先日、施術後の経過報告メールをくださった30代男性、家庭教師をされている方ですが、三回目の施術の後また報告メールをいただきました。
この方の来院された主訴は後頭部の痛みで、いろんな療法の施術を受けても何年も取れなかったそうなのですが、私の施術を受けて一回目で95%痛みがなくなり、二回目でほとんど痛みがなくなったとビックリされていました。少し長いメールですが紹介させていただきます。
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あれからおかげさまで家主さんに怒られたことを思い出しても、自分が捉えていた嫌な感じが出てこなくなりました。 会社での嫌な感情も出てこないですね。立禅をけっこうやり込んでるのもあるのですが、ほぼ嫌な感情は出てこないですね。 後頭部も今日久しぶりに触ってみたら痛みがなかったです。 やはり衝撃です。 この1週間自分を観察し平和な状態についてあまり意識せず今振り返って自分を見たときの感想です。 平和な状態というのは強くなるのとは違うわけですよね。 日本一になっても世界一になってもどこまで強くなっても終わりがなく平和がない。 だから本当に平和な状態というのは柳に風の状態。 風の吹くままに。 太極拳にしても勝つとか強いとかそういうとことではないですよね。 本質は違うことをやっていて、自分の中の競争意識とか自分の自我の主張 そういったプライドが自分を苦しめてしまうと。 プライドをなくせと言われても、なくそうとするのも自我になるので、いろいろ気付いてく中で自分を縛っているものを解いていくのだと思いました。 時と場合によっては鎧兜を着て強くなる必要はあるのでしょうけど、脱着自在だといいですね。 あと太極拳を習っている時は「楽に 楽に」と教わります。 ただそれは私の情報であり、それがいろんな違う力として出てくるのですね。 楽になってるなとか、楽になろうとしてるというのは、楽ではなく、 もっと楽になろうとか前より楽になろうとかというのは、楽じゃないということなのですね。 本当に楽なのであれば、楽という言葉は出てこないし。ということは楽ではないのですね。 それについて考えることもありませんよね。 もっと楽になりたいって言ってる人は もっと強くなりたいと同じでどこまでも終わりがなく平和がないのですね。 この世の仕組みなのだと原田先生の話を聞いて納得できました。 それならば、今この時点でこの自分でOKだと認めてやることなのだと思いました。 ただ、それはしぶしぶこの程度で納得してやろうとかというのは全く違っていて、 本当にOKということで、それが個性ということなのですね。 太極拳の世界で考えてると先生より劣っていても、他の能力については優れてるところはあります。 実際、太極拳の先生に英語を教えていますからね。それ全部含めて自分っていう個性だと。 足りない所がいっぱい見えてしまうのですが、自分が持ってるものは見えないのですよね。 でも人から見たら自分が持ってるものが見えるようですね。それは自分の中で当たり前になっててあるとも思ってないから 見えてないだけで、実は優れてるところがあって、本当はプラスマイナスゼロなのですね。 これは本当に楽になりました。 あとは腹に落ちて初めて自分のものになるのだと思います。 今現在、落ち着いていて、この今の自分のままでいいというのは腹に落ちてるのかな?と思っています。 生徒宅に伺い親御さんがとても心配されたり、成績不振が続くことがあっても、動揺してない自分に動揺しています(笑)
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