私は気付かなかったのだが、部屋の中に鈴虫が入って来て、りーんりーんと鳴いていたと言う。
私が子供の頃、宝塚の田舎では、やはり、コオロギが全盛で、あっちこっちでコロコロと鳴いていて、真っ暗になるまで、野山を駆け回って遊び呆けて、家に帰る畦道での懐かしい思い出である。
先日、遅く帰る途中、バスを降りた草むらで、ガチャガチャクツワムシが鳴いているのに、気付いたのだが、最近では、虫の鳴き声に注意を払うことが少なくなったことを思って、一寸、寂しさを覚えた。
秋の虫の鳴き声を聞くと、和歌や俳句が詠めなくても、そして、朴念仁であっても、何となく、秋の気配を感じて感興を覚え、詩心に浸るのだが、欧米人は、この鳴き声を、騒音だと言う。
虫の鳴き声が激しくなると、夜空が益々クリアになって、月が美しく輝き、見えなかった星が瞬き始め、悠久の世界に感動する。
寒いので、億劫になって、夜、外に出ることも少なくなったのだが、6週間に一週間回ってくる夜回りの時には、鎌倉山や江の島方面の美しい夜空を仰いで、日本の夜空も捨てたものではないと思う。
私など、長くなった夜長を如何に過ごすか、歳の所為もあるが、観劇も、夜のプログラムを殆ど昼に切り替えて、家にいることが多くなって、書斎に籠って時を過ごすことが多くなった。
パソコンを叩くか、本を読むか、撮り貯めたDVDやテレビを見るか、あまり建設的な時間を過ごせてはいない。
ヨーロッパの冬は、東京などとは違って、殆ど陽の射さない陰鬱なくらい日々が続く。
こう言う場合には、欧米人は、徹底的に社交を楽しむ。
私がロンドンにいた時には、随分、頻繁に、パーティやレセプション、観劇会や社交の場に招待されて、出かけて行ったし、秋から春にかけては、オペラやミュージカルや芝居やコンサートがシーズンで最盛期を迎えるので、私たち自身も、家族で、毎週のように、劇場に出かけて行った。
隣のアーキテクトと弁護士の夫妻など、呼んで呼ばれて、毎夜のように出歩いていたし、私たちも、イギリスの知人や友人や、ビジネス関係などで呼ばれると、お返しに、夕食会やオペラ観劇などに招待するので、とにかく、秋冬の方が、社交に忙しかった。
我が家での夕食会では、親しくしていたエンジニアリング会社のイギリス人の社長夫妻が、手伝ってくれたのだが、料理や準備は、家内が、日本料理を織り込みながら孤軍奮闘してくれた。
余談ながら、イギリスでは、どんなに偉い人でも、その家の主人が、甲斐甲斐しく、食事のサーブから雑用の殆どをやるのが、日本と大いに違うとところであろうか。
私も、それ以降、出来るだけ、これに倣っている。
もう一つ、イギリスでは、自宅で接待するのが最高の持て成しであり、会社などの場合でも、日本のように、高級ホテルや高級レストランでの会食接待ではなく、自社の食堂やレセプションルームで接待する方がはるかに上等だと考えられていて、しかるべき会社や組織なら、必ず、自社に、そのような設備を備えている。
イギリス人を接客する場合、特別な経験をさせると言うのならいざ知らず、自社にそれなりの施設があるのなら、無理をして、高級レストランに誘うことはないと思う。
さて、ロンドンの劇場は、コベントガーデンやウエストエンドなど繁華街にあるので、少し郊外のキューガーデンから往復するのだが、車で移動するので、それ程造作はなかった。
いつも、綺麗なネオンに輝くロンドンの街や、綺麗なビッグベンの時計を眺めながら、家路につくのである。
車は、繁華な劇場街でも、路上駐車でも、殆ど問題はなかったのだが、一度、ロイヤルオペラが跳ねた後、車に近づいたら、ポリスに輪っかを嵌められる寸前であった。
正規なギルドホールなどでのホワイトタイのレセプションと言った重要なイベントや、大切なお客さんとの長い正式な会食を伴うオペラ鑑賞などでは、ハイヤーを使うことがあったが、殆ど、自家用車で通した。
接客中に、乗っていたベンツが盗難に遭い、大分経ってから、マレーシアで見つかったことがあったが、トラブルは、これ一度だけであった。
イギリス人は、かなり、上級の役人やCEOでも、結構、時間外は、自分で自家用車を運転することが多くて、社交で、公用車を使うことは少なかったように思う。
サウスバンクのロイヤルフェスティバルホールには、大きな駐車場があり、ロイヤルアルバートホールの周りには、巨大な空間が取り巻いているし、バービカンセンターでは、住宅街に駐車すれば問題ない。
ローマ時代の道も残る古い都のロンドンで、ビルも年期もので駐車場など殆ど作れないのだが、公園が多いのか、道が広いのか、街路はびっしりの車だが、駐車スペースを探すのに、苦労した記憶はない。
とにかく、コンサートや観劇の後、キューガーデンに、メトロやバスで帰るなど考えられず、若かった所為もあろう、とにかく、半分は仕事上の付き合いだったが、それ程、苦痛だと思ったことはなかった。
このような社交も、日本のように男ばかりの飲んだり食ったり遊んだりの夜ではなく、相当多くが、夫婦同伴のイベントが占めていて、イギリス人は、この社交の場での会話や交流で、知識や情報を得ることが多いので、知性や教養を涵養される場だとも言う。
結構、能や狂言や、源氏物語や平家物語が話題に乗ることもあって、語れなければ恥をかくし、シェイクスピアについても、互角に語り合えなければ、バツが悪くなる。
リベラル・アーツなり、一般教養を軽視する日本の教育システムが、馬脚を現すのだが、夜の社交だと言ってバカに出来ず、ここも、ある意味では、厳しいビジネス競争の隠れた戦場なのである。
そう思えば、私のように、ゴルフには一切興味なく、元々好きでもなかったカラオケには、ブラジルで一緒に行ったジャングルに居た小野田少将より歌を知らないのにショックを受けて止め、飲んでだべるのも趣味に合わなかったので、日本人との付き合いよりは、勢い、イギリス人との付き合いの方が多かった。
お陰で、アスコットにも出かけたし、クリケットの試合をボックスで宴会がらみで一日中観戦したり、グラインドボーンのオペラに何度も行ったり、古城でのコンサートを楽しんだり、とにかく、激烈なビジネスだけではなく、生きる喜びと楽しみを創り出して人生を裏表謳歌するイギリス人の知恵を、随所で教えられた。
その一端が、寒くて暗いヨーロッパの夜長を楽しむイギリス人の知恵が見え隠れする人生を楽しむ生き方であろうか。
尤も、一人で、晴耕雨読、人生を噛み締めながら、静かに夜長を過ごすのも、捨てたものでもないと思ってはいる。
私が子供の頃、宝塚の田舎では、やはり、コオロギが全盛で、あっちこっちでコロコロと鳴いていて、真っ暗になるまで、野山を駆け回って遊び呆けて、家に帰る畦道での懐かしい思い出である。
先日、遅く帰る途中、バスを降りた草むらで、ガチャガチャクツワムシが鳴いているのに、気付いたのだが、最近では、虫の鳴き声に注意を払うことが少なくなったことを思って、一寸、寂しさを覚えた。
秋の虫の鳴き声を聞くと、和歌や俳句が詠めなくても、そして、朴念仁であっても、何となく、秋の気配を感じて感興を覚え、詩心に浸るのだが、欧米人は、この鳴き声を、騒音だと言う。
虫の鳴き声が激しくなると、夜空が益々クリアになって、月が美しく輝き、見えなかった星が瞬き始め、悠久の世界に感動する。
寒いので、億劫になって、夜、外に出ることも少なくなったのだが、6週間に一週間回ってくる夜回りの時には、鎌倉山や江の島方面の美しい夜空を仰いで、日本の夜空も捨てたものではないと思う。
私など、長くなった夜長を如何に過ごすか、歳の所為もあるが、観劇も、夜のプログラムを殆ど昼に切り替えて、家にいることが多くなって、書斎に籠って時を過ごすことが多くなった。
パソコンを叩くか、本を読むか、撮り貯めたDVDやテレビを見るか、あまり建設的な時間を過ごせてはいない。
ヨーロッパの冬は、東京などとは違って、殆ど陽の射さない陰鬱なくらい日々が続く。
こう言う場合には、欧米人は、徹底的に社交を楽しむ。
私がロンドンにいた時には、随分、頻繁に、パーティやレセプション、観劇会や社交の場に招待されて、出かけて行ったし、秋から春にかけては、オペラやミュージカルや芝居やコンサートがシーズンで最盛期を迎えるので、私たち自身も、家族で、毎週のように、劇場に出かけて行った。
隣のアーキテクトと弁護士の夫妻など、呼んで呼ばれて、毎夜のように出歩いていたし、私たちも、イギリスの知人や友人や、ビジネス関係などで呼ばれると、お返しに、夕食会やオペラ観劇などに招待するので、とにかく、秋冬の方が、社交に忙しかった。
我が家での夕食会では、親しくしていたエンジニアリング会社のイギリス人の社長夫妻が、手伝ってくれたのだが、料理や準備は、家内が、日本料理を織り込みながら孤軍奮闘してくれた。
余談ながら、イギリスでは、どんなに偉い人でも、その家の主人が、甲斐甲斐しく、食事のサーブから雑用の殆どをやるのが、日本と大いに違うとところであろうか。
私も、それ以降、出来るだけ、これに倣っている。
もう一つ、イギリスでは、自宅で接待するのが最高の持て成しであり、会社などの場合でも、日本のように、高級ホテルや高級レストランでの会食接待ではなく、自社の食堂やレセプションルームで接待する方がはるかに上等だと考えられていて、しかるべき会社や組織なら、必ず、自社に、そのような設備を備えている。
イギリス人を接客する場合、特別な経験をさせると言うのならいざ知らず、自社にそれなりの施設があるのなら、無理をして、高級レストランに誘うことはないと思う。
さて、ロンドンの劇場は、コベントガーデンやウエストエンドなど繁華街にあるので、少し郊外のキューガーデンから往復するのだが、車で移動するので、それ程造作はなかった。
いつも、綺麗なネオンに輝くロンドンの街や、綺麗なビッグベンの時計を眺めながら、家路につくのである。
車は、繁華な劇場街でも、路上駐車でも、殆ど問題はなかったのだが、一度、ロイヤルオペラが跳ねた後、車に近づいたら、ポリスに輪っかを嵌められる寸前であった。
正規なギルドホールなどでのホワイトタイのレセプションと言った重要なイベントや、大切なお客さんとの長い正式な会食を伴うオペラ鑑賞などでは、ハイヤーを使うことがあったが、殆ど、自家用車で通した。
接客中に、乗っていたベンツが盗難に遭い、大分経ってから、マレーシアで見つかったことがあったが、トラブルは、これ一度だけであった。
イギリス人は、かなり、上級の役人やCEOでも、結構、時間外は、自分で自家用車を運転することが多くて、社交で、公用車を使うことは少なかったように思う。
サウスバンクのロイヤルフェスティバルホールには、大きな駐車場があり、ロイヤルアルバートホールの周りには、巨大な空間が取り巻いているし、バービカンセンターでは、住宅街に駐車すれば問題ない。
ローマ時代の道も残る古い都のロンドンで、ビルも年期もので駐車場など殆ど作れないのだが、公園が多いのか、道が広いのか、街路はびっしりの車だが、駐車スペースを探すのに、苦労した記憶はない。
とにかく、コンサートや観劇の後、キューガーデンに、メトロやバスで帰るなど考えられず、若かった所為もあろう、とにかく、半分は仕事上の付き合いだったが、それ程、苦痛だと思ったことはなかった。
このような社交も、日本のように男ばかりの飲んだり食ったり遊んだりの夜ではなく、相当多くが、夫婦同伴のイベントが占めていて、イギリス人は、この社交の場での会話や交流で、知識や情報を得ることが多いので、知性や教養を涵養される場だとも言う。
結構、能や狂言や、源氏物語や平家物語が話題に乗ることもあって、語れなければ恥をかくし、シェイクスピアについても、互角に語り合えなければ、バツが悪くなる。
リベラル・アーツなり、一般教養を軽視する日本の教育システムが、馬脚を現すのだが、夜の社交だと言ってバカに出来ず、ここも、ある意味では、厳しいビジネス競争の隠れた戦場なのである。
そう思えば、私のように、ゴルフには一切興味なく、元々好きでもなかったカラオケには、ブラジルで一緒に行ったジャングルに居た小野田少将より歌を知らないのにショックを受けて止め、飲んでだべるのも趣味に合わなかったので、日本人との付き合いよりは、勢い、イギリス人との付き合いの方が多かった。
お陰で、アスコットにも出かけたし、クリケットの試合をボックスで宴会がらみで一日中観戦したり、グラインドボーンのオペラに何度も行ったり、古城でのコンサートを楽しんだり、とにかく、激烈なビジネスだけではなく、生きる喜びと楽しみを創り出して人生を裏表謳歌するイギリス人の知恵を、随所で教えられた。
その一端が、寒くて暗いヨーロッパの夜長を楽しむイギリス人の知恵が見え隠れする人生を楽しむ生き方であろうか。
尤も、一人で、晴耕雨読、人生を噛み締めながら、静かに夜長を過ごすのも、捨てたものでもないと思ってはいる。