熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ポーリーン・ブラウン著「ハーバードの美意識を磨く授業: AIにはつくりえない「価値」を生み出すには」(1)

2021年12月17日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本のタイトルは、Aesthetic Intelligence: How to Boost It and Use It in Business and Beyond
   ”美的知性、美意識(審美眼)のある知恵、美を理解できる能力を持った知性”、と言うことであろうか、
   ”ビジネス、更にそれを超えて、美的知性を如何に触発して活用するか”

   ビジネスで成功を収めるために、どのように美的知性を活用するのかを、
   「経営におけるアートとサイエンスの両極」をキャリアの中で経験してきた著者が、蘊蓄を傾けて説き起こした新しい経営学の本である。
   ドラッカーもミンツバーグも、経営はアートだと説いていたが、そのような経営学の理論の展開を超えて、具体的な成功事例やブレイクスルーした企業などのケースを克明に活写して実務に深く切り込んでおり、経営なりそれ以上の世界を、「美的知性 すなわち 第二のAI」を如何に縦横無尽に働かせて、活性化し発展させるかを論じていて、非常に面白い。
   数多の成功企業や失敗企業を例に挙げて展開されていたこれまでのMBAベースの経営学の戦術戦略論とは全く異なって、美意識、美的知性を主役に据えての経営戦略論であるから、とにかく、手に取るように説明が明瞭で興味深いのである。

   さて、まず最初に感じたトピックスは、本論とはやや外れるが、「インビジブル・デザイン」ということ。
   同じ原料から作られているリップスティックだが、多くの女性は、高級百貨店でシャネルのルージュ・アリュール・ヴェルヴェット(37ドル)を買って、何故、ウォルマートで販売するレブロンのスーパー・ラストラス・リップスティック(チェリー色、約6ドル)を買わないのか。
   材料のワックスの質は同じだし、赤の色調にもそう違いはないのに、値段は6倍も違う。
   シャネルの方が、つけ心地が良いからとか、長持ちするから、などと女性達はあれこれと理由を挙げるかも知れないが、本当のところは、高価なリップスティックを使っていることの喜びを感じ、美意識とプライドが満たされているからだと言う。
   シャネルのリップスティックのケースも魅力的で、筒型ケースは重みがあり、メタリックゴールドで、キャップの刻印されたダブルCのロゴが優美であり、購入すること自体がエレガントで、ハイレベルで、楽しい。レブロンのように、薄暗いドラッグストアで、不正開封防止機能付きのパッケージを陳列棚から取り、精算するためにイライラしながらレジの前で待つのとは全く違う。
   
   尤も、シャネルには、ブランドの哲学や美学を表すブランド特有の識別子、シャネルのシャネルたる「ブランドコード」があり、レブロンが逆立ちしても凌駕できないが、レブロンは、一個あたり数セント投資すれば、さえないパッケージデザインを一新し、リップスティックを小さなボックスに収めることが出来て魅力が増す。レブロンもドラッグストアも、どうすれば生産コストや小売価格を必ずしも上げることなく、製品の美的価値を上げ、売り上げを伸ばすことが出来るのか、シャネルから一寸でも学ぶべきだと著者は言う。

   もう一つこれと関連する戦略戦術は、高い付加価値のある体験を売る「スターバックス式解決法」というコモディティ商品に新風を吹き込む美意識に基づく方法である。
   独自性のあるわくわくする体験を生み出し、そして商品にまつわる内容豊かなストーリィを紡ぐ。スターバックスは、効率よりも「快適さ」を重視して内装をデザインして、ヨーロッパ式のノウハウと職人技を感じさせる「バリスタ」をカウンタースタッフとして育成し、従来型のコーヒーショップとの差別化を図った。家庭でもない職場や学校でもない「サードプレイス(第三の居場所)」を提供するコーヒーチェンを展開して、喫茶店など全くなくて、真面なコーヒーを外では容易に飲めなかったアメリカに新風を巻き起こし、紅茶文化のイギリスさえも席巻したのである。

   尤も、ドラッカーでさえ、スターバックスはイノベーションだと高く評価して、アメリカでは、一世を風靡したのだが、日本の高級な喫茶店やウィーンのカフェハウスを知っている人にとっては、何を戯言を言っているのかと言うことだが、
   例えば、イノベーションだと目されているQBハウスも欧米の散髪屋の「カットオンリー」の変形だし、ドトール・コーヒーの初期の止まり木スタイルは、ブラジルのバールの模倣であって、所変れば、新ビジネスはイノベーションになる。尤も、イノベーションとして事業化に成功するためには、魔の川・死の谷・ダーウィンの海と言う大難関を突破しなければならないので、大変ではある。

   さて、私が、ここで語りたかったのは、殆ど関係はないが、ガルブレイスの「「社会的バランス(social balance)」の問題で、
   私的に生産される財貨およびサービスの供給は、国家によるそれを大きく凌駕する、すなわち、私企業が生み出す財サービスは、潤沢な資金を使った宣伝広告によって、嫌でも購買を煽られてどんどん豊かになって行くが、人の嫌がる税金で賄われる公共財やサービスは貧弱。たったひとりしか乗らない乗用車が必要以上に豪華に高級化していくが、公園などは十分に維持管理されなくて汚い。と言うことで、
   良いか悪いかは別問題だが、人間心理を煽って需要を恣意的に誘導して拡大することが、果たして、人類にとって良いことなのかどうかと言う疑問を感じていると言うことである。
   
   蛇足ながら、片山元知事が糾弾していた鳥取の下請けでは800円で納品されているブラジャーが、中間マージンはともかく、1万5千円で売られていると言う現実から、別な意味でのシャネル効果というか、ブランドによるデザインの威力、美的知性の活用の有効性は、有効性として働いていると言うことを付記しておきたい。
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