熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

フランスの格差拡大社会

2013年07月13日 | 政治・経済・社会
   ダニエル・コーエンの「迷走する資本主義」を読んでいて、ポスト産業社会の分析も非常に面白いのだが、随所に、母国フランスの文明文化批評が展開されていて、その中で、フランスが、益々格差社会が拡大して行く様子について書いているので、一つの文明国の世界的傾向として、考えてみたいと思った。

   話の発端は、ヨーロッパの社会的連帯について、国によって自由に対する考え方が違っていると言う問題意識から、個人主義的なイギリスの自由、共同体モデルのドイツの自由に対して、フランスの自由人は、法的なものではなく、殆ど心理的な意味において他人に従属していない人をさし、これまで両立することができなかった聖職者価値観と貴族的価値観の二つの価値観のシステムから生じる矛盾の狭間に依拠していると言う指摘からである。
   教会は、神の前では全員平等だと普遍的な価値観を説くが、貴族は、神が与えた自分たちの高貴な身分や行動を褒め称えるのだから、二つは相容れず、偽善に陥るだけなのだが、このアンビバレンスが引き伸ばされたことによって、フランス革命が、貴族制度を廃止して特権階級を葬り去った直後に、エコール・ポリテクニーク(理工科大学校 俗にポリテク)やエコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範学校)など名門グランゼコールを創設し、独自の新貴族階級を生み出したのである。
   
   フランス・モデルの最も肯定的な定義は、エリートの社会的出身階級を葬り去ったことである。例えば、トップ・グランゼコールの一つENA(国立行政学院)に入学すれば、最早、農民の息子や娘ではなく、他の同級生と同様に、行政官や特権階級、すなわち、今様貴族になるのである。
   このエリートへの関門である名門グランゼコールへの入学が益々難しく熾烈な競争となり、社会的同類婚(同じ社会階級に属する者同士の結婚)の進展によって、国家のエリートたちは、幼稚園の段階から先制攻撃をかけて英才教育に励んでいると言う。

   フランス全体でみると、社会階層の分離と固定化現象は、益々、進展拡大を続けていると言う。
   今では、金持ちと貧しい人たちは明確に区分された地区で生活するようになり、都市部の街角は、社会階層が混在する場所ではなくなってしまったと言うのである。
   悪いことに、RER(高速郊外鉄道網)の発達によって、通勤距離を引き延ばすと同時に、難民や貧困層が住む都市部郊外を飛ばして、更に郊外に豊かな住区を作り出している。

   もっと深刻な現象は、前述した同じ社会階層に属する者同士の同類婚による社会階層の固定化がどんどん進んでいて、一連の閉じた世界が形成されつつあると言う。
   この社会的同類婚に関する傾向を「選択的ペア理論」として、ノーベル賞経済学者ゲーリー・ベッカーが分析しているのだが、一番目の組み合わせである金持ち美男子と金持ち美女の恵まれた同士の結婚が進むと、恵まれないもの同士が結婚する以外に道がなくなる。醜くて貧しい男が、金持ちの美女と結婚する非対称的な組み合わせの場合もあるが、この場合には、男は女に対して、より多くのものを提供しなければならない筈である。

   金持ちから始まったこの分離は、社会全体に広がり、同類婚が常態化しつつあるのだが、最上流階級において最も顕著だと言う。
   この選択的組み合わせの理論から、明らかになったのは、人々は、「均質化された社会層」から相手を見つけるようになり、愛の要素は減り、自分より貧しい者を拒絶するようになると言うのである。

   さて、このポリテクを出たフランス人のエリート意識だが、私が、パリで仕事をしていた時に、一人だけかなり親しく付き合った知人がいた。
   ポリテクの学生は、あのパリ祭で、凱旋門からコンコルド広場に向かってシャンゼリゼ通りを先頭に立って行進する特権を持っているのだが、卒業すると暫くお礼奉公として政府で働いて、その後、政財官などの組織のトップとして転出するとかで、知人は、随分若かったが、非常に頭の切れる優秀な人で、中堅のエンジニアリング会社の社長を務めていた。
   何かの拍子に、私が、ウォートン・スクールのMBAだと分かって、同類だと認めて対等に付き合ってくれたのだが、この時、国際条理のビジネスなり交渉では、如何に、世界的なトップ大学卒の資格なり学位が必須であるかを、米英以上に感じたのを覚えている。
   貴族社会を否定したフランスは、超名門校の学歴で、エリートを創出していたと言うことだろうが、これは、世界全体の傾向のようで、まだ、日本の方が、名門学閥への拘りが少ない方で、学歴に対する考え方はかなり穏健であり平等主義的であると思っている。
   

   私は、アメリカ、オランダ、イギリスと、欧米在住は、合計10年だが、コーエンの言う同類婚は、私の知る限り、殆ど常態化しているではないかと感じている。
   4年住んでいたブラジルも、仕事をしていたアジアや他の国でも、やはり、同類婚が普通のようで、日本の方が、同類婚ではない自由結婚のケースが多いようで、学歴に対するのと同じように、民主的な平等社会ではないであろうか。
   人生をやり直せないので、あくまで仮定の話だが、色々な与件が入り込むのであろうが、好きになれば、それが一番重要な決定因子のようになるだろうと思っている。

   格差の拡大が、このフランスのように、社会的な階級構造の新しい傾向だと言うことになると、格差縮小に対する経済社会政策の方向性が、違って来るかも知れない。
   多様化の時代だと言いながら、社会そのものが、社会構造の分離と固定化に、どんどん、進んで行くと言うことは、政治経済社会システムが硬直化して来ると言うことでもあり、国家運営のかじ取りが、益々、難しくなると言うことであろう。
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