熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

『オリエント急行殺人事件』・・・フジテレビ

2015年01月14日 | 映画
   アガサ・クリスティの『オリエント急行殺人事件 Murder on the Orient Express』を三谷幸喜がテレビドラマ化した「オリエント急行殺人事件」が、フジテレビで放映された。
   娘たちが好きなので、アガサ・クリスティの推理小説をドラマにしたポアロやミス・マーブルの番組を、せっせと録画をしているのだが、私自身は、それ程、見たことはない。
   しかし、魅力的な役者が登場する2夜にわたる意欲的な番組だったので、珍しく、録画したのを、全編見たのだが、非常に面白かった。

   昭和初期の日本、昭和モダンが花開いた時代の超豪華寝台付き特急列車「東洋」を舞台にして、実業家・藤堂(佐藤浩市)が殺されると言う殺人事件を、同列車に乗り合わせた私立探偵:勝呂武尊(野村萬斎)が裁くと言う話。
   勝呂は、犯人の動機は、5年前に起こった剛力家の悲劇に始まり、その「復讐」であると推理する。
   その事件とは、剛力大佐(石丸幹二)と、その夫人・曽根子(吉瀬美智子)の一人娘聖子が誘拐され身代金を支払ったにも拘らず殺害され、心痛で妻は死に夫は自殺し、メイドの小百合(黒木華)は、殺人の手引きを疑われて獄中で自殺すると言う不幸な事件である。

   勝呂は、鉄道省の役人・莫(高橋克実)と医師の須田(笹野高史)を助手代わりにし、車掌の三木(西田敏行)を使って、寝台車の乗客12人、
   被害者・藤堂の秘書・幕内(二宮和也)、執事・益田(小林隆)、おしゃべりなマダム・羽鳥夫人(富司純子)、教会で働く呉田(八木亜希子)、轟侯爵夫人(草笛光子)、外交官の安藤伯爵(玉木宏)、安藤伯爵夫人(杏)、能登陸軍大佐(沢村一樹)、万年筆の販売員・羽佐間(池松壮亮)、博多の輸入自動車のセールスマン・保土田(藤本隆宏)、家庭教師の馬場(松嶋菜々子)、轟侯爵夫人のメイド・昼出川(青木さやか)を一人ずつ尋問する。
   これらの12人と車掌の三木は、総て、剛力家と関係のある所縁の者達で、剛力夫人曽根子の実母鳥羽夫人(元大女優)の指揮下、家庭教師の馬場の計画、その恋人で剛力の親友能登大佐の補佐で、自殺したメイドの父・車掌の三木を含めて(曽根子の妹安藤夫人を除く)全員が犯人となって完全犯罪を目論み、犯行に及ぶ。

   ポアロ版のストーリーは、ポアロが、急用でロンドンへの帰途、イスタンブル発カレー行きのオリエント急行に乗り、列車が、ボスニア・ヘルツェゴビナのヴィンコヴツィとブロドの間で積雪による吹き溜まりに突っ込み立ち往生する中で、アメリカの富豪サミュエル・ラチェットの殺人事件に遭遇すると言うことになっていて、ラチェットが、刃物によって全身を12か所にわたってメッタ刺しにされて殺害されていたと言う設定なども、三谷版と殆ど同じで、舞台が、関が原付近で、大雪のために列車が身動きが取れなくなったと言うことになって完全に日本版になっている。

   詳細は、省略するが、能楽堂で観ることの多い和製ポアロの萬斎、父親に良く似て来て貫録十分の藤堂の佐藤、秘書・幕内の二宮、車掌の西田を筆頭に充実した男優陣に、松嶋や富司や杏や草笛など素晴らしい女優陣の名演が、芳醇なボルドーの香りと雅の綾織の如き彩を添えて愉しませてくれる素晴らしい5時間のドラマである。
   ここでは、ただ一点、最後のポアロと勝呂の対応が、違っており、それが、非常に意味深で興味深いので、その点に絞って、感想を記しておきたい。

   本事件の真犯人は、ラチェットであることは明白なのだが、当時のアメリカの世相を反映していてマフィアの圧力によって判決が歪められて無罪放免になるのに対して、三木版では、藤堂に対する状況証拠は揃っているのだが、直接証拠が立証できないので無罪放免にされる。

   最後の結論だが、ポアロは、法は法だと強硬に関係者に攻め寄るのだが、最後は感動的な幕切れで、列車を降りて、雪中の車外で出迎える地元の警察官達に、残されていた車掌の制服を示して犯人は車掌に変装して社内に潜り込んで殺人を犯して逃げたと説明して、去って行く。
   ポアロの捌きで、初めての真犯人見逃し(しかし、情けある大岡裁き)に遭遇したのであろう、苦渋に満ちた厳しいポアロの表情が印象的であった。
   三木版は、勝呂が、獏と須田の見解を聞いて、犯人は殺害後車窓より逃亡したと言う見解に同意して、保土田を車外に出して雪中を走り回らせて、足跡の証拠を消させ、東京に着くまでに、事件記録を書くことになる。

   このストーリーの重要なテーマは、平和であった市民生活が悪質な殺人事件によって、一気に奈落の底に突き落とされてしまったにも拘わらず、私利私欲のために残忍な殺人を犯して置きながら、明確に犯人だと分かっている極悪人が、法体制の不備によって、のうのうと生き続けて暴利を貪っている。
   これに対する、何の罪もない善意の人間が鉄槌を下そうと試みた殺人事件である。

   どうしても許せないと言う善意の人間の怒りを、どう解決するのか。
   あのソクラテスは、裁判にかけられ死刑判決を言い渡された時に、ギリシャを限りなく愛するが故に、「悪法もまた法なり」と言って毒杯をあおいで死んで行った。

   ポアロも、
   でたらめな12人の陪審員による私的制裁だ。
   ならず者のリンチと同じで、このようなことがまかり通れば、中世の暗黒時代に逆戻りだ。
   と、自分達には何の罪もない善意の人間が、義憤にかられて止むにやまれずやったのだから正しいのだと言う人たちに向かって、法を犯した殺人だと激しく叱責・詰問する。
   正義とは、一体何なのか、激しく厳しい告発である。

   ポアロ版の結末には、あのアル・カポネが全盛を誇っていた正に無法地帯とも言うべきマフィアの暗躍時代を考えれば、善意の小市民の安全や正義、あるいは、市民生活を守るためには、法体系なり法システムが不備である以上、カウンターベイリング・パワーとして、ある程度の理解は出来ると思う。

   その意味では、三谷版は、非常に面白い娯楽番組になっているような感じがする。
   
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