熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

株価崩落は当然なのか・・・オーストリア学派の見解

2018年02月13日 | 政治・経済・社会
   ニューズウィークの電子版を見ていたら、「株価崩壊は当然だ──アメリカの好景気はフェイクだった(A Stock Market Tumble Is the Correction We Need)」と言う記事を見つけた。
   FEEのジョナサン・ニューマンの記事だが、ミーゼスを引いてのオーストリア学派の見解を示していて、面白いと思った。
   要するに、サブプライムとリーマンショック以降、FRBが、市場経済の回復力を待たずに、不況脱出、景気回復のために行ったドラスチックな金融緩和やゼロ金利などの一連の政策が、経済をスキューして、見せかけの好況を演出して株価を一本調子で押し上げてきたので、崩壊するのは当然だ、と言うのである。
   ケインズ経済学流の需要拡大や金融政策の緩和などによって、不況時に、経済浮揚策を取ることは、当然だと考える一般論に対して、それをやり過ぎたから、経済が常軌を逸して過熱したのであるから、崩壊するのは当然だと言う論理は、そんな考え方もあるなあと思わせて新鮮でさえある。

   不況になれば、景気底入れのために、極端に悪化している需給ギャップを回復するために、公共投資など需要を喚起するための財政政策を取り、金利を下げたり金融を緩めるなど開放的な金融政策をとるなど、政府や中銀が積極的な景気浮揚策を取るのだが、
   オーストリア学派のミーゼスは、計画経済を鋭く批判しており、いかなる種類のものであれ市場現象への干渉行為は、その意図とは逆に、効果がないののみならず元の状態よりも更に悪化させ、福祉国家などの大きな政府は、まさに介入主義であり、必ず経済を停滞させるとする立場であるから、今回の株価暴落の主犯、悪の権化は、FRBのやってはならない無駄な介入である。とする。

  米国の株価は2009年に底を打ってから、安定して上昇を続けてきたが、2月に入って、1月に付けた最高値から、ダウ工業株30種平均は2200ポイント以上も下落(-8.5%)、スタンダード&プアーズ(S&P)500社株価指数も7.9%下落した。
   株価下落の主要因だと指摘しているのは、次の3件。
   ・今回の税制改革が、あらゆる企業に対して更なる先行き不透明感を惹起した。
   ・債券市場が、将来の価格インフレを引き起こして、事業コストを引き上げる。
   ・インフレ懸念に加え、米労働省が発表した米雇用統計での賃金上昇と言う楽観的な見通しによって、FRBが更なる利上げに踏み切る

サブプライム危機とリーマン・ショックによる2007~2008年の金融危機が、実体経済にも壊滅的な影響を及ぼした時、FRBは、大規模な量的緩和で市場に資金を供給し、フェデラルファンド(FF)金利を事実上ゼロにするなど前例のない行動に出た。
   FRBは、数兆ドルの資金を金融市場や銀行に供給し、企業がかつてなく低コストで資金を調達できるようにするなど、投資と雇用を刺激するために、大胆な政策に踏み切ったが、これは、住宅価格や資産価格の下落に歯止めをかけ、2000年代半ばまで続いた上昇基調に戻ることを目指した。

  ここまでは、周知の事実であるが、オーストリア学派のミーゼス流の論理になると、興味深いのは、
  FRBを、ドラスチックな行動に駆り立てたのは、株価暴落と住宅バブル崩壊だが、それは病気の原因や進行具合を教えてくれるX線画像のようなもので、画像を加工して病気を消してしまっては、医者も患者も正しい治療はできない。と言うことである。
   FRBは、異例の大胆な金融政策をとることによって、この2つの病巣を世間から覆い隠してしまった。米経済に必要だった健全な調整の機会を奪った。と言うのである。

   ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは、中央銀行が「景気循環」の元凶だと初めて指摘した偉大な経済学者のようだが、企業は、事業を営むのに、どのように戦略戦術を打つかは、市場金利に基づいて判断している。中央銀行が介入しなければ、借り手と貸手の需給バランスを取るうえで重要な役割を果たすのが金利で、金融市場から流れる情報に従っておれば、最も生産性の高い方法で効率的に資本を分配できる。それが混乱するのは、中央銀行が介入するからで、
   今回のように、FRBが量的緩和を実施すると、市場に過剰資金が溢れて金利を押し下げ、企業も人も実際より多くの資本があるように錯覚して、企業は資金調達して雇用を増やし、工場や機械などのあらゆる資本財を新たに購入する。消費者も同様に、低金利を利用して住宅や車など、さまざまな消費財をローンで買う。このような、バブル状態の経済の好循環が、景気を必要以上に過熱させて、株価は史上最高値を更新させた。 
   
   言うなれば、過剰な生産や消費をし、企業も市場から誤った情報を受け取ったために事業判断を誤って、より高いリスクを負ってしまっており、そんな好循環がいつまでも続く筈がない。
   現在は、信用の蛇口が絞られてバブルがはじけ、人々が改めて自分のお金の使い方を見直し始めたところで、景気失速は失業や倒産の増加、株価の下落などを伴うが、自分たちの事業計画や支出を現実に即して見直すための健全なプロセスだ。と言うのである。

   株式市場は、バブル崩壊に向かっているか? それとも調整を経て、安定した持続可能な経済成長路線に乗ることができたのか? それは今日時点ではわからない。
   はっきり言えることは、10年にわたる株価の好調が、持続可能性と生産性をベースにした新しい時代を反映したものではないということだ。実際、数々の株価指数は、FRBが緩和したお金の分だけ上昇した。
   あれほどの金融緩和とゼロ金利で悪銭を供給してきたのであるから、企業業績も雇用も良くなり株価が高騰するのは当然であって、ブームが、避け得ない崩壊に至っても、驚くべきではない。
  
   以上が、ジョナサン・ニューマンの論旨だが、市場に任せろと言う理論だから、政府やFRBが一切不況対策も景気浮揚策も実施せず、放任して置けと言うことだが、それではどうすればよいのかよく分からないが、確かに、何もせずに市場経済に任せておいても、不況は深刻化し長期化したとしても、必ず、景気循環によって、好況を取り戻すであろう。
   政府の市場経済への介入は一切避けるべきだと言う、何か、消えていた懐かしい経済学が突然蘇ってきたような錯覚を覚えたのだが、いずれにしろ、景気状況に応じた経済政策は打つべきだろうと思っている。

    むかし、リチャード・クーが、バランスシート不況を論じながら、日本政府が膨大な公共投資で需要を支えて来たのでこの程度の日本経済の不況で済んだのだと論じていたのだが、その良し悪しは別として、このミーゼス流の論旨から行けば、そのような、無意味な政府の介入があったが故に、日本経済を健全な状態に戻して成長軌道に乗せるのに失敗して、失われた四半世紀状態に呻吟し続けたのだ、と言えないこともないのであろう。

   極論だとは思うが、中途半端な日本の経済政策なり、企業の戦略戦術が、厳しい時流への挑戦と対応力を削ぎ、それが、グローバリゼーションとICTデジタル革命・第3次産業革命と言う人類史上最大の大変革期に遭遇したために、残念ながら、キャッチアップ出来ずに、どんどん、後塵を拝する結果になってしまっていると言うことであろうか。
   その意味では、オーストリア学派的な市場原理、競争原理に基づいた厳しい政治経済的な対応姿勢も必要だろうと言う気がしている。
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