東洋経済オンラインで、森田 宗一郎 : 東洋経済 記者の、
「約10年で3000店が消滅、「町の本屋」の切実事情 商材の拡大や収益源多角化へ、迫られる変革」という記事を見た。
何時も話題になっている日本人の本離れ、紙媒体の刊行物の退潮傾向を伝えているのだが、必死に踏みとどまろうとする書店の努力を読んで興味を感じた。
石堂書店が2019年に「まちの本屋リノベーションプロジェクト」クラウドファンディングで得た250万円を元手に、書店近くに家族で所有していた空き店舗を改装し、詩歌やエッセイ、社会評論などのジャンルを中心に選書する「本屋・生活綴方」としてオープン。さらに、店舗の2階にある会議室を一般向けに開放し、シェアオフィス事業へ進出した。今でも収入規模では石堂書店が大半を占めているが、新たな2事業の利益率は従来の書店業よりはるかに高い。2021年には黒字に転換。と言う。
もう、20年近く前のことになるが、ニューヨークに行ったときに、留学時代によく行っていた5番街の米国最大の書店バーンズ・アンド・ノーブル(Barnes & Noble)の旗艦店を訪れて、店内に、スターバックスが併設されていて、行け行けになっていたので、非常に便利であったのを覚えている。
これがハシリだと思うが、その後、異業種の店舗同士のコラボレーションが盛んになって、書店に色々なコーナーが併設された。
石堂書店の場合、最近流行りの「ナラティブ」現象の取り込みだと思うが、物語を育める読書空間のある書店が生まれてきている。
大都会のビル全体が書店になっているような大型書店では、その店へ行くだけで、十分に楽しめるが、普通の書店や街角の書店へは、一寸寄ってみようかという程度で行く機会も少なく、何かその書店に行くのが楽しいとか、有意義な時間が過ごせるとかと言った付加価値なり魅力がないと、ただでさえ本離れの時代に、訪れることは少なくなる。
まして、コロナ騒ぎで、私など、ここ2年くらいは、真面な書店に行ったことがなく、本の購入は、すべてネットショッピングで済ませている。
東京に通勤していた頃には毎日のように訪れていた神田神保町には、もう、何年も行っていないので、ウインドーショッピングの楽しさも忘れてしまった。
本を探すのは、やはり、東京の巨大な書店を訪れて、興味のあるコーナーをゆっくりと回って見つけることであり、また、神田神保町の古書店をハシゴして、見過ごしていた書物を探すことだが、最近では、書店で検索しなくても、デジタル革命のお陰で、ロングテイル現象で、アマゾンのHPを叩けば、どんな本でも探せるし、必要なめぼしい情報はまず取得できて、殆ど不便を感じることはない。
本のページを開けば、まずまずの情報は得られるし、試し読みをクリックして開くと、本の内容も大体つかめて便利だし、最新の新刊などの関連本の情報も得られるので重宝している。
問題は、そのお陰で、どんどん本を買い込むことであり、それに、実際に本を見ていないので、思っていたのとは違って期待外れに終ることがあることである。
さて、先の書店改革だが、私自身は、喫茶など近くに憩う場所があれば、巨大な大型書店と神田神保町を歩ければ十分であって、それ以上を期待して書店で過ごすつもりはないし、自宅でのマイペースの読書三昧で満足している。
今日も、師走ながら、朝天気が良くて風も穏やかであったので、庭に出て本を読んでいたし、陽が陰れば和室から庭を眺めながら、また、書斎に篭って、自己流の本読みの楽しみを噛みしめている。
自分で、居心地の良い読書環境を作って居を構えて、時折、コーヒーの香りを楽しみながら、知への挑戦というか趣味と実益を兼ねて時を過ごす、徒然ながら、そんな日々を送っている。
読書そのものが生きがいのような生活をしていると、どんなことをしていても、本から離れられないのである。
「約10年で3000店が消滅、「町の本屋」の切実事情 商材の拡大や収益源多角化へ、迫られる変革」という記事を見た。
何時も話題になっている日本人の本離れ、紙媒体の刊行物の退潮傾向を伝えているのだが、必死に踏みとどまろうとする書店の努力を読んで興味を感じた。
石堂書店が2019年に「まちの本屋リノベーションプロジェクト」クラウドファンディングで得た250万円を元手に、書店近くに家族で所有していた空き店舗を改装し、詩歌やエッセイ、社会評論などのジャンルを中心に選書する「本屋・生活綴方」としてオープン。さらに、店舗の2階にある会議室を一般向けに開放し、シェアオフィス事業へ進出した。今でも収入規模では石堂書店が大半を占めているが、新たな2事業の利益率は従来の書店業よりはるかに高い。2021年には黒字に転換。と言う。
もう、20年近く前のことになるが、ニューヨークに行ったときに、留学時代によく行っていた5番街の米国最大の書店バーンズ・アンド・ノーブル(Barnes & Noble)の旗艦店を訪れて、店内に、スターバックスが併設されていて、行け行けになっていたので、非常に便利であったのを覚えている。
これがハシリだと思うが、その後、異業種の店舗同士のコラボレーションが盛んになって、書店に色々なコーナーが併設された。
石堂書店の場合、最近流行りの「ナラティブ」現象の取り込みだと思うが、物語を育める読書空間のある書店が生まれてきている。
大都会のビル全体が書店になっているような大型書店では、その店へ行くだけで、十分に楽しめるが、普通の書店や街角の書店へは、一寸寄ってみようかという程度で行く機会も少なく、何かその書店に行くのが楽しいとか、有意義な時間が過ごせるとかと言った付加価値なり魅力がないと、ただでさえ本離れの時代に、訪れることは少なくなる。
まして、コロナ騒ぎで、私など、ここ2年くらいは、真面な書店に行ったことがなく、本の購入は、すべてネットショッピングで済ませている。
東京に通勤していた頃には毎日のように訪れていた神田神保町には、もう、何年も行っていないので、ウインドーショッピングの楽しさも忘れてしまった。
本を探すのは、やはり、東京の巨大な書店を訪れて、興味のあるコーナーをゆっくりと回って見つけることであり、また、神田神保町の古書店をハシゴして、見過ごしていた書物を探すことだが、最近では、書店で検索しなくても、デジタル革命のお陰で、ロングテイル現象で、アマゾンのHPを叩けば、どんな本でも探せるし、必要なめぼしい情報はまず取得できて、殆ど不便を感じることはない。
本のページを開けば、まずまずの情報は得られるし、試し読みをクリックして開くと、本の内容も大体つかめて便利だし、最新の新刊などの関連本の情報も得られるので重宝している。
問題は、そのお陰で、どんどん本を買い込むことであり、それに、実際に本を見ていないので、思っていたのとは違って期待外れに終ることがあることである。
さて、先の書店改革だが、私自身は、喫茶など近くに憩う場所があれば、巨大な大型書店と神田神保町を歩ければ十分であって、それ以上を期待して書店で過ごすつもりはないし、自宅でのマイペースの読書三昧で満足している。
今日も、師走ながら、朝天気が良くて風も穏やかであったので、庭に出て本を読んでいたし、陽が陰れば和室から庭を眺めながら、また、書斎に篭って、自己流の本読みの楽しみを噛みしめている。
自分で、居心地の良い読書環境を作って居を構えて、時折、コーヒーの香りを楽しみながら、知への挑戦というか趣味と実益を兼ねて時を過ごす、徒然ながら、そんな日々を送っている。
読書そのものが生きがいのような生活をしていると、どんなことをしていても、本から離れられないのである。