熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場・・・3月歌舞伎:義経千本桜 三段目(椎の木・小金吾討死・鮓屋)

2020年04月28日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「義経千本桜」の三段目は、椎の木・小金吾討死・鮓屋、いがみの権太(菊之助)が主役の歌舞伎である。
   冒頭、「椎の木」では、平重盛の子息三位中将維盛(梅枝)の奥方若葉の内侍(吉弥)と子息六代、家来小金吾(萬太郎)の一行が、平維盛を追って大和国を経由し高野山へと向かう途中、吉野下市村に差し掛かり、親切に椎の実広いを手伝ってくれたはずの権太に強請られ路銀を騙し取られ、「小金吾討死」では、小金吾は、若葉の内侍と六代探索の追手に深手を負わされ、嘆く内侍と六代をその場から逃がして息絶えた。
   一方、維盛は、重盛に恩のある釣瓶鮓屋の弥左衛門(実は権太の父親、團蔵)が、熊野詣の時に維盛と偶然出会い大和下市に連れてきて弥助と名乗らせ匿まわれていて、弥左衛門の娘お里(米吉)がゾッコン。
   そこへ、若葉の内侍と六代が偶然迷い込んできて親子再会を果たすのだが、鎌倉の武士梶原景時(権十郎)が来ると告げられ、維盛たちは驚くが、お里が上市村にある弥左衛門の隠居所に逃げて行くよう勧め、維盛たちはその場を立ち退く。
   ところが、それを、物陰に隠れて聞いていた権太が、維盛たちを捕まえて褒美にしようと、それを止めようとするお里を蹴飛ばし、先に母をだまして隠していた三貫目の入ったはずの鮓桶を持って飛出して行く。
   
   
   
   
    
   
   
   
   

   ここからが、この舞台のハイライトで、歌舞伎の常套手段で最も有名な、いがみの権太の「もどり」。
   欺し強請りを地で行く悪行の限りを尽くして生きてきた権太が、匿われていた平維盛の妻若葉の内侍と若君六代の君を梶原景時ら捕り手に引き渡す。怒った父親に刺されて瀕死の状態の権太が、ここで初めて、維盛一同を救うために、父が持ち帰ってきた小金吾の首(三貫目の桶と間違って持ち出した)を維盛の首と偽って差し出し、妻とわが子を身代りに立てたことを告げて真実を明かす、悪玉が実は善玉と言う、どんでん返しを演じるのである。
   関西弁で、どうしようもない悪ガキを、「あの子、権太やなあ」と言うのだが、いがみの権太は、その程度の悪ガキではなく、徹頭徹尾の悪人であるから、余計に、信じられないような善玉に変ってしまうので、劇的効果が満点なのである。
   権太は、苦しい息の中から、身を隠して立ち聞きしていた、維盛と弥左衛門の身の上を聞いて改心したと言うのである。
   
   ところが、褒美の代わりに、景時は着ていた頼朝から拝領の陣羽織を脱いで権太に与え、これを持って鎌倉に来れば、引き換えに金を渡すと言われたのだが、助けられて現れた維盛が、その陣羽織を裂くと、中から、袈裟衣と数珠が出てきて、頼朝が、清盛の継母池の禅尼に命を助けられたその恩に報いて、今度は、頼朝が維盛の命を助けたことが分かる。
   権太が苦心惨憺編み出したはずの身替りの計略は、すべて見破られていて、逆に、権太が謀られた、
   悪の報いを悔やみながら、権太は、維盛たちを見送り、逝く。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   さて、この第三段目の浄瑠璃の主役は、いがみの権太だが、「義経千本桜」としては、維盛であろう。
   維盛の最期については、色々な伝説があって定かではないが、その伝承話を上手く脚色しながら、この浄瑠璃は創作されていて面白い。
   平家物語には、巻第七・維盛都落で、妻子との悲しい別れが描かれ、巻第十・維盛出家 では、高野山での出家の後、沖に出て入水自殺が語られれている。
   維盛は、一ノ谷の戦い前後、密かに陣中から逃亡して、30艘ばかりを率いて南海に向かい、のちに高野山に入って出家し、熊野三山を参詣して、船で那智の沖の山成島に渡り、松の木に清盛・重盛と自らの名籍を書き付けたのち、沖に漕ぎだして入水自殺したのである。
   最期は、訳文を借用すると、
   ”中将は今が極楽往生の絶好の機会だとお思いになり、たちまちに妄念をひるがえして、声高に念仏を100遍ほど唱えつつ、「南無」と唱える声とともに、海へお入りになった。”
   父重盛が長生きして居れば、平家の運命のみならず、維盛の人生も、輝いていたはずだが、歴史は、武家政治へと急旋回しながらも、それを許さなかった。
   維盛自身、富士川の戦いや倶利伽羅峠の戦いで、総大将でありながら惨憺たる負け戦で、鹿ケ谷の陰謀に加担した藤原成親の娘が妻であったと言う不幸など、悲劇の貴公子であったが、女方の演じる梅枝のような雰囲気であったのであろうか。

   さて、今回のこの歌舞伎は、人を得て、非常に良くできた舞台で、楽しませて貰った。
   これまで観た舞台では、仁左衛門のいがみの権太が、最も印象に残っているのだが、この役は、多少小賢しい、箸にも棒にもかからない、どうしようもないチンピラヤクザでありながら、底が抜けていてどこか憎めない小悪の悪ガキの雰囲気を醸し出した役で、やはり、大阪弁で喋る上方役者にしか出せない味が見え隠れしているような気がしている。
   尤も、團十郎の舞台も凄くて印象に残っているのだが、今回の菊五郎のように、直球勝負で、ストレートにいがみの権太に成り切って、正攻法でイメージを膨らませて行く新境地の良さも実感して興味深かった。

   ところで、この国立劇場の「義経千本桜」も、ぼつになった3月歌舞伎を、無観客で映像化しての配信なのだが、期間限定である所為もあって、テレビなどの録画番組とは違った雰囲気があって良い。
   臨場感はないが、舞台だと、詳細が分からないのだが、細かい描写など雰囲気が手に取るように分かって、丁度、METライブビューイングのような良さがあって楽しませてくれた。
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