今日行われた「即位礼正殿の儀」。
報道各社が伝えているように、まさに「平安絵巻」のような雰囲気だった。
その一方で、「政教分離に反する」という声もある。
特に、キリスト教の団体などは強く抗議をしているようだ。
東京新聞:即位礼「政教分離に違反」と主張 キリスト教団体が記者会見
キリスト教団体が「政教分離に違反」と言っている趣旨が、分からない訳ではない。
ただ、今日の「即位礼正殿の儀」を見た時、「どれだけ宗教色があったのか?」と聞かれると、答えに窮する。
少なくとも、私は答えに窮するのだ。
理由は、神道にありがちな「お祓い」などもなく、天皇陛下が分かりやすい言葉を使い「天皇になった」という宣言しただけだったからだ。
国王のいる国でも、同様のことが行われているはずだし、会場となったのは「皇居」という天皇の住まいだ(現在の今上天皇は、通勤状態だが)。
いうなれば、宮殿に各国の要人を招いて「国王の継承式」が行われた、ということと変わりはないように思うのだ。
確かに、天皇の重要な仕事(と言うと適切ではないと思うのだが、違う言葉が思い浮かばない)は「祭祀」という、「国と国民の安寧を祈る」というものがある。
しかし、今回の「即位礼正殿の儀」に関しては、そのような「祭祀」とは全く違う内容だ。
ましてこの「即位礼正殿の儀」参列された世界の要人たちの人数を見ると、「即位の礼」という名の「外交」が行われている、とも思えるのだ。
キリスト教の中心となるバチカンからはモンテリーズィ枢機卿が来られているし、イスラム諸国の国王や要人も来られている。
宗教やイデオロギーなどが違う人達が、これほど会する機会は、今回の「即位礼正殿の儀」から続く祝宴以外、無いと思うのだ。
確かに「天皇陛下」は、政治的な発言をすることは無い。
ただこれほどの「和平の為の機会をつくることができる」力を持っている、ということもまた事実なのだ。
そう考えれば、「即位正殿の儀」そのものの本来の目的以上に、意味のある儀式なのではないだろうか?
まして、宗教色がどれほどあったのか?疑問なほどの内容だ。
むしろ「古式ゆかしき日本の文化」の情報発信、という点でのメリットもある。
「大嘗祭」にしても、時代の変化と共にその意味が変り、今は「古式ゆかしき日本の伝統文化」の一つを、天皇陛下が担っている、と考えたほうが、良いのではないだろうか?