河原 茜展・・・高島屋日本橋

2007年03月12日 | 展覧会・展示会
   草月流80周年記念、勅使河原茜家元の「私の花」展を見に行った。
   華道には一切関係ないし習ったこともないので全く知らないのだが、花が好きで、この高島屋での草月流の展示会には良く出かけて行く。
   美しい花との出会いがあり、美しい自然の花に素晴らしい芸術的な匠の技が加わると、限りなく花が輝く、そう思って、そして、それを見たくて行くのである。

   今回は、家元の展示会なので、期待して行ったが、正直な所、素晴らしいと思って鑑賞させて貰った。
   何時も、草月流の展示会では、家元の作品は、竹や大木などをあしらった巨大な造形物が展示されているだけなので、良く分からなかったのだが、今回は、個展なので色々な作品があり、特に、自然の花を活けた小さな作品で、それが、夫々個性的で素晴らしい花器とマッチして美しい造形のハーモニーを醸し出しているのに感激して見とれていた。

   会場に入ると、小さな白いトンネルで、壁面にはびっしり6万枚の経木が鳥の羽のように貼り付けられて波打っていて、それを通り抜けると、華やかな春の花の巨大な盛り花が迎えてくれる「色彩のかたち」の部屋に出る。
   漆塗りの車、白磁や古陶器など草月流コレクションの名品に花々が豪華に活けられている。
   菊桃などの桃やレンギョウにラナンキュラス、若葉の美しいモミジ、名前を知らない珍しい花などが豪華に群舞していて美しい。
   何時も人工的な装飾品や造花・造木などの生け花を見せられているので、殆ど総てが自然の花の生け花なので嬉しかった。

   隣の部屋は、「カレイドスコープ」の間で、照明に明るく照らされたスリガラスのスクリーンをバックにして、花器は殆どヴェネチアン・ガラス等のガラス器で、シンプルな花や植物を活けた作品が展示されている。
   この口絵写真のガラス器はガレである。
   万華鏡の間と言うことだが、私には、その簡素で色彩を押さえた演出が何処か墨絵の世界を思わせて心地よかったし、2~3輪だけの花が空間を泳いでいるバランス感覚など正に瞑想の世界である。

   次は、一挙に薄暗くなり「闇の花」の間で、電光に照らされてうっすらと光る椿の群生が目に飛び込む。ピンクと白と赤のやぶ椿の大きな枝が豪快に活けられていて、椿好きの私には、椿林に入ったような錯覚を覚えた。
   この部屋には、フジなども活けられていたが、流石に家元と言うべきか、会場には、季節や場所に関係なく、必要ならどんな花でも植物でも集めてきて活けると言うくらい豪華で珍しい植物が使われていた。
   この部屋の花器は、総て家元自作のようであった。

   一番巨大な部屋には、軽気球や洋ナシを逆さにした感じに青竹で編んだ大きな造形や竹を立てた空間に、白からピンクにかけて豪華に咲いた桜の大きな枝を飾りつけた林のような造形が作られていた。
   山桜、大島桜、河津桜、枝垂桜 etc. 日本の竹と桜の造形だが、面白い。

   
   最後の部屋は「あしたの花」。緑にそまる白い心と言うタイトルで、白い花器に緑の植物が生けられていたが、自然の試練に苛め抜かれて複雑に変形し皮をはいだ古木を器にした生け花が面白かった。

   「命のすばらしさ、美しさ、恐ろしさ、脆さ、愛おしさ・・・それらをすべてと、まっすぐに向き合い生まれた「私の花」をお届けします。」と家元は言っているが、私には難しかった。
   しかし、素晴らしい生け花を見せてもたったと言う思いを持って会場を出たことは間違いない。
   
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