先日、アカデミー賞の前哨戦とも言われる「ゴールデングローブ賞」の授賞式があった。
事前に、招待された女優さんたちは「黒のドレスで出席する」と言われていた。
そしてその通り、皆さん黒のドレスで出席をされた。
BBCJapan:ゴールデングローブ賞でスターの衣装は黒、黒、黒 性的暴力に抗議
確かに、黒のドレスばかりだが、決して華やかさに欠けたドレスではない。
むしろ、黒という色だからこそ表現できる、華やかさを感じるドレスばかりだ。
これが、ハリウッドらしい抗議の仕方なのかもしれない。
このハリウッド俳優さんたちの「性的暴力に対する抗議」の発端となったのは、名プロデューサーと呼ばれる人物が長年にわたって、プロデューサーという立場を利用して?俳優に性的関係を持ってきた、ということが表面化したコトだった。
その動きは「ME TO」と共に、広がりを見せ、今回の黒いドレスにつながった、ということはご存じの通りだと思う。
その「ME TO」に対して、異論を唱える人が出てきた。
フランスの大女優・カトリーヌ・ドヌーヴだ。
彼女の言う通り「(相手を)口説く自由」は、あると思う。
「口説く自由」があるのなら、「断る自由」もある。
ハリウッドで起きた「ME TO」は、プロデューサーという映画製作において力のある人物であったコトが、問題の発端となっていることを考えれば、カトリーヌ・ドヌーヴの発言はやや的外れな印象を持たれても仕方ないだろう。
まして、口説いた相手が新人俳優などであれば、力関係は圧倒的にプロデューサーが強い。
そしてこのようなセクシャルハラスメントをする人物の多くは、そのコトを十二分に理解をしている場合が多い、と言われている。
ただ、カトリーヌ・ドヌーヴの発言もある意味真を突いているのでは?という、気がしている。
「口説く自由」があるのなら「断る自由」もある、という点だ。
これは極普通の対等な関係において、成立する話だと思う。
何故か?日本の女性は「口説かれる」と「断りにくい」と思う傾向があるのでは?と、感じることがある。
それがこのお正月話題になった、ブルゾンちえみさんの新しいネタ「女のイヤは、イヤじゃない」だろう。
Huffpost:ブルゾンちえみの新ネタ「女のイヤは、イヤじゃない」に反発する声も
おそらくブルゾンさんの新ネタは、昔からよく言われてた「嫌よ嫌よも、好きのうち」という言葉から、きているのだろう。
このような言葉の意味が通じる時代は、随分前に終わっていると思うのだが、この言葉に縛られている女性も男性も本当は、まだまだ多いのかもしれない。
何故なら、そのような態度を示すことが「(女性として)可愛らしい」と思われ、そのように刷り込まれてきたのでは?と、感じることもあるからだ。
あるいは、その場の雰囲気を読んで付き合うことぐらいしたら?という、事なのかもしれない。
でもそれは、昭和以前の感覚だと思う。
「口説く自由」があるなら、「断る自由」もある。
それが対等な関係だと思うし、そのような関係からは差別も生まれないのではないだろうか?