静岡駅南口から、路線バスに乗って、登呂遺跡に向かった。
登呂遺跡と言う公園直結の停留所があるのだが、バスサービスが限られているので、 路線バスで登呂遺跡入り口で下りたのだが、下りた乗客は、我々だけだった。
いずれにしても、住居跡や復元建物のある登呂遺跡公園は、完全に出入り口のないオープンスペースの公園で、そこに、茅葺の住居や祭殿や倉庫が点在している。
訪れる人は殆ど居らず、閑散としている。
一つずつ建物の中に入って、住み心地がどうか確かめてみたが、極めて堅固に構築されていたのに驚いた。
この登呂遺跡だが、弥生時代後期に属し、1世紀ごろの集落と推定されると言うことであるから、キリスト以降であるし、それ以前はるか昔に、メソポタミアや中国、インドなどでは、壮大な宮殿が築かれていたのであるから、非常にプリミティブで驚くこともないのかも知れない。
勿論、本物は現存していないので実際のものか確認のしようがないのだが、学者や専門家が十分に考証した結果であろうから、そうだろうと思うことにした。
結局、立派な博物館が併設されているのだが、あっちこっちで、古代遺跡を見ており、それ程関心もなかったので、パスして、日本平に向かうことにした。
久能山東照宮に行くには、登呂からそれ程遠くない久能山下までバスで行くのが一番簡単なのだが、1時間半以上待たないとバスが来ない。
それに、海岸線から山上の久能山へ直行するためには、石段を1159段上がらなければならないこともあって、結局、旅程を変更して、タクシーを呼んで、日本平のロープウェイ口まで行くことにした。
昔、有料道路だったと言うから、静岡駅から日本平へは、この一本道しかなかったと言うことであろうか。
とにかく、富士の見える高い日本平に出て、そこからロープウェイで下りて、久能山東照宮に参拝すると言う手筈である。
運転手に、ロープウェイの駅から小山を上れば、展望台に出て、清水の街越しに、はるか富士山を遠望できると教えて貰った。
晴天ながら、少し、大気が霞んでいて、富士の姿は、影絵のようにうっすらとしか見えなかったが、日頃富士とは縁のない人間にとっては感激であった。
清水から興津、はるか遠くに、富士市が、白く光っていて、うっすらと、伊豆半島が霞んでいる。
反対側には、静岡の街並みが見える。
さて、ロープウェイだが、かなり小さく、乗客は、皆立って乗るのでキャパシティは50人だと言う。
乗る時間は僅かだが、観光バスなどがやってくると、駅は長い行列で、パンクするのではなかろうか。
静岡から近いし、階段は大変だが、久能山下からの正規の参道である登山路を活用すべきであろうと思う。
久能山東照宮は、晩年を駿府で過ごした徳川家康が1616年に死去した後、遺命によってこの地に埋葬されたので、境内の高台に、墓所がある。
建物は、50年に一度、社殿など建造物が、漆の塗り替えが行われており、最も最近2006年に社殿の塗り替えられたと言うのだが、それに、”平成28年8月より実施しておりました、社殿・唐門漆塗修復工事がこのほど無事竣工し漆塗特有の艶やかな姿によみがえりました。”と言うのであるから、金ぴかで光り輝いている。
本殿、石の間、拝殿が国宝に指定されていると言うことだが、この一連の建物は、私の知っている日光の東照宮に匹敵する荘厳さ美しさである。
尤も、これをゲテモノ趣味だと言う人もいるようだが、歌舞伎の極彩色の美と相通じる日本の美意識の一つの象徴だと思っている。
奈良や京都の古社寺も、元は、金ぴかの仏像を頂き、朱塗りの柱や極彩色の仏画などで荘厳された壮大な建造物であって、現存する国宝仏や国宝建造物等のわびさびの姿は、いわば、風雪に耐えてきた古色蒼然たるなれの果てと言うことなのである。
随分前にNHKで、欧米のバロック美術の番組で、日光東照宮が紹介されていたが、興味深く見ており、その後ヨーロッパで、実際のバロック美術に触れて思い出していた。
以下の写真は、一枚目の一の門と二枚目の唐門以外は、国宝の本殿・石の間・拝殿であり、最後が、家康の神廟である。
東照宮を出て、日本平に戻った時には、夕日が傾いていた。
ロープウェイで上る途中に、西方向の海岸線に沿って、イチゴの栽培温室群が、夕日に光っていた。
登呂遺跡と言う公園直結の停留所があるのだが、バスサービスが限られているので、 路線バスで登呂遺跡入り口で下りたのだが、下りた乗客は、我々だけだった。
いずれにしても、住居跡や復元建物のある登呂遺跡公園は、完全に出入り口のないオープンスペースの公園で、そこに、茅葺の住居や祭殿や倉庫が点在している。
訪れる人は殆ど居らず、閑散としている。
一つずつ建物の中に入って、住み心地がどうか確かめてみたが、極めて堅固に構築されていたのに驚いた。
この登呂遺跡だが、弥生時代後期に属し、1世紀ごろの集落と推定されると言うことであるから、キリスト以降であるし、それ以前はるか昔に、メソポタミアや中国、インドなどでは、壮大な宮殿が築かれていたのであるから、非常にプリミティブで驚くこともないのかも知れない。
勿論、本物は現存していないので実際のものか確認のしようがないのだが、学者や専門家が十分に考証した結果であろうから、そうだろうと思うことにした。
結局、立派な博物館が併設されているのだが、あっちこっちで、古代遺跡を見ており、それ程関心もなかったので、パスして、日本平に向かうことにした。
久能山東照宮に行くには、登呂からそれ程遠くない久能山下までバスで行くのが一番簡単なのだが、1時間半以上待たないとバスが来ない。
それに、海岸線から山上の久能山へ直行するためには、石段を1159段上がらなければならないこともあって、結局、旅程を変更して、タクシーを呼んで、日本平のロープウェイ口まで行くことにした。
昔、有料道路だったと言うから、静岡駅から日本平へは、この一本道しかなかったと言うことであろうか。
とにかく、富士の見える高い日本平に出て、そこからロープウェイで下りて、久能山東照宮に参拝すると言う手筈である。
運転手に、ロープウェイの駅から小山を上れば、展望台に出て、清水の街越しに、はるか富士山を遠望できると教えて貰った。
晴天ながら、少し、大気が霞んでいて、富士の姿は、影絵のようにうっすらとしか見えなかったが、日頃富士とは縁のない人間にとっては感激であった。
清水から興津、はるか遠くに、富士市が、白く光っていて、うっすらと、伊豆半島が霞んでいる。
反対側には、静岡の街並みが見える。
さて、ロープウェイだが、かなり小さく、乗客は、皆立って乗るのでキャパシティは50人だと言う。
乗る時間は僅かだが、観光バスなどがやってくると、駅は長い行列で、パンクするのではなかろうか。
静岡から近いし、階段は大変だが、久能山下からの正規の参道である登山路を活用すべきであろうと思う。
久能山東照宮は、晩年を駿府で過ごした徳川家康が1616年に死去した後、遺命によってこの地に埋葬されたので、境内の高台に、墓所がある。
建物は、50年に一度、社殿など建造物が、漆の塗り替えが行われており、最も最近2006年に社殿の塗り替えられたと言うのだが、それに、”平成28年8月より実施しておりました、社殿・唐門漆塗修復工事がこのほど無事竣工し漆塗特有の艶やかな姿によみがえりました。”と言うのであるから、金ぴかで光り輝いている。
本殿、石の間、拝殿が国宝に指定されていると言うことだが、この一連の建物は、私の知っている日光の東照宮に匹敵する荘厳さ美しさである。
尤も、これをゲテモノ趣味だと言う人もいるようだが、歌舞伎の極彩色の美と相通じる日本の美意識の一つの象徴だと思っている。
奈良や京都の古社寺も、元は、金ぴかの仏像を頂き、朱塗りの柱や極彩色の仏画などで荘厳された壮大な建造物であって、現存する国宝仏や国宝建造物等のわびさびの姿は、いわば、風雪に耐えてきた古色蒼然たるなれの果てと言うことなのである。
随分前にNHKで、欧米のバロック美術の番組で、日光東照宮が紹介されていたが、興味深く見ており、その後ヨーロッパで、実際のバロック美術に触れて思い出していた。
以下の写真は、一枚目の一の門と二枚目の唐門以外は、国宝の本殿・石の間・拝殿であり、最後が、家康の神廟である。
東照宮を出て、日本平に戻った時には、夕日が傾いていた。
ロープウェイで上る途中に、西方向の海岸線に沿って、イチゴの栽培温室群が、夕日に光っていた。