わが庭のモミジ獅子頭が綺麗に紅葉を始めている。
大分前、千葉にいたとき、小さな苗木を園芸店で買ってきて育てていたら、真っ赤に燃えるように美しく咲いた年があり感激したことがあって、ずっと大切に育てている。
その後買った新しい苗木を加えて、2本の獅子頭が、わが庭に植わっていて、楽しませてくれているが、年によって気象条件が異なり、鎌倉に移植してからは、あまり、綺麗に紅葉したことがない。まだ、鮮やかな真っ赤にはなっておらず、雨の中なので輝きがない写真だが、今年は、まずまずであった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/eb/533f74ce64253cdb00ed13467a87df63.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/c2/80a8ffd63ca553ba6d880cd4ba8ef78b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/76/f3d4b159983abaa141b229d655d55f98.jpg)
これまで、紅葉の季節になると、いそいそと京都や奈良の古社寺など紅葉の名所などに出かけていたのだが、歳の所為か億劫になってきて、それに、鎌倉の紅葉で美しいと思って感激した記憶もそれ程ないので、出かけるのを止めて、小宇宙としてのわが庭のモミジを見続けている。
京都や奈良へは、学生の頃から随分あっちこっちを歩いてきたが、何故か、今でも一番強烈に印象に残っているのは、宇治川河畔のモミジで、桜なら京都醍醐の三宝院の枝垂れ桜である。
講義が早く終ると、吉田山から銀閣に出て、哲学の道を歩いて永観堂から南禅寺・・・
早いと、大原まで足を伸ばしたたり、逆に、帰途、桂で乗り換えて、嵐山や嵯峨野へ
若い頃、古社寺散策や四季の自然を味わう旅歩きは、殆ど一人で通していたが、仕事が多忙になり始めた熟年に入ってからは、京都や奈良へは、親友達との出逢いを兼ねて出かけることが多くなった。
私自身が、関東に拠点を移して、それに、海外生活が多くなって、関西へ行く機会が減ったこともあるのだが、それだけ、京都や奈良歩きが貴重になってきたことにも依る。
奈良には、奈良に生まれ育って奈良なら何でも知っているという学友がいて、奈良には結構訪れている私にとっても珍しいような所へ、あっちこっち連れて行ってくれて随分素晴しい経験をさせて貰った。
京都や宇治は、学生時代を4年間、京都でそれぞれの生活を送ってきてよく知っているので、阿吽の呼吸で歩いたのだが、学生時代とは違った楽しさがあった。
京都で生まれ育った親友は、東京で多忙であったので、京都へは、名古屋に住んでいる学友を誘うことが多かった。
しかし、その京都や奈良を一緒に歩いた親友達も、後期高齢者になり始めた頃から、何らかの体調の不良を来していて、「さあ、今度の土曜日、室生寺へでも行こうか」と言うことが出来なくなってしまった。
まだ、少しは元気な私が、近いうちに、名古屋や奈良を訪れることになっている。
気の遠くなるような静寂に包まれた晩秋の庭に出て、しみじみと楽しかった友との古社寺散策を思い出している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/a5/b4b31eaadcc48f2a3d86bbe2e05e2fce.jpg)
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大分前、千葉にいたとき、小さな苗木を園芸店で買ってきて育てていたら、真っ赤に燃えるように美しく咲いた年があり感激したことがあって、ずっと大切に育てている。
その後買った新しい苗木を加えて、2本の獅子頭が、わが庭に植わっていて、楽しませてくれているが、年によって気象条件が異なり、鎌倉に移植してからは、あまり、綺麗に紅葉したことがない。まだ、鮮やかな真っ赤にはなっておらず、雨の中なので輝きがない写真だが、今年は、まずまずであった。
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これまで、紅葉の季節になると、いそいそと京都や奈良の古社寺など紅葉の名所などに出かけていたのだが、歳の所為か億劫になってきて、それに、鎌倉の紅葉で美しいと思って感激した記憶もそれ程ないので、出かけるのを止めて、小宇宙としてのわが庭のモミジを見続けている。
京都や奈良へは、学生の頃から随分あっちこっちを歩いてきたが、何故か、今でも一番強烈に印象に残っているのは、宇治川河畔のモミジで、桜なら京都醍醐の三宝院の枝垂れ桜である。
講義が早く終ると、吉田山から銀閣に出て、哲学の道を歩いて永観堂から南禅寺・・・
早いと、大原まで足を伸ばしたたり、逆に、帰途、桂で乗り換えて、嵐山や嵯峨野へ
若い頃、古社寺散策や四季の自然を味わう旅歩きは、殆ど一人で通していたが、仕事が多忙になり始めた熟年に入ってからは、京都や奈良へは、親友達との出逢いを兼ねて出かけることが多くなった。
私自身が、関東に拠点を移して、それに、海外生活が多くなって、関西へ行く機会が減ったこともあるのだが、それだけ、京都や奈良歩きが貴重になってきたことにも依る。
奈良には、奈良に生まれ育って奈良なら何でも知っているという学友がいて、奈良には結構訪れている私にとっても珍しいような所へ、あっちこっち連れて行ってくれて随分素晴しい経験をさせて貰った。
京都や宇治は、学生時代を4年間、京都でそれぞれの生活を送ってきてよく知っているので、阿吽の呼吸で歩いたのだが、学生時代とは違った楽しさがあった。
京都で生まれ育った親友は、東京で多忙であったので、京都へは、名古屋に住んでいる学友を誘うことが多かった。
しかし、その京都や奈良を一緒に歩いた親友達も、後期高齢者になり始めた頃から、何らかの体調の不良を来していて、「さあ、今度の土曜日、室生寺へでも行こうか」と言うことが出来なくなってしまった。
まだ、少しは元気な私が、近いうちに、名古屋や奈良を訪れることになっている。
気の遠くなるような静寂に包まれた晩秋の庭に出て、しみじみと楽しかった友との古社寺散策を思い出している。
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